『LOVE RAINBOW TRAIN』というラジオをたまに聴くんだが
そのラジオはMISIAさんとバビ江ノビッチというLGBTの方が
番組タイトルどおり、そっち系のおはなしをするのだが
そのラジオはMISIAさんとバビ江ノビッチというLGBTの方が
番組タイトルどおり、そっち系のおはなしをするのだが
すっきりしたことと、もやもやしたことが両方あった
まず、すっきりしたのがバビ江さんが
自分のことを「オカマ」というのも問題ありかもしれないので
反省しているというような発言
自分のことを「オカマ」というのも問題ありかもしれないので
反省しているというような発言
テレビとかでおねぇの方々が
「汚いオカマはNHKに出られないのよ」
といったような自虐ネタとか
或いは罵り合いで笑いをとっているのを見て
たとえ自虐でも
「汚いオカマはNHKに出られないのよ」
といったような自虐ネタとか
或いは罵り合いで笑いをとっているのを見て
たとえ自虐でも
当事者同士でも
一般人への影響力といったことを考えると
その言葉のセレクトってどうなの?
これって社会的にはどうなんだろう?
と常々思っていたのだ。
一般人への影響力といったことを考えると
その言葉のセレクトってどうなの?
これって社会的にはどうなんだろう?
と常々思っていたのだ。
で
もやもやしたことは
アメリカのLGBTのイベントでドラァグクイーンの方々が排除されたということに対し
嘆かわしいという発言
ここらへなはシロウトには説明が必要ぢゃねーか?と思ったのだ
つまり
ドラァグクイーンというのは単なる性的指向のもうひとつ向こう側にあるのではないか?と
特に日本人的な感覚だと、
もやもやしたことは
アメリカのLGBTのイベントでドラァグクイーンの方々が排除されたということに対し
嘆かわしいという発言
ここらへなはシロウトには説明が必要ぢゃねーか?と思ったのだ
つまり
ドラァグクイーンというのは単なる性的指向のもうひとつ向こう側にあるのではないか?と
特に日本人的な感覚だと、
たとえばじいちゃんの葬式にガングロギャルがそのままきたら
眉をひそめる大人たちは差別主義と非難されるべきなのかと
多分、
眉をひそめる大人たちは差別主義と非難されるべきなのかと
多分、
それとこれとは違うよというのだろうけど
どう違うのか詳細説明をしてくれなとわからない
たとえば全身刺青を入店お断りの入浴施設に対しても
どう違うのか詳細説明をしてくれなとわからない
たとえば全身刺青を入店お断りの入浴施設に対しても
差別的と思うのだろうか
人を外見で判断するなという言葉は
キレイゴトですらないという歴史が日本にはある
例えば、なぜか未だに美化されるつっぱり文化
彼らはあきらかに個性的でありたいよりも
キレイゴトですらないという歴史が日本にはある
例えば、なぜか未だに美化されるつっぱり文化
彼らはあきらかに個性的でありたいよりも
威嚇という意図をもって装っていたし
(むしろ個性はねーし)
全身刺青らをするような方々が
(むしろ個性はねーし)
全身刺青らをするような方々が
じっさいにはどのような人かと
夫婦別姓の問題でも
概ね、そっちに向かうのが正しいとは思うのだけど
議論を見聞きするにつけ
子供がとまどわないか?という問いに
すでに同棲など未婚カップルの子供が存在してるのだから
いまさら説明の必要はないというのだけど
ほんと?
子供がとまどわないか?という問いに
すでに同棲など未婚カップルの子供が存在してるのだから
いまさら説明の必要はないというのだけど
ほんと?
と思ってしまう。
リベラルであたまのいい方々というのは
時にバカをおいてけぼりにする
それはそれで保守の差別的な方々とかわんなくね?
とちょっと悲しい気持ちになるのだ。
時にバカをおいてけぼりにする
それはそれで保守の差別的な方々とかわんなくね?
とちょっと悲しい気持ちになるのだ。
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