曽我量深師 八十歳のときの言葉
仏様とは
一、仏様とはどんな人か。
答、仏様は、われは南無阿弥陀仏と申すものであると名のつておいでに なります。
二、その仏様はどこに居られるか。
われを南無阿弥陀仏と念じ称へる人の直前においでになります。
三、そんならその仏を私達が念ずるにはどのやうな方法がありますか
南無阿弥陀仏と、一念疑なく、自力のはからひをすてゝ静なる心をもつて仏願くはこの罪 深き私をたすけましませと念ずるのであります。
これはだれでも、どこにゐても、いつでもかなしい場合でも、うれしい場合でもたやすく自由に仏を念ずることができるのです。
この念が現前する時、いかなる煩悩妄想が襲ひ来つても内心の平和は絶対にやぶれません。是を真の救済と申します。
八木重吉 29歳で肺結核にて没。
貧しき信徒
1925年 大正14年2月17日より
われはまことにひとつのよみがえりなり。
もったいなし おんちちうえさまと となうるばかりに
ちからなく わざなきもの
たんたんとして いちじょうのみちをみる
よぶがゆえに みえきたるものあり
よぶことなければ きえゆくものあり
われよべば みえきたるなり
わがよぶは みえきたるものの こころのうごきのゆへならん
もったいなしと となえんか
みえきたらんとするもの よぶがゆへにわれもよぶ
そのもの われによぶこころをうごかすごとし
このお二人の言葉をことある毎に読んできた。八木重吉氏は肺結核という病という苦悩の中から信仰の言葉を吐き出された。曽我師は八十歳という老いのなかでこのことを確かめられていった。そこに苦悩に直面し「断念させられる中で、だからこそどうしても断念できないもの」を信仰に確かめていった足跡をたどることができる。
しかし今日医学の飛躍的な発展と、同時にメディアが大量に流す「老い」を忘れさせるさまざまなサプリの情報が、「断念」ということを忘れさせた。
怖ろしいまでに煩悩を刺激され、そして振り回される時代に生きていることを思う。