NHKのボキャブラリー(NHK技術研究所見物記 其之壱)
かつての“追っかけの聖地”といわれた東京メディアシティ・スタジオから程近…くもなく歩くとけっこう疲れるがバス代に210円払うのも勿体ないくらいの位置にあるNHK技術研究所。ここでで年一回、技術研究の成果を一般公開するという知る人ぞ知るイベントがある。
最終日の日曜日に行ってきた。
技術はちょっと面白いと思ったが説明スタッフにカチンときたブース。
それは「インテグラル立体テレビ」
複眼レンズで撮った像を複眼レンズで投影すると裸眼で立体画像が見られるというもの。
ひとしきり説明を聞いたあと
「…いわば目の錯覚を利用してるわけですね?」と合いの手を入れたら
「錯覚?フン、錯覚ぢゃないっすよ」とハナで笑いやがった。
ここの敷地には社員のための研修施設もあるらしいがNHKの職員は技術研修の前に日本語と最低限の礼儀を学んだほうがよさそうだ。
そもそもコンピューター画面のピクセル画像からして「目の錯覚」を利用したものだというのは周知の事実。アンチエイリアスなんて錯覚利用の極みぢゃないかよ。
まぁ、100歩譲って、印刷の網点とピクセルに関しては“基準”としてあえて外したとしてもほとんどの(というか多分すべての)「立体視」という試みは錯覚を利用したものだ。
ましてやこの「インテグラル立体テレビ」の撮像(撮像ではなく投影レンズのイメージな気もするが)の打ち出しというのを見せてもらったら人間の顔の唇の部分のレンズには1つ1つに小さな唇が映っている。
近くでみると唇の大集合なのだ。それが離れてみるとひとつの唇に見えるのだから、これを「錯覚」といわずになんというのだろう?
このエリートくんは
「アタマのいいオレ様たちの偉大な研究をおまへら低学歴の貧乏人の“気のせい”でかたづけるな」
といいいたかったのだろうと思う。
でも「気のせい」と「錯覚」は違うのだ。
技術職といえどもマスコミというコミュニケーションに携わる人間なら最低限の日本語と礼儀を身につけて欲しいモノだ。
もし彼が自分のことをエライと思ってるのだとしたらそれこそ気のせいだ。
かつての“追っかけの聖地”といわれた東京メディアシティ・スタジオから程近…くもなく歩くとけっこう疲れるがバス代に210円払うのも勿体ないくらいの位置にあるNHK技術研究所。ここでで年一回、技術研究の成果を一般公開するという知る人ぞ知るイベントがある。
最終日の日曜日に行ってきた。
技術はちょっと面白いと思ったが説明スタッフにカチンときたブース。
それは「インテグラル立体テレビ」
複眼レンズで撮った像を複眼レンズで投影すると裸眼で立体画像が見られるというもの。
ひとしきり説明を聞いたあと
「…いわば目の錯覚を利用してるわけですね?」と合いの手を入れたら
「錯覚?フン、錯覚ぢゃないっすよ」とハナで笑いやがった。
ここの敷地には社員のための研修施設もあるらしいがNHKの職員は技術研修の前に日本語と最低限の礼儀を学んだほうがよさそうだ。
そもそもコンピューター画面のピクセル画像からして「目の錯覚」を利用したものだというのは周知の事実。アンチエイリアスなんて錯覚利用の極みぢゃないかよ。
まぁ、100歩譲って、印刷の網点とピクセルに関しては“基準”としてあえて外したとしてもほとんどの(というか多分すべての)「立体視」という試みは錯覚を利用したものだ。
ましてやこの「インテグラル立体テレビ」の撮像(撮像ではなく投影レンズのイメージな気もするが)の打ち出しというのを見せてもらったら人間の顔の唇の部分のレンズには1つ1つに小さな唇が映っている。
近くでみると唇の大集合なのだ。それが離れてみるとひとつの唇に見えるのだから、これを「錯覚」といわずになんというのだろう?
このエリートくんは
「アタマのいいオレ様たちの偉大な研究をおまへら低学歴の貧乏人の“気のせい”でかたづけるな」
といいいたかったのだろうと思う。
でも「気のせい」と「錯覚」は違うのだ。
技術職といえどもマスコミというコミュニケーションに携わる人間なら最低限の日本語と礼儀を身につけて欲しいモノだ。
もし彼が自分のことをエライと思ってるのだとしたらそれこそ気のせいだ。
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