特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

復刻塗装の東武バスに乗ってきた

2017年11月09日 10時04分26秒 | 旅行
      
今年10月、久方ぶりに開催された東武バスフェスティバルでベールを脱いだ復刻塗装。
青い東武バスを見たのは何十年ぶりでしょう。

 わたくしは目撃していませんがその日復刻塗装車のLEDには「野田車庫」と表示されたそうです。
「高田車庫」とすべきところの誤字だったのかどうかわかりませんが狙ったものならば、粋なはからいだな、と万感胸にこみ上げるものがありました。

ところで野田車庫と出したとき、側面LEDは「野田車庫←市立柏病院←北柏駅入口←柏駅西口」と現役時代のものを出したのでしょうか。

さてわたくしは、LEDに野田車庫と出せるのならば、もしかすると車内の路線図も野田出張所当時を復元した「復刻路線図」であり、
裏面に「はんこの晴山堂」と書かれた野田の東武バス時代同様の「復刻ワンマン表示板」があり、
はたまた『味のよくきくキノエネ醤油』と書かれた「復刻広告ポスター」が天井にありと、
わたくしの小学生当時の懐かしい光景があるのではないか?などとどんどん妄想が膨らみまして、何とか乗りたいものであると渇望しておりました。




2017年11月某日、わたくしは野田の実家に戻る予定でしたが、途中ふらりと柏の高田車庫を覗くと復刻塗装車が見えました。
これは乗車のチャンス到来と高田車庫バス停付近で3時間近く発車の様子を伺っておりましたがちっとも動く気配がありませんで、
不審者として通報されても困るのですごすご引き上げました。
最近、架空の行先表示を再現したいと駅に忍び込んだ不届きな少年が逮捕されましたね。




 その2日後、都内へ帰る途中柏駅のデッキから下を覗くと、そこに懐かしい色味の車両が見えました。
LEDには野田車庫ではなく免許センターとあります。
わたくしは当初、旧塗装時代を知る中高年の多い病院のある路線、国立がんセンターとか市立柏病院とかその辺で運用しているのかな、
とちょっと穿った見方をしておりました。
フェスティバルの時にはフロント正面に「後のり」表示板がありましたが、外されていて何にも付いていません。
左後輪ボックスの直後に折戸の後扉があって閉扉時にビー、ブーと音程に高低のあるブザーが鳴る光景がしんみり思い出されます。


 
時刻は午後5時をとっくに過ぎ、免許センターなどという公的施設へ行ったところで何も出来ることがありませんが、
さっそく3番のりばにとぐろを巻く長いバス待ち列に並んで乗車と相成りました。
昔、野田車庫行きはこの3番から出ていてその頃も花野井とか水堰橋へ向かう人々でやはり列がとぐろを巻いていたので、幼時と同じ体験ができました。




んーん、車内には復刻めいたものが見当たりません。
シートも大昔の緑色した硬くてチクチクしたフェルト地でもなく、特に左側のオタク席がないのが全然復刻ではない。
どうやら中はただの新型エルガのようです。

 立客が5人くらいいましたが、気象大学前とか名都借入口でぞろぞろ降りてあっという間にほぼ空席になりました。
「気象大学前」は東武バスが青かったわたくしの小学生の頃には「気象庁」という名前のバス停で、
当時朝の登校前にTBSでよく見ていた宇江佐りえのお天気の生番組はここから放送してるのかな?などと思ったりしておりました。




 富士見橋という免許センターが出来る前からある古いバス停で前方の席に座るお年寄りが一人降りてとうとうわたくし一人になりました。

 
車内をみると復刻塗装の告知があります。復刻塗装はいすゞ自動車製なのに左側に当時の塗装車モデルとして
いすゞ製ではなく日野REという車両を対置しているのが古い人間には面白く見えます。
「後のり」が無いものを選んだ結果でしょうか。



 
 客は座席に座っているわたし一人しか居ないのに「右へ曲がります、お立ちの方はおつかまりください」と
律儀なアナウンスが流れ、さらに流れ流れて終点、流山免許センターに到着しました。お疲れさまでした。



   
帰りも復刻塗装に乗り、柏駅に戻りました。
ちょこっと運転士氏と会話しましたが、復刻塗装はこれ1台しかなく、毎日バスマニアが一人は乗ってくる、
行路が決まっている訳ではないので毎日どこ走るかわからない、だそうです。
粗製乱造すると復刻塗装の価値が下がる気もするのでそれで良いとも思います。

あとはまあ「どんな塗装の車があろうとも人手が全然足りていない」という業界共通の頭の痛いお話を伺いました。

しかし四半世紀以上の歳月を経て今再び、柏駅から青い東武バスに乗るという体験をなし得たことで、
野田出張所廃止を耳にしてから十年以上にわたり私の心の片隅にある「多感な少年時代あれほど時間とお金を注いだ東武バスに少年時代の想い出を全消去された」
という自分自身どう表現するのが正しいのか分からない複雑な感情が氷解したようにも思うのです。

バスの塗装などというものはいちいち乗るまでもなく一度見ればそれでお終いのはずです。
ところが私は見るのではなく乗るという行為にこだわった、なぜか? ここに原因があったのかな、などと今更ながら振り返っております。

創立15周年で復刻塗装なので、創立20周年では復刻路線とか復刻停留所を期待しております。

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