瞑想のスピリッチュアルな感覚

瞑想行から日本人のスピリチュアルな感性を明らかにする

現代社会の医療状況へと思いをめぐらせると

2008-02-17 10:32:16 | 瞑想
 これまでを整理すると、日本では明治時代に養生医療から西洋の治療医学へと政治的な配慮で転換された。そして、その医学は病気を治すもの、病気そのものの治療を目的としていた。
 そこで、その時代に生きた庶民の衛生に関する動向を明らかにしてみよう。江戸時代といっても幕末のころの伝法院の過去帳をひもとけば、おおよそ死亡年齢の平均は男性が二八・七才、女性が二八・六才と、なんとも極端な数字がみえてくる。それは疫病による大量死である。そのころ海外との貿易は長崎、神戸、横浜などに限られていたが、そこへ入港する外国船からインフルエンザが上陸すれば、およそ一日五〇キロ、ヒトの歩く速さで日本全国へと蔓莚し、およそ一〇〇万人単位で死人がでたという。江戸市中でも少なくとも三〇万人以上が死に、浅草あたりの寺院では棺桶を運ぶ荷車による交通渋滞が何日も続いたという(須田圭三『飛騨O寺院過去帳の研究』1973年)。
 <明治になってもスペイン風邪による大量死をしらべる>
 さらに大正時代になっても、男性四二才、女性四一才が平均余命で、乳幼児の死亡率は全国平均でおおよそ一八パーセント、東北や北陸ではおおよそ三〇パーセントの死亡率であり、さらに生き残った子供も、疱瘡などの流行病で多く亡くなった事実がある(大正一〇年第一回国勢調査)。そのころの庶民にとって、今では祝節の行事となっている七五三などのお祝いは、その時代にあってはその年までは、生き延びてもらいたいという親のせつなる祈りだったのである。

 現在の国民衛生の動向をみれば、なんと平均余命は女性八二才、男性七六才という世界一の長寿国になっている。それを支えているのが世界でも有数の高水準を誇る日本の医療技術である。明治時代に医療制度が養生医療から西洋の治療医学へと改正されてから、わずか一五〇年間という異例の速さでの展開である。これによって私たち日本人の国民衛生は確実に向上している。
 しかし、ここにきて明治以降の治療医学の限界がみえたといわれる。確かに感染症をはじめとする多くの病気が撲滅され、乳幼児死亡率も<????>、と激減したために平均余命は男女共に世界一となっている。しかし、その内実は病気とは呼べない病気、心筋梗塞や脳卒中などの生活習慣病の引き金となるというメタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)の予備軍が、四〇才から七四才の男性は半数以上、女性でも二割はいるというほど蔓延しつつある(朝日新聞二〇〇六・五月九日)。まあ現代人の多くが病気ではないが健康とはいえない状態にあるというのである。
 さらには、厚生労働省がきちんと定義までつけている「難病指定」の病気にいたっては、病名はつけられてはいるが原因がよくわかっていないために治療法すら確立していないのである。そして、このように治療法が確立していない病気に「最近めだって増えている病気」という条件をつければ、それはまさに現代病とも、文明病とも呼ばれる病気となる。
 たとえば、アトピー性皮膚炎、花粉症、気管支喘息などのアレルギー性疾患を挙げることできる。、このなかでとくに有名なのが季節性のアレルギー性鼻炎・結膜炎のアレルギーなどの花粉症がある。それは杉花粉が原因だ、いや車の排気ガスだなどなどハッキリしない。しかし、おおよそこのアレルギー性疾患の原因がハッキリわからないといっても、世界的にみても日本のような工業国に多く、また非工業国でも都市化したところに多く発症するために、その文明化によってライフスタイルが大きく変化したことが疑われているのである。
 さらに拒食症や過食症など摂食障害である。多くみられるのは「ヤセ願望」で禁欲的な食生活をつづけてゆくうちに、我慢できずに過食へと移行してゆくパターンである。それは現代社会の風潮がスリムな身体を賛美することによって誘発されことは間違いない。しかし、同じようにダイエットしてもこの病気になるヒトとならないヒトがあるということは、そこに心の問題が見え隠れしているということである。それは乳幼児期におけるお母さんとのスキンシップを介しての安心感の獲得にあるということはわかっている。
 また、摂食障害ほど有名ではないが、顎関節症といって口を開けたり噛んだりするとき、あごの関節の雑音などの不定愁訴にはじまり、痛み、やがて口が開けられなく病気がある。この病気は女性が男性の三倍、十代の後半から増えはじめ二〇代から三〇代の比較的若い層に多い。通常あごの関節や歯にかかる力は、そしゃくの筋肉によって最大限八〇キログラム範囲内(壊れない範囲)に制限されている。しかし、睡眠時などにストレスの影響で歯ぎしりなどをくり返すと、その範囲を数倍超える力がかかるためにその症状がおこる。
 そして、最後の極めつけとして全国で二〇〇〇万人が苦しむという過敏性腸症候群を挙げることができる。この病気は女性が男性の二倍前後といわれ、とくに知的な仕事に携わるヒトに多く、近年非常に増加している。腸に張りめぐらされた神経は、その精密さによって「リトル・ブレイン」と呼ばれるが、それどころか脳はこの神経が発達したものだという学説があるほど、腸は脳との関係でストレスの影響を受けやすい。こうしたストレス性の腸の病気は、検査を受けても異常が見つからないばかりか、ストレス性であるがために治療が難しいのである
 これらの病気は現代医学では難病や奇病として扱われ、受診できる医療施設は限られている。摂食障害の治療を専門に行っているある病院の外来では、常時四百人以上の患者を抱えていて、新規は患者は二年も待たされるという。顎関節症の専門医療機関も少なく、有名な施設には患者が殺到している。また、過敏性腸症候群では、病院で受診しても一応の検査をしても異常なしで処理され、患者の多くは途方に暮れているという。これらは近年急増してきた病気のめに、診療態勢が整っていないこともあるが、身体だけを診てこころを十分に診ようとしなかった医療の欠点が露呈しているといえる。また、病気の症状を診て患者を診てこなかったともいえる。
 とくにアレルギー性疾患の場合は、花粉症や気管支喘息では心因性という因子に大きな要因がある。現代社会の大きな変化は情報通信技術であり、その情報革命による外部変化に人間の内部環境(こころ)が影響を受けないはずがない。情報の受け手は神経系で、それはこころである。(三大奇病「アトピー・拒食症・顎関節症」宮田親平、『文藝春秋』二〇〇一・四所収 主旨引用)
 くり返しになるが、これは現代医学が病気の治療を目的とするあまり、身体の病気、身体の症状のみを診て、こころを診ようとしなかった結果である。極論すればどんなに体調不良であっても、検査によって病気が発見できなければ、医師は病気はないという。
 たとえば、私たちのごく普通の生活を思いうかべて欲しい、このところあまり体調がよくないと感じたとき、近隣の病院を受診するだろう。そこで”とても体調が悪いのです”と訴えても、医師が血液検査などのデータで異常が発見できなければ、その医師は”それは病気ではないですよ”っと、つれなく帰そうとするだろう。しかし、そこで”どうしても体調が悪いのです”と訴えれば、医師はここぞとばかりに”それは不定愁訴ですね”っと精神安定剤なりが処方されて一件落着となる。このように、私たちの体調不良の訴えは、それはあなたの気分の問題、不定愁訴というよくわからないこころの錯覚だとして、向精神薬などによって誤魔化されてきたのである。
 ところが、さきのような現代病の難病や奇病にいたっては、その向精神薬などによって誤魔化されたこころの造反、不定愁訴というこころの危険信号を無視してきた結果といえる。現代医学は体調不良と訴える原因を探してみたものの、データ的にわからなければ病気ではないと言いつづけ、体調不良を訴えている私という人間(こころ)を診ていなかったのである。

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