特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

貨物列車の踏切と一時停止するバスの思い出

2017年11月16日 23時59分32秒 | 旅行
 
右を見るとトラック駐車場。


左を見ると黒フェンスで立入り禁止になっている謎の空間。


バスの匂いが全くしないここは一体何なのかというと野田市駅貨物線踏切の跡地です。

5歳のとき、わたくしは野田市駅から2つ目のバス停すぐそばに今もある市立野田幼稚園へ通っていましたがたまに家の車で送ってもらうことがありました。
当時冒険コロボックルというアニメがフジテレビの朝7時半に再放送されていて8時からのピンポンパンのOPだけ見ると
「はい、行くよ」と言われて車に乗っていったのでおそらくこの踏切に差し掛かるのは8時10分~15分であったろうと思います。
この送りのたびになぜか貨物線踏切にひっかかってしまい電鐘の低い音を鳴らしながら横たわる遮断機を前に「この踏切、いっつも遅いのよ~」と母の愚痴をよく聞かされました。
しかし幼稚園児にとって貨物列車といえば新幹線と並ぶ鉄道車両の花形中の花形ですし、
さらにおらが村ご自慢のキッコーマンの大きな社章の描かれたドス黒いタンク車が何両も通り過ぎる様はわたくしのハートを鷲掴みして止まない素晴らしいものでした。

 キッコーマン社の社章はご存知のように六角形の亀甲の中に「萬」と書いてあるのですがそのタンクに付いていた社章は
不思議なことに白地に赤のポピュラーなパターンもあれば黄色や緑のもあって「??、タンクの中身が違うのかな?」と思ってましたが真相は鉄道研究家の方々にお任せしたいと思います。

 これが一体、小学生時代に乗った東武バスとなんの関係があるのかというと、踏切なので貨物列車があろうがなかろうが必ずバスはここで一時停止をしなければなりません。
 当時は野田市のバスでここを通過するのは野田市駅と境・岩井・東宝珠花・柏・大利根温泉を結ぶ5系統でこれらに乗った時は必ず貨物線での一時停止を体験することになります。

 とりわけ境・岩井線と東宝珠花線の3つは始発地野田市駅を出て次の停留所に辿り着く前にすぐこの踏切に遭遇します。
 8トラテープで「毎度東武バスをご利用くださいましてありがとうございます、このクルマは岩井車庫ユキでございます、
途中お降りの方はブザーでお知らせ願います」などと流れている間にこの踏切でガクッと止まって一時停止→発進という文字通りの通過儀礼があるのです。
 
 この3路線のどれかに乗った時、この踏切の一時停止がまるで旅の合図のようにわたくしには感じられました。
特に境車庫行きは終点まで1時間は見なければならないので
「さて、生きてまたこの踏切に帰ってこれるかな」などと芝居じみた大げさな気持ちをもったものです。



緩急車らしきものの左上を横切る道路に貨物線踏切があります。(昭和45年頃。『千葉銀行社史』)


 わたくしが乗りバスにかまけていた昭和56、57年頃、午前11時台に野田市駅を発する関宿方面行きの・・・・境車庫行きか野12 東宝珠花行きのどちらか・・・・
に乗り込んで一時停止後にさあ発進、と思ったら警報機がけたたましく鳴り、
踏切左側からキッコーマン工場に向けて有蓋車の列がゴロリンゴロリンと出てきて、「あ、カモツレッシャ」と人に聞こえないようにつぶやいたつもりが運転席に聞こえてしまい、
「うん」という相槌を運転士さんにされて妙に気恥ずかしい思いをした、という記憶が今これを記しながら蘇りました。

 鉄道については初心者すぎて貨物ダイヤというものがどういうものかよくわかりませんが、野田市駅からバスに乗って貨物線踏切にひっかかるというのは滅多にないことでした。
田園都市線ほどでないにしても貨物の世界にも遅延というのがあるのでしょうな。
 


『鉄道ピクトリアル』1990年12月号において、かの有名な花上嘉成さんが「東武鉄道における貨物輸送の変遷」と題して記すところによれば、

昭和56年4月、東武動物公園~野田市間の1往復貨物列車廃止、野田市駅着発・柏中継となる。
昭和59年2月、柏における貨車中継廃止。久喜中継となる。
昭和60年3月、野田市~久喜間の1往復廃止。野田線貨物列車全廃。



 こうして野田を野田ならしめ野田線を野田線ならしめた醤油の貨物車、と貨物線は野田から消えてしまいました。
 しかしながら踏切、そして恐らく線路もあわせて少なくとも1年は残存していて、昭和61年家族の運転するクルマでここを通ったとき警報機があるので踏切手前で一時停止をしたのを覚えています。



 今野田市駅や愛宕駅で高架化工事の真っ最中のようですが、野田線の姿をどれほど変えても、
キッコーマンのタンクがゴトゴト走る踏切の光景と、
踏切で一時停止したときの前につんのめるあの感触は決して私の記憶から消え去ることはありません。

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