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美術館・ギャラリー・撮った写真や好きな絵、そしてひとりごと

ハラ ドキュメンツ9 安藤正子 ― おへその庭

2012-08-31 | 【アート】美術館・ギャラリー・レビュー
原美術館へ、「ハラ ドキュメンツ9 安藤正子 ― おへその庭」を見に行ってきました。
熱さにかまけてよくチェックしていなかったけど、かなりtwitterがにぎわってたので会期終了ぎりぎりに。


展示室に入ると、とても精緻で近づいてみても鉛筆画とは思えない絵。
展示で鉛筆画があるといつもメインの作品のスケッチだったりするけれど、
これはもうひとつの作品 という感じ。
鉛筆画でとくに気になったのは「貝の火」
獣の毛のやわらかく暖かい感じ、鳥の羽のしっとりと堅い感じ、少女の陶器のような肌の感じが丹念に描かれていて見入ってしまう。
ただ、絵から感じるイメージは不可思議な世界。
少女の左腕には謎のボールペン刺青だし、そのモチーフも謎。
あとでタイトルを検索してみたら、宮沢賢治の童話の題名らしい。
うさぎがひょんなことから手に入れた宝石によって、他の動物たちから敬われるようになるが
それを勘違いして驕り、騙され、大切なものをいくつか失う というお話。
教訓的な絵なのかな、とも思うけど、作品を前にすると獣の憂えた横顔の美しさだけに引き込まれます。

企画展のタイトルにもなった「おへその庭」も鉛筆画と油彩画の両方がありました。
この方の描く子供は、ちょっと日本人離れしていてキャラクターのような感じ。
ただ、余白がたくさんあったり、全体的にのっぺりした印象からか、
油彩 とあっても、安藤正子さんの作品はどれも日本画のような印象を受けました。

こののっぺりした印象、なんなんだろうと思ったら、制作方法に秘密があるようで、
絵具を筆や手でたたきのばして、やすりで磨くことを繰り返しているそう。
印刷物のように無機質な表面はこうやって生まれていたんだ。。

また、作品には色とりどりの花がよく登場していました。
これがきれいに咲き誇っているものも、枯れ始めているものも丹念に描かれていて隅々まで見ていたくなります。
「Where Have All the Flowers Gone?」では美しい顔の少年が顔が埋もれるくらいの花飾りをつけてテーブルのこちら側をぼんやり見ています。
テーブルと思うのは、PUMAの手袋つけた右手が花を握って置かれているからだけど、
テーブル自体はまるで宙に浮かんでいるような、画面下1/5に木目の模様があるように感じるほど。
また、少年の背景は真っ白で、花の華やかさと少年のほっぺの染まる色以外は本当にシンプル。
やっぱり日本画ぽいなぁ。いいな。

寡作な画家の貴重な作品に出合えて、感謝!
◆ハラ ドキュメンツ9 安藤正子 ― おへその庭
@原美術館 2012/7/12~8/19 会期終了

世界の終わりのものがたり -もはや逃れられない73の問い

2012-08-01 | 【アート】美術館・ギャラリー・レビュー
日本科学未来館へ行ってきました。
お目当ては企画展「世界の終わりのものがたり-もはや逃れられない73の問い」。
薄い冊子(ものがたりの手引き)をもらって会場に入ります。
展示会場はそんなに広くなくて、一見すると文化祭とかにありそうな手作り感ある感じ。
ですがこれはとても考えさせられる展示で、テーマに興味がある人はもちろん、全然興味なくてただ連れられて行った人もきっと何か考えずにはおれない展示でした。

展示会場は4つに分かれています。会場内には様々な問いがたくさんあるのですが、印象に残ったものを。

一つめのテーマは「予期せぬ終わり」
ある日突然起こる災害や事故、自分の意思とは関係なくある日降りかかる病気・自殺・・・
世界各国の統計などもあり、日本と世界の国々の死因構成がかなり違うこと・日本が世界有数の自然災害と向き合わなければならない場所であること等がよくわかります。
ちょうど東日本大震災から一年たったころの企画展で、来場者もかなり時間をかけてじっくり見ていました。
そして問い。
「残された時間で何をしますか?」
予期せぬ終わりには、交通事故のように終わりまで数秒、ということもあり得ますが、たとえば、終わりまでに一日とか猶予があったとき、あなたなら何をしますか と。
会場内の問いには来場者がボールを選んで入れたり、思いを書き込んだりするアンケート形式になっていて、自分自身も問いに向き合い手を動かして答えを認識するとともに、他の人がどう考えたかをみることができます。
この問いにも様々な答えが書かれていましたが、けっこうシンプルなある一つの答えが多かったんです(たまたま私が行った日だけかもしれませんが)。
さて、残された時間であなたなら何をしますか?

二つめのテーマは「わたしの終わり」
生き物には必ず終わり=死があり、それはだれも逃れられないものですが、
人間に関して言えば、医療の発達によってその終わりは自然の状態よりもかなりコントロール可能になっているようです。
会場にはある終末医療の再現が。
ほとんど病院にお世話になったことのない自分にとって、
固そうなベッド・たくさんの機械とチューブは想像以上に冷たく恐ろしく感じました。
自分がそういう状態になるのは・・・嫌だけど、自分の大事な人がその状態だったら・・・
どんな状態でもいいから生きてるという事実が欲しいかもしれないし、
逆にそんな状態をとても見ていられなくなるかもしれない。わからない。。。
そして問い。
「永遠に生きられるとして、あなたはそうしたいですか?」

三つめのテーマは「文化の終わり」
私達の暮らしはどんどん変化している・・・
当たり前ですが、まだ30年弱しか生きていない私でも、子供のころにはパソコンはこんなに身近じゃなかったし、
携帯電話やipadはなかったし、小洒落たチェーン店なんてなかった。
また、最近の子は近所の学校へ通うのでさえ防犯ブザーをもってるし、通学路で保護者が付き添ったりしている。
生活様式も価値観も変わっていくなかで、問い。
「50年前の暮らしに戻れますか?」
50年前は生まれてないのでなんとも言えませんが、古き良き時代 とは思わないかな。。
でも価値観とかいう意味では、少し昔くらいがいいかもしれないとも思います。
今はみんながキリキリと急ぎすぎているように感じるので。

四つめのテーマは「ものがたりの終わり」
ひとつめ・ふたつめで自分自身や自分の周りの環境について考え、だんだん視点に拡がりがでてきた最後のテーマです。
「あなたにとって世界の終わりとはなんですか?」
最初の視点でいえば、「死」であるのですが、自分が一つ個体として存在しているわけではなく、
周りの人や環境とつながって存在していることを考えるとそれだけが答えとも思えず。
よく『肉体が存在しなくなったときが第1の死で、忘れられたときが第2の死だ』なんて言いますが、
自分の存在したことが誰の記憶からも消えたときが本当の終わりなのか・・・?
でもそうすると、名もなき多くの人の残したものの上に今の世界が成り立っているのに、それがすべて「終わって」いることになってしまう。
そうすると、もっともっと大きく、地球の終わり とか 宇宙の終わり になるのだろうか。
他の人はどうこたえるんだろう。気になります。

終わりを意識することで自分にとって大切なものについて考える というのも強引な手段な気もしますが
私の決まり切った日常、ある意味限られた脳みそしか使わずに済む生活の中で、
こうやって問いを投げかけられるということはとても新鮮でした。
なんだかちょっと変な感覚で、全て見終わったあと心臓のあたりがきゅうっとする気分。

朝起きて満員電車に揺られ、仕事をする。休日には遊んだりダラダラしたりする。
たまにイライラしたり、うれしいことがあったり、どうしようもないことがあったりする。
そんな平凡な日常をこれからも繰り返しつつ、ときどきこの企画展で考えたことを思い出してみようと思います。