すみこのツブログ

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受け入れがたいことを受け入れる力

2018-05-07 23:07:55 | 日々の気づき
ゴールデンウィークも後半は力尽きてきて、毎日遅刻せずにセミナーに通うだけでいっぱいいっぱい。ブログを書くまでエネルギーが回りませんでした。できないことはできないと諦めて、今日は中4日の登板です(笑)。

以前の私は、「やれない・できない」状態が受け入れられず、とにかくがむしゃらに頑張るたちでした。

自分はこうありたり、〇〇さんのようになりたい、かくかくしかじかの状態を実現したい・・・と理想が高く、その高い理想と現実の情けない自分の間のギャップが受け入れられずに苦しんでいました。プライベートを削って、睡眠時間を削って、自分のエネルギーのすべてを傾けて、“とにかくできるまでやる”という姿勢で生きてきました。会社勤めをしていたころもいわゆるワーカホリック。それで病気になったような気がしています。

コーチングに出会い、NLPに出会い、自分を理解し人間について学ぶ旅路で、このやり方じゃどこにも行けないな・・・病気になったことをきっかに、何かを変える必要があると思い始めました。

背伸びして努力する、そして何かを達成する。そのこと自体は素晴らしいけれど、そこそこ達成しても決して自分にOKが出せず、また深い欠乏感や劣等感にさいなまれていました。理想がどんどん更新されて高くなり続けていました。そして、こんなサイクルをずっとずっと無意識的に繰り返してきていました。

私が無意識的に繰り返してきたこのサイクルを意識化していくと、そもそも理想が不当に高すぎることがわかりました。例えば、入社して3年くらいしかたってないのに、20年選手の大先輩と比較して、「自分には能力がない」と落ち込んだり。冷静に考えれば、なんとも不遜で傲慢な奴じゃありませんか。その先輩の17年分の人生を何だと思っていたんでしょうね、ちびっこ3年生の私は。

そして、そんなに高い理想を持ってしまうのは、自分をひどく無価値だと思っていたからだということも意識化できました。無価値なままの自分を受け入れられず、その痛みから逃げようと、理想に向かって一生懸命もがいていたのです。自分を無価値だと思っているから、「本来の私」という仮想の自分=理想の自分を作り上げます。無価値感がひどければひどいほど、「本来の私」という仮想の理想が高くなります。

そもそも理想が高すぎるから、たいていどんなに頑張っても、その理想に届くはずはなく、いつも自分に落胆します。そしてまた「できない自分」を受け入れられず、その分だけできもしない高い理想を掲げます。

身の丈のありのままの自分をそのままに見て、事実ベースで「できることはできる、できないことはできない」・・・ただそう受け止めることができれば、自分を不当に貶めることもなく淡々と経験を積んで成長できたはずなのに。「私はダメだ」vs「本当の私はもっとすごいはず」という無意識的な妄想の中で右往左往しながら生きてきました。

観点を変えれば、上記のような妄想のなかで必死にもがき苦しんでやってきたからこそ色々と成長してもこられたわけで、そういう意味では私の劣等感が私の育ての親だとも言えます。いわば「劣等感万歳!」なんだよね、劣等感さんありがとう!とさえ感じるようになりましたが・・・こんな風に思えるようになったのはごくごく最近です。

コーチングを学び始めて足掛け18年、NLPに出会い、更に深く人間について学び、これまで膨大な時間とエネルギーとお金をかけて、「事実を見る。できないときはできない。無理なものは無理だと諦める」、「できない自分を受け入れる」・・・やっと、それが少しずつできるようになってきました。受け入れられないことを受け入れることの大切さがわかるようになってきました。

今日は、下の弟と母との三人でゆっくり話をしながら食事をする機会に恵まれました。

駅まで一緒に歩きながら、弟が語り、私も共感します。

バブルに翻弄されて事業に失敗し、色々と病気を抱え、力弱く老いていく父を見ていて思うこと。
思い通りにならない人生、明日自分の命が絶えるかもしれないという恐怖、変えることのできない現実、受け入れがたいこととともに生きざるを得ない日常の過酷さ。“老い”を受け入れることの難しさと、そこにいる父への敬意。

食事のテーブルで、弟が話します。

若いころに仕事で色々失敗したここと。
当時は苦しかったけれど、そこからたくさん学べたから今の自分があることを。

才能ある若者が、「仕事ができない。自分にはこの仕事が合わないと思う」と言ってすぐに辞めていってしまうことのもったいなさ。できない自分のままそれを味わうことの意義深さをなんと説明してあげたらいいのか・・・と。

突然この世を去った自分の妻のこと。
家に帰っても、もう彼女が居ないという厳然とした現実を、どうしようもないものとして受け入れざるを得ないということを。ちょっとだけ目を潤ませながら、「どんなに頑張っても、どうしても変えられないものがある。どうにもならないことがある。それを受け入れないと先に進めないよね」と。

彼の話を聞きながら、その気づきの深さと学び広さにただただ感動します。

人間を探求することを専業にして20年近く。私がお金をかけて教えてもらい、ちまちまと気づいてきたことの何倍も深く何倍も広く、彼は自分の人生から学んでいます。

人生のすばらしさ、誠実に生きることのすばらしさを、彼を通して感じます。
ともに食事をしている、私の目の前にいるこの人の、なんと魅力的なことか。

受け入れがたいことを受け入れる力を備えている人が持つ、存在の豊かさ・おおらかさ・温かさ。
その人の輝きの大きさは、その人が受け入れている影の大きさ。

尊敬すべきわが弟から学ばせてもらった、幸せな夜でした。




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