すみれの乳がん日記

2008年8月に温存手術した乳がんのリアルタイム記録。「退院時何を着て帰れるの?」そんなことが書いてあるよ。

消化器内科受診

2011-03-30 14:25:08 | 乳がん温存術後
月曜日に、消化器内科を受診してきました。

2カ月前、きれいに基準値内におさまっていた数値ですが、
今回はコレステロールが少し高めでした。

地震ストレス?
もしかしたら、野菜が不足気味だったかもしれないです。

頭がくらくらすることがあるので、貧血なのかと思いましたが、
数値は正常でした。
ドクターは地震酔いじゃないの?とおっしゃってました。

*-*-*-*-*

昨日は震災後初めて地下鉄にのりました。

まだJRには乗れません。

冷静に。普段通りに。と思いますし、
子らの前には平静をよそおっていますが、
ついつい不安になってしまいます。

東京にいて、恵まれた生活をしながら、
何を甘えているか・・・
とおしかりを受けるかもしれませんが、
正直な気持ちです。

元気に笑顔で前をむいてっ!!

私は被災地の方々のために何をできるのか・・・

まずは、ちゃんとした生活をすることです。
せめて節電・・・
ますますがんばります。

切るか切らないか

2011-03-24 22:48:17 | 乳がんつれづれ
私が手術した当時のザンクトガレンの標準治療では
「手術」は当たり前でした。

温存の場合の円状切除ももっともポピュラーなやりかただったと思います。

でも、本当にその方法でよかったのか?

手術して2年半たった今、
どうしてもう少しちゃんと勉強をして
切らないですむ方法・・・
もしくは傷が残らない方法を探さなかったのだろう・・・と、
正直後悔しています。

温存といっても、
結局左右の形は大きく違いますし、
たぶんだんだんに形が崩れてきているんじゃないかと思われます。

命が助かったんだから、
何いってんの。と思うべきなのかもしれませんが、

もっとステージが高い方が
抗がん剤と放射線とAHCCでがんばってらっしゃって、リンパ節のしこりは消え、
抗がん剤の効果が上がっている。
なんて話を聞いたりすると、
へこんじゃったりします。

AHCCを知ったのは、
手術後2カ月くらいたってからだったので、
仕方ないとはいっても、
術前に知っていたら道が違っていたのかもしれません。

私は傷をまだ乗り越えていません。
患側の腕もなんだか不調です。
患側左手で重いものを持たないために、
いつも右手ばかりで重いものを持っていたら、
体が歪んできてしまい、ここ半年はひどい腰痛に悩まされています。

乳がんは手術後から始まる・・・

先が長いです。

たぶん私はケロイド体質で、
傷の色がいつまでも残っていることで、
いまだにかなり目立つ
ということもあるんだと思いますが・・・

でも、傷を乗り越えたとしても、
浮腫はずっと残ります。

ここ1週間ほど、傷まわりが痛く、硬くなったり違和感があったりすることもあって、
少々後ろ向き発言ですみません。

でも、これから手術の方・・・
方法を本気で勉強してみてください。
切らずにすむなら・・・
傷が残らないですむなら・・・

とはいえ、自分はすでに切ってしまったわけですから・・・
この自分を受け入れ、
少しでも前向きに
QOLをあげていくように、
努力していくしかありません。


地震から1週間すぎて

2011-03-19 22:05:18 | いろんなことあれこれ
東京の生活・・・私のまわりは一応平穏・・・というか・・・
結局私たちの区では一度停電は実施されず、
とりあえず、できる限りの節電をして過ごしております。

納豆、もやし、牛乳、水の2リットルぺットは、地震以来見ていません。

昨日までは低脂肪乳が買えるコンビニがありましたが、
今日は何もありませんでした。

とはいっても、買い物については、できる限り買いだめをしないようにしています。
今日駅前のスーパーに行ったら、うちは買わなかったけど、
トイレットペーパー、ティッシュ、生理用品については、
1家族1袋とさせていただきます。と貼り紙が出ていました。

生ものについては、野菜はもやし以外は、ほぼ普段通りに手に入りますし、
肉や魚も種類の偏りがある日などもありますが、
とりあえず、不自由なく手に入っているので、その日のおかず分だけしか買わないようにしています。

ガソリンは、今、ほぼ満タンに近い状態なので、
できる限り車を使わないようにしています。

そして、

節電は強く意識しています。
西向きのウナギの寝床的つくりのマンションの我が家は1階で
まったく太陽光が入らないので、
昼でも真っ暗な中での生活です。
家族全員で同じ部屋にできる限りいるようにして、
電気は人のいる部屋のみ。
普段は1日中廊下の電気をつけているのですが、
ひたすら電気を消してすごしております。
温水便座のコンセントも抜きました。

冷たい便座、真っ暗な廊下・・・
普段との「差」を思えば、正直、いつまで続くのか・・・と不安になったりすることもありますが

被災地の方々を思えば、
これくらいのことは、たいしたことではありません。

むしろ、今の生活こそ普段にも心がけるべきなのではないかな・・・と思ったりもします。

ただ、計画停電が回避され、いつも通りの供給が続くと、
だんだんに気が緩んで
節電を忘れてしまいそうなので、
いつも、被災地の方々のご苦労に心だけでも寄り添えるように、
意識していきたいと思います。

実は私、
まだ地震後一度も電車に乗っておりません。
月末には、大学病院に行かねばならないのですが、
小心者の私は電車に乗って遠くにいくことが怖いです。
病院から歩いて帰るルートのチェックをしておかねばです。
余震よりも、停電で電車が動かなくなった時のためです。

そうそう・・・
今日は、眼鏡を作りにいきました。
基本的には、コンタクト生活ですが、
避難とか断水とかということになった場合、
コンタクトは使えないわけで・・・
ワンデーレンズも追加しておいたほうがいいのかもしれません。

治療のための薬としては、
ホルモン剤(錠剤)
中性脂肪のための錠剤
なわけですが、
もしも、疎開?とかってことになれば、少し多めにいただいたりとかしといたほうがいいのでしょうか・・・


地震と生活

2011-03-15 10:25:34 | 放射線治療(乳がん温存術後)
東北太平洋沖地震の被害にあわれた皆様にお見舞い申し上げます。一刻も早く、少しでも快適な暮らしが戻りますように。

また、お亡くなりになったかたがたのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

*-*-*-*-*

被災地の方々とはくらべるのもおこがましいことですが、
私たちの地震体験を記録させてもらいます。

*地震当日(金曜日)*

<地震の時にいた場所とその後の動向>

夫・・・・・・・・・東京都千代田区の会社
          8階9階のオフィスはぐちゃぐちゃにものが散乱し
          壁にクラックが入ったそうです。
          女子社員の中には、階段を降りれなくなっちゃたり、過喚起症候群になっちゃったりした方もいらしたそう。
          隣の神社に避難し、16時40分ころ、帰宅指示が出て
          徒歩で帰途に就きました。
          会社の隣の区に住む私の母を訪ねてくれましたが、母は外出中でした。
          その後、当日会合予定のあった隣駅の会議室にも顔を出したそうですが、
          行政主催(区)の会議に来ていた人は、4人だけ・・・
          夫 「都心方面は大変なことになっていますよ」
          役所の人「そうですか~。だから、だれもこなかったんですね~」
          オイオイ会議やってる暇じゃないだろ!!と思ったそうです。
          家についたのは、20時20分ころでした。

義母・・・・・・・・我が家の最寄り駅近くに来ていたそうで、かえりみち、15時半ころにうちに様子を見に来てくれました。
          ドコモ同士の甥とはすぐに連絡がとれたそうで、甥の無事も確認できました。
          auの私からは、直後にメールをいれておいたのですが、それをみて、家によってくれたようです。
          無事を確認して、バスで帰宅。

母・・・・・・・・・都庁のひざもとに住んでおりますが、
          当日は、日本橋方面に出かけていたそう。
          地下鉄の運転再開を期待しつつ、駅をたどって歩いてきたそうですが、
          結局家まで歩いてしまったそうです。
          19時45分ころ、連絡がとれました。
          母は携帯を持っておらず、家の電話も通じにくく、連絡がつくまでは気をもみました。
          家は一応鉄骨入りの建物だそうですが、
          家の中はかなりひどい状況だったそうです。

私・・・・・・・・・近所の公会堂におりました。
          新築間もない建物ですので、倒壊とかはないとは思ったものの、
          全面鏡張りの壁がみしみしいって怖かったです。
          2回目の余震がおさまったタイミングで、徒歩5分の家に帰りました。
          幹線道路はふつうに車が走っており、
          信号などもふつう。周りの方はケータイをつかっていましたが、
          私は通話はできず、
          メールも自動受信しないので、ひたすら、自分たちの状況を夫に送っておりました。

長男・・・・・・・・改築直前の古い校舎の3階にいました。
          叫びだしたいと思うほど、怖かったそうです。
          長男は中2ですが、中3の先輩たちは卒業遠足でTDRに行っており、
          レストランで一夜を明かし、チャーターバスで翌日帰ってきたそうです。

二男・・・・・・・・家に一人でおりました。
          建物がL字型で、その直角の内側の部屋にいたので、
          あまり揺れを感じなかったそうです。
          とても冷静にしておりました。

長女・・・・・・・・新築ほやほやの新校舎におりました。
          まわりの電線が垂れ下がったり、通学路のブロックが崩れたりしていたそうですが、
          集団下校で、無事に16時半ころに帰ってきました。

家の様子・・・・・・たなの上のものが一部落ち、庭の物置の扉がはずれました。

<ライフライン>

電気、ガス、水道ともに、平常通り。
ガスだけは、地震のためにメーターにブロックがかかっておりましたので、
解除しました。

<お買いもの>

夕方、近所の105円ショップに買い物に行きました。
2リットルのペットボトルはその時点でうりきれておりました。
普段105円ショップではお肉などは買いませんが、
豚肉を購入。保存がきくように濃い味つけで料理しました。

<準備したもの>

水のペットボトル(500ミリを数本)
レトルトのたきこみごはん
はちみつ(たまたまあったので)
コンタクト用品
アウトドア用の食器
薬類
安全靴

などを、大きめのバッグにつめました。

夜は普段着のままで寝ました。


*2日目(土曜日)* 

朝から、水などを確保しに行きたかったのですが、
なんだか、夫に付き合わされて、東京西部の様子をみるためにドライブ!?

ようやく夕方駅近くの大型スーパーに行ったのですが、
レジ待ちの長蛇の列をみて怖じ気づき
近所のスーパーへ。

野菜はふつうにあり、トマト、キャベツ、青ネギ、玉ねぎ、ニンジンなどを買いましたが、
卵は売り切れ、
パンも少ししかなくて、フランスパンを買いました。
肉はステーキ用の牛肉しかありませんでした。
お茶類のペットを数本と、品薄ながら残っていたカップ麺
インスタントラーメンを買いました。

その後お金をおろしがてら、住宅街の中にポツンとあるセブンイレブンに行きましたが、
ここも、お弁当、おにぎり、パン、カップ麺のたなは空っぽ。
水は500ミリさえもなくて、
不思議なお茶しか残っていませんでした。
トイレットペーパーが少なくなっていたので、買いました。

そのころは、まだ停電の話も出ていなかったように思うのですが、

とにかく、米が10キロあるから大丈夫!なんて思っていたのです。


*3日目(日曜日)*

子どもたちは、東京ビックサイトのイベントに行く予定でしたが、
避難所になってしまったために、イベントは中止。
いとこの家。に遊びに行ってしまいました
停電になる。という話が出てきました。
お風呂はガスとはいっても、電気のパネルが動かなければお湯も出ないので、
とりあえず、全員お風呂に入り、
またまた買い物に出ました。

この日は時間が早かったこともあり、
上に書いた近所のスーパーで鶏肉、豚肉をゲットすることができましたが、
納豆は売ってないし、牛乳の場所もほかのもので埋まっていました。
ふりかけとか海苔なんかを買いました。

夕方、娘がどうしても外に出たいというので、
駅前のジョナサンへ。
ここは、まったく通常通りというかんじでした。

その後兄たちとも合流して、
外食・・・そのうち、飲食店は営業できなくなっちゃうかもしれないから・・・
などと、理由をつけていきましたが、
この先長いかもしれないので、お金は大切にしないとですよね・・・

帰りによったセブンイレブンには、
「食料品入荷しました」
と書いてありましたが、
おにぎりの不人気品が少々残っているだけで、
あとは、レトルト総菜などもほとんどなくて、
牛乳もなかったので、牛乳パックのウーロン茶とか、
アイスやお菓子なんかを買いました。
今のところnanacoは使えています。

停電が発表されたので、
一応輪番停電は隣のブロックの予定ですが、
ねんのため
お風呂の水をため、やかん、鍋などに水をとって寝ました。
マンションは電気がこなければ、水も出なくなってしまうので・・・



*4日目(月曜日)*

停電は回避されたので、ひたすら節電にはげみました。

夫は普段の時間に出社していきました。
普段はJRを利用していますが、間引きなので、地下鉄で行ったところ、
いつもより早くついたそうです。

会社では、関西方面からは当たり前のように注文が入るし、
片付けもあるし・・・と忙しかったようです。
こういうときくらい早くかえしてもらえるのかと思いきや、
19時30分まで拘束されていたとか・・・

夕方、娘を歯医者さんに連れていったとき、
ほかの子のお母さんが、
「私は2時半に会社を出てきたのに・・・」と、6時ころようやくお迎えにいらしてたので、
19時半に出たら何時になるのか?と心配しましたが、
普段通りに帰れたようでした。

学校は通常どおり。
区内でも、水道管がやられたところは、
給食なしの、4時間帰りなんてところもあったようですが、
うちの子どもたちの学校に関しては、
平常通りです。

娘がぐずぐずしていて遅刻したのを送っていった帰りに、
学校そばのセブンイレブンに行きましたら、
菓子パンがおいてありました。
カップ麺などはありませんでしたが、
すべて空っぽということはなくて、
インスタントみそ汁、
味のり、
ごま
を買いました。
電池はありませんか?と電池を求めてかなりの店をまわられてる方がいらっしゃいましたが、
残念ながら売り切れておりました。

ウエットティッシュ、
キッチンはさみ、
カッターなどを買い、
避難用の袋にいれました。」

午後は、雑貨屋さんに行き、
バケツを買いました。
特大1こ(小さい子なら、お風呂にもなりそうです。)
洗濯桶になるようなサイズを1こ
トイレ流し用に小さいのを1こ

夕方行った近所のスーパーは、
お肉がすっからかんになっていました。
入荷未定の張り紙があったので、
みんな買い急いだのかもしれません。

きうりを買って浅漬けに。
乾燥わかめも買い、野菜不足に備えようと思います。

停電は回避されたものの、
福島原子力発電所が使えないということは、
電気にかんしては先がみえなくて、
心配ですが、

被災地の方々に比べればこんなものは苦労にもなりません。
節電をして
これを機会に生活を見直そうと思います。

建物が安全であるならば、
家にいるための準備をすすめています。
あれこれ、買いこんでいますが、
買いすぎかも!?

先が長いので、倹約も必要ですね。