偽史倭人伝 ~ Carnea Historia

march madness の次が April Foolなんて小粋ぢゃないか。

尾崎豊が生きていたら裁判員をやっただろうか?

2008年04月30日 15時26分14秒 | ◎ツッコミ思案neo
「おもいッきりイイ!!テレビ」の「今日は何の日」は尾崎豊の追悼式だった。
カリスマっていうのはこういう時に使うんだよなと思った(笑)
最近は「人気」とか「トップ」とかの代わりに使われ、へたすりゃ「新進気鋭」とか「実力派」とかまだ世に出てきってないような人への形容にまで使われる。

 “好き”とか“嫌い”とか“正しい”とか“間違っている”とかは別にしても、世の中の一定規模の層にアピールして“煽った”という点においては尾崎豊は間違いなくカリスマだっただろう。

 そのコーナーの中で“カリスマ編集者”の見城徹氏が生前の尾崎について語っていたのだが尾崎は
「トレンディドラマの主題歌をやりたいんすよ」
と言ってたそうな。
 見城徹氏は「お茶目なところがあった」で片づけていた。さすが“カリスマ編集者”、“編集”がうまい!。

…でも、あれだけ若者が煽られたことを考えればこれって重要な発言ぢゃねーのかな。

 固定化されたイメージ悩んでいたという“晩年”のエピソードを考えるれば、そもそも信者たちは大勘違いのもとに崇拝してしまってたんぢゃねーのか…っていう。
 あの反逆ソングも単なる若気の至りで、実はオシャレな横浜銀蠅、あるいは泥臭すぎた佐野元春にすぎなかったのかもしれない。

 まぁ、文学だろうと音楽だろうと作品というのは世に出た瞬間から作者の手を放れるっていうからファンがどう解釈しようとし自由なのかもしれないし尾崎の歌によって救われたと感じる人が多数いたのならWIN WINで結果オーライなんだろうけど、繊細な彼がそのギャップに追いつめられての死という結末だとしたらどんなもんだろう。

 “救われた、救われた”というファンの念仏が皮肉にも尾崎を死に追いやったってことはないのかな?

 ここで「オマエに尾崎の何がわかる」と信者につっこまれたところで、その時点ですでにハナシは噛み合ってないと思うのだけど、じゃあさ、ファンと尾崎は噛み合ってのかな?…とふと思うのだ。

 じゃあ、まぁ、これはこれとしても実体のないイメージが大衆を動かすのってなんかこえーなと。
“崇拝”とは逆の場合だってあるわけで、その結果として重大な事件が起こっても連帯責任は無責任よろしく一人一人の人間は重大なことに関わってしまったという自覚は残らないんだろうな…と。

 まぁ、またもやマスコミの演出に煽られる大衆心理と裁判員制度というテーマがアタマに浮かぶ…最近それがいろんなところから突然飛び出してきておそってくる…

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