偽史倭人伝 ~ Carnea Historia

march madness の次が April Foolなんて小粋ぢゃないか。

震災のあとおしゃれコミュニティから避難した

2011年03月30日 06時30分00秒 | ◎ツッコミ思案neo
 半年以上ぶりの更新。

 実は昨年の秋くらいから他のブログに行っていた。
 ブログ自体当分の間はお休みする予定だったので鞍替えするという意図でもなかったのだけど、雑誌であるコンペの募集記事を見つけてしまったのだ。
 その前提条件がブログに登録することだった。

 その時はそこに長居するつもりもなかったのだけど、受賞は逃したもののノミネートには残ってしまったりしたので、ミョーな期待が芽生え来年また応募してみたくなったのだ。

 コンペ目当てと思われないためには書いてるふりくらいはしておく必要がある…そう思った。

 正直、「場違いなところにきちまった」とも思った。そこはフツーのブログサービスではなくコミュニティーサービスというやつだった。
 会員以外はコメントできないムラ社会みたいなところ。別にそれ自体はいいんだけど、そこら中から放たれている“おしゃれビーム”がやたらと眩しかった。

 でも文章の上手い人も多く勉強になりそうなことも事実だった。ここはまぁ修行のつもりで…そんな気分だった。

 ところがコミュニティという形式に不慣れなことと生来のおっちょこちょいが災いして早速ヘマをやらかしてしまう。

 ある日突然、「あんたの記事なんて誰も読んでないよ」みたいな旨の攻撃的なコメントがつけられる。

 なんか不穏な空気になっていることは分かったのだけど鈍感なおいらには具体的にその原因が何なのかはわからない。

 同日複数投稿が実は禁止事項のひとつだったのだと気づいたのはすでに一週間がすぎた時。
 それはコミュニティ発足当初は明文化されていなかったらしいがある“新参者”がそれをやってイザコザがおきてから正式ルールとなったらしい。

 心配になって過去記事等を検索しまくったら、空気を読まない異分子と古株たちとのせめぎ合いの歴史は度々あったようだ。
 ひょっとしたらおいらもその歴史の1ページに名を連ねてしまったのかもしれなかった…

 でも、そこでやめてしまうのも自分がしょーもない異分子だったと認めるようでバツが悪いのでしばらくは平気なふりをして投稿を続けた。
 人の書いたモノを読んでるぶんにはあいかわらず勉強になるし。自分と対極にある世界なら尚更のこと。その事実はかわらなかったから。

 でもそこから日々違和感は増していく。そこのコミュニティは大人のブログを標榜するだけあって年齢層が高く、つまりおいらと同世代と思しき方々も多いようでそれが唯一の救いだとはじめのうちは思ったのだけど、どうやらそれも誤算だった。

 “おしゃれビーム”の正体は「ムダなことが実は面白いんだよね~」というおいらの苦手な80年代バブル的価値観で、その発信源はむしろ同世代付近のように思えた。

 そして震災がおきた。(モノの例えではなく今回の東北地方太平洋沖地震のことだ)

 震災後はしばらく誰も投稿しない。そりゃそうだろう。それがまともな人間の心理ってものだ。
 そして3日くらい後から投稿する者がポツポツと出始める。

 ここでおいらが感じていた違和感が嫌悪感へと替わる。

 あるエントリー。ACのCMが今後どうなっていくか予想するという内容。コメントもポイントとして加算されるという独自のシステムの中では、こーいう「みんなも考えてみよう」的な内容は必然的に多くなる。

 常連にして自身もランキング上位であるママブロガーのコメント。

「やっぱり大阪のおばちゃんがホーレンソウはよく洗いーやギャハハみたいなのかしら」

 実はおいらは福島に多くの親戚、知人がいてその中には農家を営んでいるものもいる。だからこのネタは笑えなかったし、風刺がきいているともギャグセンスがあるとも思えなかった。

 別のエントリーでは
「そのうち被災者たちがあれしてくれ、これしてくれなんて言い出したらおれもキレるぜ」
なとどと宣うヤツがいる。

 そしてあるものは「不謹慎って言い過ぎるのは思考停止」だと言い切る。たしかに復興のための力を蓄えるには無事なところは稼働し続けなければならないという意味で一理はあるんだけど、実際に起きていることを無視して「不謹慎って言い過ぎる」っていうさほど独創的でもないフレーズを機械的に使うのもまた思考停止だと思う。

 実際このヒトは
「花火大会は電気使わないのだから自粛は行き過ぎ」
などといっている。
 しかも「あれ電気で打ち上げてるんですっけ?」とかなり小馬鹿にしたような語調。

 このブログランキング1位のヒトは大きな大会の花火はコンピュータを使って打ち上げられていることを知らないのだろうか。
 イベントというものはほぼ例外なく電力を使う。しかも開催時間が夜間となれば尚更だし大量のヒトが集まるとなればそれは安全性にもかかわってくる。

 あるいはこのヒトは
「野外イベントって発電機だからコンセントぢゃないぢゃん」
とかおバカなツッコミを仕返してくるかもしれない。

 福島の親戚・知人たちは最近やっと、ガソリン・灯油を入手したんだぜ!

それにその発電能力を温存していれば他のピンチを救う機会もあるはずだ。

 さらには
「計画停電が行われなかったことについても文句を言うヒトがいる」と、これまた

「どんな時でも文句つけたがるヒトっているんだよねぇ」

という“思考停止な定型句”を駆使し、バカにした語調であざ笑うのだけど、このヒトは町工場の苦悩や個人宅で使われる生命をつなぐための医療器機事情について知ろうとも思わないのだろう。

 そして不気味なのは誰からもツッコミがないこと。おいらはよほどつっこんでやろうかと思ったけど、異分子のおいらが言えばかえって彼らを意固地に団結させてしまうのがオチだろう。

 このコミュニティの母体自体はいわゆるギョーカイ系で、メンバーの方々もしょっちゅうオフ会の類を開いてるところから察するに、登録者のほとんどは東京かその周辺にお住まいのようだ。

 今回、日本人は災害の中でも譲り合いの精神を忘れなかったなとど言われているけどこれが都会だったらどうなっていたんだろう?と心配になった。

 オシャレ人間たちはこの有様だし、町では買い占めに走るヒトたちも大勢いたし…。

 オシャレといえば別に誰とは言わないけど今回の震災に際しアーチストと呼ばれるヒトたちが発したお見舞いのおコトバに違和感のようなようなものを感じたのはおいらだけだろうか。

 かつてビートたけしが「最近の有名人の葬儀の弔事は名言合戦になっちゃってる」と苦言を呈していたけど、日本のアーチストのお言葉の中には、これって作品ぢゃねーの?と思ってしまうようなひねりすぎ長すぎなのが見受けられた…と思った。別に誰とは言わないけど…。

 それにひきかえ海外のアーチストはシンプルだった。

 これには「海外のアーチストが素っ気ないんだよ」とか「別にひねってるぢゃなくって才能あるヒトが自然にコトバを発した結果なんだよ」とか、「そもそもそんなことをいちいち思うことが不謹慎だ」というツッコミもあるかもしれない。

 でも今回いちばん凝りすぎだろと思った某氏はNHK教育でやっていたワークショップスタイルの番組で参加者からの

「影響力をもった自分の歌詞がともすれば悪い影響も与えてしまいかねないことについてどう思うか?」

…という質問に対し、

「自分は無責任でいたい」

などと言っていたようなヒトだ。

 このヒト環境イベントも熱心に開催されていたようだけど

「環境といっても別にガマンしろということぢゃないんだ」

という甘いコトバを決まり文句のように連発していた。

 このどう考えても辻褄の合わない魔法のようなコトバの意味するところは何だろう。ポリシーそのものがエセだったのか、はたまた遠回しに原発推進派だったのか。

 そういばその番組ホストであるアーチスト氏もかつては原発反対派のふりをしていたっけ。スリーマイルだチェルノブイリだなどと歌詞に織り込んだシングル曲まで出していたけどフクシマって歌詞はなかった。

 …そう、決して忌野清志郎氏のように泥を被るような位置まで踏み出すことはしなかった。

 このヒトも無責任でいたいんだろう…きっと。反原発ってなんかカッコいいぢゃん…くらいの産業ロックンローラーのノリだったんだろう。

 原発といえば絶好調男の元巨人軍は福島県ゆかりの有名人を集め味の素スタジアムで炊きだしをしたそうだけど、原発PR大使としての罪滅ぼしのつもりなんだろうか。
 だとすれば与えられるものと比べると奪ったものはあまりに大きい。

 この国では政治家だけでなくいろんな分野で重要で深刻なことコトをおしゃれなコーティングで誤魔化してきた。

 でもおいらたちも実は気づく機会は何度もあったのに見て見ぬふりをしていたのかもしれない。

 立川談志氏は「デモやって暴れてる国のほうがよほど健全だ」と言っていたけど今はしみじみそう思う。…もう遅いだろうか。

 一部の運動家だけでなくもっと大規模にみんなが暴れて反原発を訴えていたら、いまごろこの国に原発はなかったかもしれない。

 今、停電になってすでに出ている多大なロスや今後、汚染などで生じる損失を考えたら、反対運動に時間を費やしてもおつりが来ただろう。

 足りなかったのは行動力の以前の想像力だったかもしれない。

 多くのヒトは「原発以外に選択肢はない」という理屈をあっさり信じていた。

 マンション建設反対運動というのはハタから見ると「反対のための反対」にしか見えないのだろうけど、実際に経験してみると現実にはいろいろあることに気が付く。
 「反対のための反対」にしか見えない理由のひとつには、有名企業が不当なことをするはずがないという先入観もあるんぢゃないだろうか。
 でも実際にフタを開けてみると法令違反すらあることもあるのだ。

 もう、おしゃれアーチストなおしゃれコミュニティ、「おしゃれ」を信じちゃいけない。やつらが想像力を奪ってきたんだから。
 いやこっちもラクなほうに行きたいという甘えがあったという事実もうけとめて反省しなきゃならん。

おいらも共犯だったんだと。

 これからは転げ落ちそうになるくらい前に乗り出してものごとの裏を覗こう。

 テレビで放射能の解説してるヒトはほとんど原発推進をバックアップしてきたヒトたちだから信用ならない。

 最初は放射能は漏れないと言っていた。
 漏れ始めたら二重三重に防御システムがあるからまだ大丈夫といっていた。
 海外に支援を頼めないのか?というキャスターの質問には「日本は原子力の技術では先端を行っている。海外に頼むなんて状況になったらエライことだ」といっていた。

 …まさに今そうなっている。

 なんで中立や反対派の専門家がいないのかというときっと、反対派には研究費が出ないからだろう。

 そしてキャスターが生臭サイエンティストの大本営的コメントにやけに素直に納得してるのは東京電力が大口スポンサーだから。それは負けたヤワラちゃんが五輪代表になった時や秋葉原殺傷事件の時にトヨタに気を使ったときと同じ。

 これらがおいらの想像力で導き出した精一杯の答え。

 原発から避難していたヒトたちがまた舞い戻ってしまっているという例が続出しているとニュースでやっていたけど、実はおいらの親戚知人のうち5組までもが戻ってしまった。…いや、うち2組はハナっから避難もせずに居続けている。
 1組はすでに自宅すらなくなっているというのに。

 テレビでは「体の不自由なもんが避難所に行ったら迷惑かかる」と避難を拒否する住人と救助員とのやりとりが放送されていたけど、ハタから見たらこれよりもっと軽いと思えるようなことでも理由にはなりうる。
 (ここらへんはオシャレ人間の想像力ではわからないだろうな)

 実際に親戚・知人(ここは叔父とか従兄弟とか具体的に書いたほうが文章がスッキリするのだろうけど今のおいらには生々しすぎる)の言い分を聞いてみるとなるほどと思える部分もある。というか集団避難自体がむしろ不可能なのでは?とすら思ったりもする。
 だから事情も知らずに「命なくすこと考えたらなんでもできるっしょ、なんで逃げないの?」などと軽々しく言って欲しくはない。

 それでもやっぱり避難してほしいけどいくら想像力を働かせてみても折り合う点が見あたらない。


 そうしているうちにとうとうプルトニウムまで出てしまった。

 …いや、今まで計測自体してなかったというから「出た」のではなく、すでに出まくっていたものが発覚しただけかもしれない。

 今すぐに収束したとしても、もう土地はやられてしまうんぢゃないか。

…想像力が大事なんて大見得きったもののなんか思考停止したくなってきた。

でも、とりあえずはまだ考えていよう…何か思い浮かぶかもしれないから。

追記その一:上杉隆と池上彰
 プルトニウムの情報を開示させた上杉隆氏はとうとうラジオからも干されてしまった。これが上杉氏の限界か…という見方もできるかもしれない。
 でも新聞には官房機密費のことをチクリと書いたものの結局、干されることもなくテレビに出続けられたことこそが池上彰さんのジャーナリストとしての限界なのだとも思う。
 池上さんは今日も、「いかに日本が世界から尊敬されているか」と外国人パネラーを前に熱弁をふるった。
 …なんかもう目眩がしそうだ…。

 寄せられた質問の中には「なんで海外は30キロでなく80キロ以内避難といっているのか」ってのもあったはず。
 放射性物質の安全性についてもあんまりツッコまず。ジャーナリストではなくタレントなんだろう…きっと。せっかくタレントになれたのにテレビ引退って皮肉だね。

追記その二:藤波心と佐野元春と
 エキサイトニュースで「中学生アイドルが原発を批判」という見だしを発見。
何か事件があると芸能人でも批判するヒトってたまにいるけど、大抵はソフトすぎるアプローチかズレたツッコミで終わってるのがほとんど。
 あまり期待もせずに彼女のブログを見てみたこれが意外としっかりした発言。鼻をたらしていたおいらの中学生時代と比べると大違いだ。
 いや中学生どころが、見聞きした知識がちゃんと怒りの回路につながるようになったのはやっと911以降のことだ。それまではどんな凶悪な話題も酒の肴でおわっていた。なんだかんだいっても世の中はまわっていくものだと思っていた…情けないな。
 彼女の名前は藤波心というらしい。なんかドラゴンスープレックスを繰り出しそうな固い字面だけど顔はまるで小学生のよう。アイドルというんだけどどういう層がファンなんだろうって考えたらなんか心配になってきたけど、とりあえずいっか。
 このコと比べたら佐野元春なんてただの商業音楽家だ。とてもロックンローラーなんて名乗れないよ。
 彼女がガキだから自由に発言できたって意見もあるかもしれない。そうだね、佐野君が干されたりしたら多くのスタッフにも迷惑かけるかもしれないからね。
 でも自分のまわりのヒトたちを守るという名目で多くのヒトの命を脅かす脅威を無視するのってどうなんだ?ってこと。
 食品偽装とかも「家族を守るため」とか「社員を守るため」とか「キレイごとなんて言ってらんねーんだよ」という“大人な考え”から起きたんだぜ。
 案の定、コメントには「こどもの考え」と掃き捨てる意見も。まぁこれも本文に書いたおしゃれコミュニティにいるみたいな思考停止な定型句バカだな。

追記その三:藤波心と西部邁と石原都知事とそのまんま東
 ところで彼女はパンドラの筺とかバルサンとか表現してるけどこれってなにげに石原慎太郎の暴言とされている「天罰」と同義ぢゃないか。
 実は西部邁氏もテレビで「私は石原都知事のように天罰が下ったなどということは言いませんが…」と断って、結局、天罰が下った的な趣旨のことを言った。
 西部氏が語る日本人が反省すべきコトのひとつが日本人は海外の災害にあまりにも無関心だったんぢゃないか?ってことだった。
 偶然にも先週末「池上彰の教えてミスターニュース」の再放送があったのだけどたしかにハイチ大地震に対する日本人の認知度が外国人と比べて低かった。
 20万人もの死者を出した大地震だったというのにね。

 実際のところこの先、原発が収まったとしても、地震がもたらした負の遺産は日本全体で共有することになるだろう。

 「天罰」というのを点ではなく面でとらえてみてはどうだろう。つまり今後、日本人はいたるところでの大規模なシステムの変革、あるいはパラダイムシフトを求められることには間違いなさそうだということ。

 それをふまえると中学生アイドルが非難覚悟でそういう表現をした勇気は東国原元知事の姿勢よりは上に思える。
 東国原氏がなんで超後出しじゃんけんで、しかもこんなタイミングで都知事選への出馬をきめたかといえば、石原氏の「天罰発言」を聞いてイケるかも…と皮算用したんぢゃないだろうか。だとしたらとんだ火事場泥棒根性だ。東京都知事はセールスマンには務まらない。(アンチ五輪誘致なところは魅力的ではあるけれど…。)

 ラジオでは爆笑問題・太田光氏はこの災害はともすればチャンスになるかもしれないという楽観的な見方を語ったが、立花隆氏は日本が戦争へと向かったきっかけに関東大震災があったという歴史をあげて懸念を示した。

 関東大震災と比べると新しい知恵もつけているかもしれない。でも当時はいなかった原発というやっかいな悪魔もいる。
 原発の状況は「予断を許さない」のさらにもうひとつ向こう側にあると思う。





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