素晴らしき「日本」

地球上で一番古い国、伝統のある日本

もし、昭和天皇陛下がいらっしゃらなかったら日本国民は!

2018-09-01 21:21:21 | 日記
 昭和20年(1945)9月27日、昭和天皇がダグラス・マッカーサーを訪れ、会見しました。歴史的な会見として知られます。

 9月27日午前10時。シルクハットにモーニングの正装の昭和天皇を乗せた車が、アメリカ大使公邸の門を潜りました。もちろん、これはただの会見ではありません。
 側近たちは天皇のお命を心配し、天皇ご自身は自分に日本人と皇族の運命がかかっていることを承知されていました。
 公邸玄関にマッカーサーの姿はなく、2人の副官が出迎えます。マッカーサーはレセプションルームで天皇を出迎え、奥の部屋に案内しました。会見が始まる前、写真撮影があり、その中の一枚が教科書にも載っている、あの写真です。
 写真撮影後、2人の会見が始まりました。そこでどんな会話が交わされたのか、公式の記録はありません。しかし、マッカーサーは回顧録に次のように記します。
 「天皇の話はこうだった。『私は、戦争を遂行するにあたって日本国民が政治、軍事両面で行なったすべての決定と行動に対して、責任を負うべき唯一人の者です。あなたが代表する連合国の裁定に、私自身を委ねるためにここに来ました』 ――大きな感動が私をゆさぶった。
 死をともなう責任、それも私の知る限り、明らかに天皇に帰すべきでない責任を、進んで引き受けようとする態度に私は激しい感動をおぼえた。私は、すぐ前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」(『マッカーサー回顧録』1963年)

 また、この時、同行していた通訳がまとめた天皇の発言のメモを、翌日、藤田侍従長が目を通しています。藤田は回想録にこう記します。
 「…陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。 『敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼らには責任がない。私の一身はどうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』

 一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露は、マッカーサー元帥を強く感動させたようだ。

 『かつて、戦い破れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終わったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これすべて陛下のお力添えである。 これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わなければならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい』」とマッカーサーは言った(藤田尚徳『侍従長の回想』昭和36年)。

 会見は当初、15分の予定でしたが、35分にも及び、会見終了後、マッカーサーの天皇に対する態度は一変していました。感動した彼は予定を変えて、昭和天皇を玄関にまで出て見送るのです。マッカーサーの最大の好意の表われでした。

 人を動かすものとは何か、昭和天皇のお姿が、すべてを語っておられます。日本がまな板の上に乗せられたあの時に、昭和天皇がいらっしゃったことは、日本人にとってどれほど大きな意味があったか。

 今日の、そしてこれからの日本人が決して忘れてはいけない一面であると思う!


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