2009年、スカイプというコンピューターの最先端技術を使って長らく閉ざされていた縁のうすい姉弟の会話は必然的に互いの心のブラックホールへといざなう。
父も母もなくなった今、血縁とよべるのはこの二人。しかし幼い時期は別々に暮らし、ボクは小学校一年、姉は中学一年の時初めて一緒に暮らすようになったもののボクは学校が終わりカバンを家に置いたら直ぐ育ての母の所へ行き泊まって、翌朝実母の家へ行きカバンを持って登校するという時期が小学校高学年まで続いたようだ。
今日久しぶりに姉からスカイプがあり何時もの如く、互いの記憶違いをかすかな記憶をたどって検証する。姉の記憶には小学生の弟と共に暮らした思い出は全くないと主張したが、小学2、3年の頃ボクの誕生日に仲のいい友達2人を家に招いて実母がヨモギ餅を作ってくれた話や実母と一緒に寝てよくキツネや狸に化かされる話を覚えているのだから、ボクが全く実母の家に存在していないというのはやはり姉の記憶違いである。
今日二人で改めて感心したのは、二人とも実の両親のこと、それにボクは里親のことも、彼らについてほとんど何も知らない・・・ということ。何だか不思議な気もするが世の中には、もっと数奇な境涯に生まれ育った人がいる事を考えると、まあよくある話的な感じで、深く考えない事にしている、というか実際あまりそのへんのことをふだん考えた事がない。姉からコンタクトをもらわなければ、自分には姉がいた事すら忘れてしまっている。
それと対照的なのが、わが妻ニコル。彼女の両親も、一人の姉も皆おなじローザンヌの町に住んでいる。先日、両親宅に例のチーズフォンデユをごちそうになりに行った時、今年の春頃から彼女のお父さんが準備を進めていた昔の8ミリフイルムをDVD化する作業が済んで、これを今年のクリスマスのメイン・イベントとして今から心待ちにしているのを、ちょっとだけよ!と1時間半あるDVDの20分程を見せてくれた。
ニコルの両親の婚約パーティから始まって、地元スイスの山村への新婚旅行、そしてニコルの姉の誕生、そしてニコルの誕生。今もあまり変わらないふっくらとした頬を持つ無邪気そのものの赤ん坊のニコルを見た時、なんと幸運人々なのだろう、昔よく見たアメリカのホームドラマそのままの『家庭』、いやもっと地にしっかり足の付いたスイスの一家庭を見た思いがし、ボクはそれを心から祝福した。
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