社会不安障害(SAD)を生きる

病歴11年目、日常生活の格闘を発信していきます。

本能の壊れた動物

2007年05月20日 | Weblog
 「私が今ここに存在する」ということに確信が持てない。存在することが幻想ならば、希望も絶望も、生も死も、喜びも悲しみも幻想である。
 しかしながら、自分が感じている不安や焦り、寂しさや苦しさにはかなりのリアリティーがある。どうやら私は、私であるようである。
 夢や希望をもつことは本当に正しいことなのだろうか? 希望を持たない人間には絶望もなく、夢を持たない人間には苦しみもない。
 山に登ることに理由など要らない。ただ、目前の一歩を積み重ねていくだけである。そこには希望も絶望も、喜びも悲しみもない。「私」すらないのである。