ある難病(パーキンソン病)患者の叫び

年齢51歳。医師。2004年4月病気のため退職。白衣を着ていた者がパジャマに着替えた時に感じた本音を叫び、訴える。

「生きている」ということの意味①

2005-04-30 09:03:09 | Weblog
 この世の生物で普遍的に共通することが2つあります。それは「生まれてきた」ということと「死ぬこと」だと思います。
後者にはいろいろな死に方があっても良いのですが、「生まれてきた」ということは、単に「生まれた」だけではなく、私を産んでくれた母とそして父がこの世に存在したからこそ私がこの世に出てこれたのです。そしてもっと生物学的に言えば無数の精子のたった1個の精子がその他の精子との戦いの中で勝ち残れたから今の自分があるわけで、その時もしその精子が弱気になって、他のものに道をゆずったりしていれば、今の自分とは違う自分が産まれてきたはずです。そしてこの父と母の存在も同じ様に各々に祖母と祖父がいたおかげですし、またこの祖父は・・・」というように考えると、今の自分が「自分として存在していられる」のには、『奇跡に近い』というよりは『奇跡』そのものだと思えるのです。
逆の見方をすれば(最も事実ですが)、私の過去をたどれば必ずヒトの祖先に出会えるということです。
この事は『人間』に限った事ではなく、生きているもの全てに共通していることです。動物も植物も皆同じです。彼らは一生懸命生きています。生物界の食物連鎖の中にいて食ったり食われたりしています。その点人間だけは自分達が食われるなんて事を経験したことが無いので、他の生物に較べると生きる気持ちが、生きる意欲が少ないように思います。
全ての人たち1人一人がこの世に生まれてくることができたのは、「どんなに奇跡的な確立で生まれてきた」ということを認識して、もうちょっと頑張って生きてみましょうよ。
(これは自問自答です)