社会不安障害(SAD)を生きる

病歴11年目、日常生活の格闘を発信していきます。

インナー・チャイルド

2007年10月09日 | Weblog
 自分自身が発したわめき声とともに目が覚めた。自分自身が抱える大きな苦しみが、とてもリアルな形で夢の姿をまとって現れた瞬間だった。自分がなぜこんなに苦しいのかが、極めて明瞭な形で夢に出てきたのだ。
 夢の中の私は10歳位だった。そんな少年の私に、父は弁当を買ってきるように命じた。とんかつが食べたいと言ったので、少年の私は近くのお弁当屋さんへ向かい、父のために弁当を買って帰った。ところが、父はそれに満足することはなかった。もっといい物が食べたいと、私が買ってきた弁当を食べることを拒絶した。私は父親の指示を受け、隣町のデパートまでとんかつを買いに行った。必死で家へたどり着き父へ差し出したが、これもまた父のお気に入りではなかった。私はどうしようもなくついに泣き出してしまった。
 この夢から目を覚ますと、私は自分の枕が涙で濡れていることに気がついた。同時に、少年期の私と父との関係がどのようなものであったのかを一瞬のうちに悟ることになった。私は、父の承認を得るために必死で努力していた。にもかかわらず、私の父は、私が努力を重ねて得たものに一度として満足してくれなかったのだ。
 幼少期、少年期を通して、いや青年期も含めて、私の人生の優先順位のトップは、父の承認を得ることであった。私は常に父の顔色をうかがい、自分のニーズを殺して生きてきた。私は知らないうちに、自分のニーズは何なのか、自分は本当は何をしたいのかが分からなくなっていったのである。
 岩代のHさん、こんな自分でも受け入れてもらえますか?