社会不安障害(SAD)を生きる

病歴11年目、日常生活の格闘を発信していきます。

はしかの効果

2007年05月28日 | Weblog
 抑うつ状態の私に救いの連絡があった。私が関係している大学にもはしかの流行が見られ、2週間ほど閉鎖になるという話だ。もうしばらく寝ていられるなぁ~、とホッとした瞬間に神が降りてきた。動けるようになったのだ!
 なんだかんだ言って、結構プレッシャーを感じていたんだな~。自分のペースでって言ったって、社会の一部として動いているのだから、そんなに上手くいかないんだって! もちろん行く場所がないということは寂しいことでもあるけど、今の私にとっては少し引きこもる時間が必要だったのだと思う。
 はしかに感染した方にはお気の毒だけれども、おかげさまで私はふと気が楽になったのでした。

もうダメ

2007年05月26日 | Weblog
 抑うつ状態が続いており、そこから抜け出す手段としてブログの更新を試みています。この行為に意義があるのかどうかは不明です。とにかく何らかのきっかけが欲しいのです。
 実は今日、出席しなければならない会合をサボってしまいました。着替えとか、洗髪とか、そういう諸々の雑用がどうしてもできなかったのです。先方には一応、体調不良ということで連絡しましたが、不良なのは身体ではなくて脳なのです。
 このスランプがどこまで続くのか、何かが私の気分を変えてくれるのか、は神のみぞ知ることなのでしょうか?

不振の理由

2007年05月25日 | Weblog
 昨日までは全国的に快晴が続いていたが、今日の空はどんよりとしている。昨晩は気圧がかなり下がったのであろう。道理でテンションが下がって、体が動かなかった訳だ。とにかくぐったりしていて、風呂に入るだけでも精一杯だった。
 漢方の説明によれば、私のような病状の根本には血流の乱れがあり、それは気圧によって大きく支配されるようだ。血流の悪化の原因は血管の伸縮性が少ないことにあり、その機能は腎臓や肝臓が支配してるのだと言う。
 しかしながら、漢方薬は高い。今の私には手が出ないので、化学物質に依存するしかないのである。果たしてパキシルは効いているのだろうか? 疑問である。

ワーキング・プア

2007年05月24日 | Weblog
 1999年当時、私は22歳で身分上は学生だった。社会に出るのが怖くて、引きこもり生活を送っていた。当時の全国有効求人倍率は0.48で、周りには就職できずに留年するといった学生がごろごろいた。
 この年、労働者派遣法が改悪されて、ほとんどの業種に派遣労働者の短期雇用が認められた。我々の世代の多くは不安定な労働環境におかれることになった。ニートが大量発生した理由には、雇用環境の悪化にも一因がある。
 結局、人材派遣会社とサラ金業者が大もうけし、社会にはワーキング・プアが増大した。労働は商品ではない。不当な労働ダンピングが横行する社会に希望はない。

アクセス状況

2007年05月23日 | Weblog
 ブログを書いていることを知っている人は1人しかいない。にもかかわらず、毎日20人程度の閲覧者がいらっしゃるのは驚きである。ありがたいことだ。
 幸いなことに5月病のような症状は顕著ではない。やるべきことは無難にこなせてると思う。本を読むことが一時苦痛になったが、基本的に私はMなので、最近は悦びにひたることも多い。
 今のところ天候も安定している。気圧の変化が気分の変化に及ぼす影響は想像以上に大きいので、梅雨の季節は毎年大変苦しむのである。

ベトナム珈琲

2007年05月22日 | Weblog
 ネットショッピングでベトナム珈琲セットを購入しました。ベトナム人の友人宅でご馳走になって、その独特な風味にやみつきになりました。今朝届いたので、早速淹れて飲んでみました。美味しかったです。カフェインが強いので、眠気覚ましにも最高です。少し値段は高いですが・・・。

 太った豚より、痩せたソクラテスになりたい!


本能の壊れた動物

2007年05月20日 | Weblog
 「私が今ここに存在する」ということに確信が持てない。存在することが幻想ならば、希望も絶望も、生も死も、喜びも悲しみも幻想である。
 しかしながら、自分が感じている不安や焦り、寂しさや苦しさにはかなりのリアリティーがある。どうやら私は、私であるようである。
 夢や希望をもつことは本当に正しいことなのだろうか? 希望を持たない人間には絶望もなく、夢を持たない人間には苦しみもない。
 山に登ることに理由など要らない。ただ、目前の一歩を積み重ねていくだけである。そこには希望も絶望も、喜びも悲しみもない。「私」すらないのである。

修行僧になりたい。

2007年05月16日 | Weblog
ただ黙々と何かに没頭する人生でありたいのです。
言語という不確かで表層的なものに依存することなく、
自分の全存在をかけて何かを追いかけて生きたいのです。

ホントは私、仏門に入りたいのです。
ただ、お薬が止められないので修行は無理そうです。
世間のしがらみから逃れて、孤独を楽しめる人間になりたいのです。
種田山頭火のような生き方に憧れをもっています。

自分のしていることに意義を感じなくなる瞬間、
私は私であることを恥じ、消え去りたいと願うのです。