すみこのツブログ

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私の日常をシェアします

「ファシリテーション能力開発トレーニング」やります。

2018-07-28 17:37:03 | 私の仕事
今年の9月から12月まで4ヶ月にわたって「ファシリテーション能力開発トレーニング」と銘打った独自セミナーを開催します。

複数の企業様から少数ずつ精鋭を送り出していただき、1ヶ月に1度、土曜日の朝10時~夕方19時までのセミナーを合計4回行います。セミナーとセミナーの間には職場での実践をフィールドワークとして義務付けますので、参加者の方々は4ヶ月を通じてずっとファシリテーションを意識し続け、知識を実践に移し、実践から気づきを得て、実力を磨き続けることになります。

「ファシリテーション」とか「ファシリテーター」という言葉がよくビジネス現場で聞かれるようになって何年くらいたつでしょうか?

2010年に独立して以来、組織開発のワークショップや役員会をはじめとする様々な会議でプロのファシリテーターとして仕事をさせていたただいておりますし、自分が企画・実施している教育研修でも「ファシリテーション型」を得意としています。



そして、この度は「ファシリテーション能力開発トレーニング」の講師をさせていただくのですが・・・
実は私、今年の春に本トレーニングの企画書を書く準備をするまで、ファシリテーションの書籍を1冊も読んだことがありませんでした。

もちろん、今は読んでます。(^^)
でも、それは何かを学ぶためというよりは、自分の中にあるものとの一致感を探るためです。



私は、ファシリテーションの知識やスキルを学びに行ったことも、教えてもらったことも、一切ありません。

社会人になってから、業務の一環として日常的にリアルなファシリテーションの場面を沢山見てきた、そして自分もただただやってきた、そしてなんとなくできるようになっただけです。
「教えないジャグリング」と同じかもしれません。私を育ててくれた「教えないファシリテーション」(笑)。

私が新卒入社して20年余り務めた企業は外資系の広告代理業でした。

日本人・外国人、社内の人・社外の人・プロの人、先輩・後輩、様々なファシリテーターの仕事ぶりを沢山見て、その人の影響力と、彼ら・彼女らが作り出す場の質を体感しました。効果的な方もいれば、なかなか機能していない方もおいででした。同じ人でも、ある時は巧くいっていたのに、別の機会には苦慮しているということもありました。そして、見よう見まねで、ただやってきました。

効果的なマーケティング戦略や実施策、広告コンセプトやコピー・デザイン・TVCMなどは、もちろん優れたマーケターやクリエーターの才能の発露ではありますが、それを水面下で支えているのはチームワークです。

独立系の巨星のようなクリエイターと仕事をする場合には、満たすべき前提条件を全て彼らにインプットして、”あとは2週間後を乞うご期待”といった運びとなります。でも、そんなゴージャスな体験は、よっぽど切羽詰まらなければさせてもらえません。
通常は社内の、年齢も経験も時には国籍もばらばらの、専門性が異なるスタッフ同士がチームを組んで、ああだこうだと何度も会議を重ね、そのアウトプットをキラリと光る形に収れんさせていくのが私たちの仕事でした。

営業職時代・マーケター時代は広告の開発やブランドの維持・強化のために、組織リーダーのサポーターとして、あるいは自分が組織リーダーとして、部内者として、あるいは部外者としてスポンサー企業に出向いたりもして、様々なファシリテーションをしてきました。社員教育担当時代・役員職時代は、自社の社員と組織のために、自分でやったり、人に任せたり。チームの会議の質はそのまま業務の質の、ひいては社員と組織の将来像の写し鏡となりました。

会社員時代から独立して今に至るまで、私が「ファシリテーション」の実践に費やしてきた時間は、おそらく10,000時間をゆうに超えるだろうと思います。

2001年からコーチングを学び始めたことも、2006年~2013年までコーチ21(現コーチ・エイ)のCTP(コーチ・トレーニング・プログラム)で電話会議システムを利用した音声のみの50分程度のテレクラスの実践を何百時間もやってきたことも、リソースになっていると思います。2008年にNLPに出会ったのをきっかけに、自分を通じて人間に対する探求を続けてきたたこともまた、別の意味でのリソースになっていることでしょう。

私のファシリテーターとしての仕事には、これらすべてのリソースの集積が混然一体となって表れているのだと思います。「やればできる・何とかなる・その場で最もよい解が自然にひらめく」そんな自己信頼があります。

しかし、私にとっての大きな問題は、ほぼすべてが無意識化されていること! 

自分が何をどうやって、どのようにしているのか、ほとんど意識化せずに、ただただやってきただけだから。
何がいいのか悪いのか、それはどうしてなのか、考えてみたことも、ましてや、きちんと体系立てて人に説明したことなど一度もありません。

今回「ファシリテーション能力開発トレーニング」をご提供する上での私の大いなるチャレンジは、自分が何気なく無意識的にやっていることを、しっかりと意識化し、それをできる限りシンプルにわかりやすくお伝えすることです。
セミナーに期待して、学びたいと思ってきてくださる方々に、私の持っている全てをお伝えしたいと思っています。

それを意識化し、どうすれば伝わるのかを編み出すプロセスで、きっと私自身が最も深く学習させていただくことになることでしょう。

このセミナーにお集まりいただく受講生の方々と、アシスタントとしてサポートして下さる方々、会場をお貸しいただき集客にご尽力いただきました新光電子株式会社の森井社長に、そして、私をここまで育てる無数の場と機会を与えてくださり、モデルとなって下さった数えきれない方々に・・・

心からの感謝をこめて、準備に当たらせていただきます。

「ただやる」充実感

2018-07-22 22:28:45 | 活動報告
今日は、例の「教えないジャグリング」の日。朝10時に駅の改札口に集合。
15分ほど歩いて公園のひんやりした木陰にたどり着くまでに既に汗が噴き出す暑さでした。

日陰を選んでスタートしたはずなのに、始まったらそんなことどうでもいい(笑)。

全身汗みずくになりつつ、超集中。
水を飲む以外、「あと5分で終了ね」と声がかかるまで、ほとんどノンストップでした。

はっしーのデモを何度か見ただけで、10分ほど自分で練習したらあっという間にできるようになってしまった方もいれば、なかなかコツがつかめずに苦労していた方もいて、でも参加者はそれぞれに充実した90分を過ごしました。

ランチのお蕎麦を食べながらある方がつぶやいていた一言に、ぐっときました。

「いや~、できなかったねぇ。ま、絶対できないだろうなとは思ってたんですけどね、来てみました。いい体験でしたよ。今まで、自分がどれほどできることだけにしがみついてきたのか・・・自分のできることだけをやって、それで周囲に圧を掛けていたんだなぁ」。

そうそう、そうですそうです、それ、まさに私のこと。そして、いつも「できない自分」を感じるのが嫌でした。

でも、今日は、なぜだか・・・できないことをやるのが、全く嫌じゃなかったんです。

不思議な感覚。

「結果を出さなきゃ!」みたいな焦燥感や、人との比較から自由だったからでしょうか?
はっしーと参加者の皆さんが作ってくれた、
なんとも居心地のよいニュートラルな空気感も重要だったかもしれません。

びっくりしたのは、人ってほんとに「やり方」が違う!ってこと。

人それぞれ、学習と習得の仕方が千差万別だということは、コーチングを学び始めたころ、あるいはNLPのプラクティショナーコースで、優位感覚や学習タイプなどのセオリーを聞いて、そりゃそうだよねと思っていたし、よく知っているつもりだったのですが・・・いや~こんなに顕著とは。

同じデモを見て、そこから自分で構築していく学びのプロセスもスピードも“違い”が歴然。

ビジネススキルや仕事の習得では、ここまでわかりやすい形で違いが浮かび上がって見えることもないですよね・・・
百聞は一見にしかず!
こんなにも違うんだから、人と比べて自己否定を感じるなんて、全くもってナンセンス。

ジャグリングをコーチしてくれたはっしーは、その一人一人の違いに寄り添って、見守りながら暖かく支援のエネルギーを送りつつ、“ザ・個別対応”。

一人でぐんぐん探求していく人には、あえて放置。
ときどき、「いい感じですね~」・・・「あ~、もうできてるぅ」。
しばらくすると、「おおっ!難しいほうの投げ方でやってますね・・・すごいね」。
もう簡単にできるようになっちゃってそろそろ飽きてきた感じがするころに、「こういうのもありますよ」と上級編をデモンストレーション。興味を更に喚起します。

苦戦中の私には、「右手がどんな投げ方をしたら、左手が受け取りやすい?」とか、「今どこに向かって投げようとしている?」とか、タイムリーに質問を投げかけてくれます。他にも、はっしーが私の左手の役をやってくれながら、巧くいっている時のイメージを体感させてくれたり。

そのおかげで、
自分の中から湧いてくる、「あ!わかった!」の喜び。
一人で自販機に水を買いに行って戻る道すがら、ふと「あ、こういう風に練習してみよう!」と
ひらめき💡がピッカーン。

結局、私は今日の90分でマスターはできなかったけれど、できないのにこんなにやる気が続いて楽しかったのは、記憶にありません。・・・きっと記憶が定着しないころの、うんと小さな子供のころはこうだったんだろうな・・・

ただやる!って決めて、試行錯誤に集中して、ちょっとずつできるようになっていく。その変化が嬉しい。
急に壁を超えたように感じて、またしばらくすると停滞して、また、あ!💡ってきて。
みんな、楽しかった、楽しかった。お昼のお蕎麦もおいしかった(^^)

そして、そして・・・ちゃんとブログで報告しようと思っていたにもかかわらず、またやってしまいました。夢中になりすぎて、気づいたら一枚も写真を撮らずに終わってしまい・・・帰り道にやっと気づく始末。(愕)

私が使った、母のお手製のお手玉の写真でご勘弁。
芝生に何度となく落下して、朝は新品だったのに、既にかなり汚れてしまいました。



今日家に帰ってからもう一つ発見したのは、自分の根本的な気質。

終わってからも、ずっとやりたがってるのよね(笑)。

お昼を皆さんと一緒にいただいて、駅までお送りしてお別れし、その後はっしーとお茶してから家に戻り、シャワーを浴びて・・・「さあ、ジャグリングの練習!」だもんね(笑)。他にやるべきことが一杯あるのにさぁ・・・

この集中状態の持続力と、やり続けることそのものに引き寄せられるのは、私の体力の証?
それとも、私のプログラムなんだろうか?

プログラムよね・・・そうかもしれない・・・
そういえば、右手の手首や両足のハムストリングに筋肉痛の気配・・・

そう気づいても、なかなかやめられない。

なかなかやめられないことに気づいて、やっぱりプログラムだ!と答えが出て、
今日はここまでで良しとしよう!と、やっとこさ意思の力でブレーキ掛けました。 

2個をきれいに、投げる・投げる・キャッチ・キャッチをリズミカルに美しい放物線でできるようになったから。今日の練習は終了と決めて、別のことに意識を向けました。

今これを書きながら、何回か続けたら、きっとできるようになる・・・そう感じつつ、今日はおやすみなさい。

はっしー、皆さん、素晴らしい体験を、どうもありがとうございました。

お母さん力はマネージャー力

2018-07-18 15:58:36 | キャリア形成
以前会社勤めをしていたとき、ワーキングマザーを部下に持つ経験が何度かありました。人事という仕事柄、直接の部下ではなくても、働くお母さんたちの悩み事はよく耳に入ってきました。今は女性活躍推進のお仕事柄、多くのワーキングマザーの実情を伺います。

育休明けのワーキングマザーの大変さについては少し前に書かせていただきましたが、その嵐を乗り越えた後もなお、彼女たちの日常にはとにかくストレスが多いもの。

主に子供を持つ前と圧倒的に変わるのが、時間的な制約を背負って仕事をしなければならないという点で、全てのストレスはそこから生まれているといっても過言ではありません。

・以前のように思う存分残業ができない。
・上司や同僚が残業をしているのに、自分だけ早く帰ることへの罪悪感がある。
・やりたいと思うレベルまできっちり関わったり、仕上げたりすることできない未消化感がある。
・引き受けてもやり遂げられるか不安で、責任のある仕事に踏み込むのが怖い。
・チームメンバーから“無責任だ”と冷ややかな目線を浴びることがあるのが辛い。
・時短だから給与も低くなっているのに、周囲はそんなこと知らずにいるのが悔しい。
・自分自身の貢献度が低いと感じられて、自己効力感が下がる。
・専業主婦と比べて、自分の母親としての子供への関わりが不十分だと感じて自分を責める。

上げればきりがありません。

実際、時間の制約なくやりたいだけ仕事ができる環境にいる方と比較すれば、物理的・心理的に負荷が高いのは当然のことですが、「職場の仲間からこう思われているんじゃないか・・・」、「子供がこう感じているんじゃないか・・・」が頭の中を駆け巡り、事実はどうなのかを確かめることもなく、自分で作り上げた想像の世界で余計に苦しみが増している方も多くおいでです。

でも、そんな苦しい葛藤の時期を4・5年も過ごすと、彼女たちは見違えるほどたくましくなります。

時間的制約という否応のない障害と向き合って、それでも何とかしなければならない窮地に追い込まれた彼女たちは、底を打って、自然と働き方・考え方・生き方のイノベーションを起こせるようになるからのようです。

全てを一人でやらなければ・・・という気負いから解放されたり、言いにくいから避けてきた話を率直にできるようになったり・・・

・実家やご主人両親とうまく連携して、ばあばやじいじを動員した“子育てチーム”を確立する
・ご主人としっかり対話して、パートナーシップをアップグレードする
・ママ友のネットワークの助け合いを充実させる
・2重保育の良好なサポートを探しだす
・自分ができる範囲がどこまでかを賢く判断し、無理なことを誠実に断る
・有料の家事代行サービス・最新の家電やタイマーを活用して、時間管理の達人になる
・子供にお手伝いを動機付けながら協力者に育成する


いつの間にか強くなった彼女たちは、そこに至るまでのプロセスで課題処理能力・柔軟性・対人影響力などを拡大しています。

・プロジェクト(家に帰ってから子供に食事をさせてお風呂に入れて寝かしつけ、洗濯や掃除をこなす平日5日分の業務)の先を見越して、必要な工程を具体化・細分化して適切に段取りする力
・状況を共有し、ステークホルダー(じいじ・ばあば・ご主人・保育園のママ友など)に役割を振り当て、彼らの理解と協力を獲得するコミュニケーション力
・思い通りにならない状況(はきはきと朝ご飯を食べない・保育園に行く道すがらうんちをしちゃうなど、いろんな事件がおきますね)を受け入れて、最善を尽くして乗り越える力
・思い通りにならないけれど、投げ出すこともできない愛すべき相手(子供やご家族)と忍耐強くかかわる力
・不測の事態(子供の発熱で保育園から電話がくるなど)に備えて、いつもプランB・プランCを想定しておく力。そしていざというとき、快く協力してくれる人のネットワークを維持・強化する力。

仕事は誰かに肩代わりしてもらえても、母という役割を果たせるのは自分だけ・・・大切な人のために腹の座ったお母さんほど、強い人はいないでしょう。

逃げることができないリアルな人生で実力をつけてきた彼女たちは、会社でちょいちょい起きることにはびくともしなくなります。淡々と根回し、臨機応変に機転を利かせ、明るい笑い声とともに、各々の強みを発揮して、ごく自然に非常に高いパフォーマンスを発揮します。
 ・限られた人・モノ・金でなんとか回さなければいけないプロジェクトマネジメント
 ・ちょっと厄介なステークホルダーを味方につける
 ・突発的な事件や難局を乗り越える
 ・言うこととやることが食い違う後輩を見守りながら育てる
などなど。

彼女たちはチームメンバーや部下の心理や体調に敏感です。
最近なんとなく元気がないのはどうしてだろう? 気になったらランチに誘って何気なく聞ないてみる。これはヤバイと思ったら、すぐに上司に相談したり、必要な支援を提供しようとする。

細やかだよな・・・優しいよな~!

彼女たちは、人と深く関わります。
少し前に久しぶりに話す機会のあった女性。周囲となかなかうまくつながり合えないチームメンバーに対して、「これまでに色々あったからね、本来はあなたも被害者なんだよね、苦しいし怒りがあるよね・・・」という理解と共感を言葉にしながらゆっくり相手の話を聞いた後、本当にその人のためを思って一言伝えたとのこと。「同じことを言い続けても、もうこれ以上先はないよ。ここでしゃっきり主体的にならないと!自分の為にならないよ。」

優しいよな~、そして、その上での厳しさが、なんとも暖かい。

彼女たちは、余裕があります。
女性のキャリア研修で受講して下さったある女性。2人のお子さんのママさんです。 少し前にも別の研修でご一緒したこともあったので、休憩時間にカジュアルにお話しました。「最近仕事はどう?」と何気なく尋ねた私に、「家より会社の方がうんと楽です~。子供と違って、言葉と理屈が通じる、話せばわかってもらえる大人が相手ですからね」とにっこり微笑みました。

強いな~!

こういう人材がマネージャーに増えると、その組織は確実に良くなりますよね。人が元気になりますし、おのずと成果も上がるでしょう。

彼女たちが組織の中で役職に就き、更に伸び伸びと力を発揮していくには、上司の協力や制度の改革、そしてなにより働き方の文化を変えていく組織ぐるみの大掛かりな転換が必要であることは言うまでもありません。一朝一夕に大きな変化が起きるものではないでしょう。

しかし、今すぐにでもできることもあります。

それは、ワーキングマザーたちが持ちがちな、母であることとビジネスパーソンであることは、全く別のことだという思い込みを取り除くこと。

彼女たちに、今の自分の力をありのままに見て、自信を持って仕事に取り組んで欲しいものだと感じます。そして、彼女たちが組織や周囲に向かってしっかりと自己表現していかれるヒントやスキルをお伝えするサポートができる自分の仕事の広がりに、私は大きなやりがいを感じています。

私が女性たち向けの研修で、いつもの大きな声をもっと大きくして力を込めてお伝えしているフレーズ、「お母さん力はマネージャー力」。


【引きこもりさん】×【成果第一主義さん】の無意識コラボ 

2018-07-11 23:15:01 | 日々の気づき
意識的に選択することなく、無意識に自分の慣れ親しんだお決まりのパターンを繰り返してるよな~・・・
また痛感する出来事がありました。

以前ブログにも書きましたが、私の中のかなり有力な人格のひとつに、“引きこもりさん”がいます。

【引きこもりさん】は、できればずっと家でダラダラ過ごしたい人です。

知り合いともあまり関わりたくない、もちろん知らない人は得意じゃない。
おしゃれにも、成長することにも、成果を上げることにも特に興味はありません。

【引きこもりさん】、買い物や食事など、どうしても外出を伴う行動が必要な場合は、極力馴染みのあるエリアやお店の選択肢で出来上がった小さくて安全なお庭の中で動き回ります。

筋金入りの方向音痴だという自己認識も手伝って、知らない土地に一人で出向いたりすると、【引きこもりさん】は警戒心を強くして、一層引きこもり傾向が強くなります。【引きこもりさん】の人生に旅行は必要ありません。

私が一人で初めての土地に出かける出張は、【引きこもりさん】が前面に登場する顕著な環境です。

実際のところ、出張の場合は仕事が目的ですから、基本的には【成果第一主義さん】が覇権を握っています。

【成果第一主義さん】は、私の中でも最も優勢を誇る人格です。成果を上げること・わき目もふらずにやり切ることへの執着が強く、私に今のキャリアを築かせてもくれましたが、私の肉体が悲鳴を上げても聞く耳を持たず、健康を害して入院を余儀なくされるまで私を引きずり回す苛烈な人です。

で、今回なるほど~と思ったこと。

一人で出向く出張という環境では、成果を上げることだけに集中したい【成果第一主義さん】さんと、外に出たくない・冒険したくない【引きこもりさん】の利害関係が見事に一致して、2人がしっかり手を組むんですね。

【成果第一主義さん】がする出張は、仕事のために余儀なくされる職場の移動。

仕事の前夜に現地について、すぐにホテルでお風呂に入って、寝て、翌日仕事に集中し、やることが済んだらさっさと帰宅するのが当然。移動した先の駅(あるいは空港)・ホテル・仕事先の三角形の頂点を結んで効率的に動くのが是。その三角形から逸脱するなんて無駄なことでしかありません。会社員時代も一人で出張する機会が多く、国内出張だろうが海外出張だろうが、かれこれ30年近くそんな感じで生きていました。

例えば国内出張なら、出かける前はギリギリの時間まで家や都内で仕事をして、早くても18時台の新幹線で移動。夕飯は車中でお弁当というのが定番。(そうそう、飛行機も怖くて嫌いです。物理的に陸路で行ける所なら 4時間くらいまでなら飛行機よりも新幹線をとります。)新幹線のお弁当が売り切れていて無いときには、着いた先のホテルでルームサービスを取るか、ホテルの建物の中にあるレストランで済ませていました。

知らない土地で極力外出を避けたい【引きこもりさん】は、【成果第一主義さん】さんの強い影響力にコバンザメのようにひっついて、自分の思いを達成できるわけです。

そんなことを、ひたすら何年も何十年も、何の疑いもなく無意識的に繰り返してきた私にとって、結構な衝撃を受けて「生き方を変えよう!」と思わされた事件がありました。

ちょうど去年の今頃です。「出張を旅として楽しむことにしている」という仕事仲間の話を聞きました。

その方は、出張の機会があれば自費負担をしてでも前泊にして、午前中から移動して現地に入り、ランチも夕食もそこでとる。その土地の人や食べ物、街並みや空気に触れて、ショッピングさえも楽しんで、その土地を感じてから翌朝仕事に向かうとのこと。
「仕事先でも、前日の体験を共有することで、初めての方ともすっと親密な関係性を築けるし」。

「へ~・・・、なるほど~・・・、そんな生き方があったんだぁ」と、口あんぐりになった私です。

なんだか、自分が超ちっぽけでつまらない人生を生きているように思えました。

引きこもってないで、成果・結果だけに血道を上げてないで、私も人生のプロセスを楽しもう、新しい土地や人との出会いに対して自分をオープンにしよう! と強く感じた瞬間でした。

そのおかげで、一人の出張でも早めの時間に移動して、夕食も着いた先でホテルから外出してとるようにはなりました。初めての土地で、初めてのラストランに一人で地図を見ながら出かけて、迷ってもなんとかたどり着き、その体験をそれなりに楽しめるようになってきて、でもって、生き方が変わったような気にもなってたんですよね。(^^)

しかし、その自己認識はまやかしだったことが露呈しました(笑)。

話は長くなりましたが、今日のお夕飯の選択はこれ。



行きの東海道新幹線の中から、夕ご飯は鰻と決めていました。
今から思えば、そりゃ、無意識的な欲望の選択です。
ちょっと贅沢しよう!暑いしな・・・ 夏はウナギで精をつけないとね!なんて後から理由付けしていましたけど。

宿泊先のなんばでまずはホテルにチェックイン。2回ほど利用したことがあるホテルなので、地図も見ずに徒歩で行かれるところをウロウロ。でも、鰻屋さんは見当たりません。
ショッピングモールの中のレストランのサインボードを目で追っても、特に他に食指が動くものもなく・・・

もう少し歩いて進むうちに何気なくふらりと高島屋にはいり、エレベーターでレストラン街に上がっていました。

「そうだ、去年もここで鰻を食べた気がする~。鰻屋さん、ここには絶対あるはず!」と、ちょっと光明が差してきて、そしてとうとう鰻にありつきました。

ここまでの行動は全く無意識。

私が正気を取り戻したのは、メニューのオーダーを済ませてコース料理の一の膳が来たとき。

お箸袋に注目~☆




なんばまで来て、わざわざ日本橋が本店の高島屋に入って、そして「東京の鰻」ってねぇ、どうなん?(笑) 
無意識とはいえ、大阪にケンカ売ってますよね。

更にさらに、去年なんばにきた時と全く同じ行動をしてるじゃありませんか!(愕)
【引きこもりさん】の差し金、恐るべし! 
お店に入ってコースのオーダーするまで全く気づきませんでした。

ちーん。

生き方変えたつもりだったのに、ぜ~んぜんです(笑)。

その土地の人や食べ物、街並みや空気に触れて、ショッピングも楽しんで、その土地を感じてから翌朝仕事に向かう・・・出張を旅として楽しむ・・・

ならば、まずはその土地に興味関心を向けるところから始まるはずですよねぇ。何を食べたいかも、ちゃんとその土地をリサーチしてから決めるでしょ! 

【引きこもりさん】に乗っ取られていた私は、レストラン街のサインボードに沢山のっていた、大阪ならではのお店にま~るで関心を持ってませんでした(汗)。

自分がなじんだ小さなお庭で、先が読めて、できるとわかっていることをやってる・・・
全然変わっとらんね~、すみちゃん。

おいしい鰻をほおばりながら、現実からのフィードバックに向き合うひととき。

最後に登場した、優しい3粒のサクランボさんの癒しと励まし。



「明日からまた頑張ればいいよ~♪」

あまりのおいしさに、一気に食べきっちゃう~・・・前に、感謝をこめて、シャッター押しました。

サクランボさんも、うなぎさんも、みんなどうもありがとう。




この1週間~波立つ海面と静かな深海~

2018-07-07 10:54:49 | 活動報告
前回のブログをアップしてから、あっという間の一週間が過ぎました。

たった1週間なのに、あまりに色々な体験が満載で、1ヶ月くらいたったように感じます。
体験するのにいっぱいいっぱいで、振り返ったり、まとめてブログにしたりする余裕がありませんでした。

今朝少し落ち着いてつらつらと思い返すと、大嵐で波立ったり太陽を受けてキラキラ輝いたりの千変万化の海面と、変わらず静かな深海の感覚が、この1週間は同時に存在していたように感じます。

かなり久しぶりに、仕事とは関係ない全くプライベートの時間を使って友人3人で楽しく語らうことのできた週末。近所に住む彼女が作り出している、この上ないシンプルな生活空間に触れた衝撃。まさに脳天を勝ち割られました。



その後ゆっくり食事をしながら行き着いた結論は、モノの断捨離=人生の断捨離。

知識として知っていたことではありますが、家(生活空間)がそこに住む人の生きざまや個性を如実に映し出す鏡であることが本当に腑に落ちました。翻って、自分の人生に必要な脂肪分と、そぎ落とすべきぜい肉部分はそれぞれどのようなものか? 新しく探求できる切り口を頂けました。

時間を決めたコーチング契約というわけではなく、昔から存じ上げている方、最近知り合いになった方と個別にランチをしながら、あるいはお茶をしながら、それぞれの方の人生の内奥部に触れさせていただく機会もありました。共感して涙したり、自分自身が癒されたり。いずれの時も、お別れした後の感覚は美術館のひんやりした回廊で集中して芸術作品の鑑賞をした日のような、表現しようのない充実感と疲労感。

人間として生まれたら、免れることができない根源的で普遍的な欲求。
その欲求が作り出す光と影が様々な体験を作り出し、その人固有の人生が出来上がるという骨格は、人種や世代を超えておそらく万人に共通。
しかし、そこに肉付けされた様々な体験や意味付けのなんとユニークなことか。

まるで一定の川の流れが撫で続けた岩が特別な形の彫刻に仕上がるように、鍾乳洞の一滴一滴のしずくが積み重なっていつの間にか特別な形の柱が立つように、人の人生は大自然が作り出した唯一不二の芸術作品のよう。そして、今この瞬間も、川に削られる岩のように、鍾乳洞の神秘的な柱のように、一人一人、少しずつ変化し続けています。

ご本人と一緒にその精緻な作品の断片の一ひら一ひらを観察したり、ちょっと離れて遠くから全体像を味わったり。
絶対にコピー作品が作れない、「その人」というARTを深く堪能させていただきました。

家族全員のスケジュールがなかなか合わなくて、伸び伸びになっていた「父の日」の集まりもありました。

4歳9か月から84歳4か月までの全員が集まって、明るいうちから見晴らしのよい場所での食事の集い。
いただいたのは焼き肉~♪ 
嬉しそうに微笑みながら、「あと何年生きられるかなぁ」とつぶやく父の喜びと切なさ。
それを受け止めて茶化す下の弟。つい最近連れ合いを突然失って、命の意味を誰より一番良くわかっているから。
小さな子供の父であるもう一人の弟。まだまだ長い道のりを視野にいれ、楽しみを感じつつ、自分の背負っている責任に気を張っています。
母としてビジネスパーソンとして様々なチャレンジを乗り越えている義妹。彼女の芯の強さは、眉間にしわを寄せるからではなく、身に起きてくることを抗うことなく受け入れているから。
そんな皆を暖かく見守りながら、なぜか子供っぽくふるまう母。この場にどういう自分でいたらいいのか、一番フィットするパーソナリティを選んでいるのでしょう。

よもやま話の深層にある、言葉にはしない皆のエネルギーが伝わってきます。
そんなに沢山食べたわけでもないのに、おなかも、そして心も健康的に満たされました。

食後、え・・・ここにこんな素敵な空間があったの?という庭園で、心地よい風に吹かれてのお散歩のおまけもついてきて、また一つ家族の大事な記憶が増えました。



もうお腹一杯・・・いえいえ、まだまだ続きます(笑)

研修やワークショップで新しい挑戦に取り組みました。

成功したケースもあれば、やっている最中に巧くいっていないとわかっていて、何とか立て直そうと諦めずにあがいたものの、その場の努力むなしく失敗したケースもあります。

失敗してしまった直後は、否定的な感情のインパクトに結構苦しみましたが、今は、失敗できてよかったと思えています。6月23日にコーチングMs’で「失敗のススメ」というテーマで登壇させていただいた経験が支えになりました。あの時みなさんと共有したことが、私のガイドになりました。



ゲストのお二方、ご出席くださった皆さん、企画からお力添え下さった小野塚さん、場を支えてくださった事務局の皆さん、改めて心からの感謝をお伝えさせてください。ありがとうございました。

「失敗のススメ」を体験していたからこそ、長い時間軸で見てみたら、今は痛いとしか感じられないこの失敗も、将来の成功のために必要な学習ができるようにするための必然的な体験だったという理解が得られました。その気づきとともに苦しみが緩んで、夜はよく眠れました。

目覚めてから、感情を脇において冷静に、何が起きていたのか・何が足りなかったのかを分析することができ、ノートに気づきを書きとめながら、なぜうまくいかなかったのかがよくよくわかりました。うんうん、あの状態で成功しちゃいけなかったんだよね。それがはっきりとわかって良かった。

そして、また淡々と次に向かうエネルギーが湧いてきます。

私の失敗に臨在して下さった方に、感謝しきりです。その方々に改めて貢献できる機会があれば、是非に。その方々とは別の方々に対しても、ここで学ばせていたただいたことを糧に臨ませていただきます。

地方出張するタイミングに合わせて、新しいお客様を訪問しました。私の大切なお客様がご紹介下さった、その方にとって大切なお知り合いです。私に何ができるだろうか、先方は何を期待なさっているだろうか・・・明確でないままお打合せに臨みました。
色々とご事情をお伺いするうちに、表面で展開している事業上の課題の一層下にある根深いテーマが自然と浮かび上がって見えてきました。



そこから扱おうと合意してみれば、タイミングも様々なスケジュールもドンピシャなことに両者びっくり。
天から「やってもいいよ」とお許しが出たように思える一方で、また一歩踏み込んで、自分の誠実さが試される機会だと襟を正します。

昨晩、出張から帰京の新幹線は未曽有の大雨の影響で大混乱。ずっとメディアに触れていなかった私は、新幹線の乗車駅についてから、その場の威容な雰囲気でやっと事態を知るに至りました。予定時刻を1・2時間も過ぎている列車がまだ入線しないことを告げている掲示板を見上げて、麻痺して無反応になっている私。

まずは自動券売機に並んで現在購入可能なチケットを買ったものの、駅員さんからその列車は運休だと告げられました。「え~、運休の列車のチケット売るなよぉ~ ・・・ も~!」と若干イラつき、目で追った先の払い戻しの窓口は何時間並べば済むのか予想もつかない人ごみ。何重にも折れ曲がった長い列。

ボーゼン。

そうだ、まずトイレに行こう!(笑)
そして、気を取り直して、静かに自分の頭の中の声を聞きました。

「仕事で疲れ切っているのに、混雑してる列車で立って帰るのはまっぴらごめん。絶対座りたい。」
「とにかく、早くホームに行って並んで!来た列車の自由席で帰るのが一番いいよ。」
「せっかく指定席券持っているのに、使わないのは勿体ないよ。自由席に乗るなら払い戻さないと・・・」
「払い戻しの窓口はめちゃくちゃ混んでるよ・・・何時間かかるか?」
「ホテルを取って今夜はゆっくり泊まったら? 明日事態が落ち着いてから帰ることにすればいいよ。ホテルの空きがあるか確認してみなよ。早くしないと満室になっちゃうかもよ。疲れてるし、こんな人ごみからさっさと抜け出して、お風呂に入って早く寝なよ。」
「何言ってんの!まだ雨は続くんだよ、明日なら帰れるって保証はないじゃん。」

私の中のいろんな価値観の人格がばらばらに意見を主張してくるので、それらを聞いていると、混乱して何が正しいかわからなくなり、全く動けなくなります。

で・・・どうする? すみちゃん。

しばし沈黙。

トイレに行った後、大混雑の駅の構内をノロノロと歩き、もう一度改札口のサインボードの前に立ちました。

さらに沈黙。

数分後、私は改札口を通っていました。「混んでても、座れなくてもいいや。払い戻しもしなくていいや。乗ってさえいれば着くし。今晩家でゆっくり寝られればOK。最初に入線してきた列車に乗って帰ろう」とだけ決めて。なんとなくいろんなこだわりを手放した瞬間。

その後は、回転が変わったかのように、自然に流れるようにスムーズ。

ホームに上がれれば、すぐ目の前に列車が止まっていて、車内の通路は混雑しているものの、指定席にはちらほら空きが見えます。列車に乗って、車掌室の外で座席の振替を待つ列を見つけて最後尾に並びました。座れても、座れなくてもどっちでもOKと思いながら。



ここでシャッターを押しながら、今までの顛末を一切撮影していなかったことに気づき、ちょっとがっかり。
ブログに上げる写真がないじゃん(笑)。不安と焦りにすっかりやられてましたね。やっと正気が戻ってきました。

結果的には発車して10分程度で無事着席。この混乱の中でも、丁寧に誠実に仕事に取り組むJR職員の方や、通路を通り抜ける人への配慮を持って文句も言わずきちんと並んで順番を待つ乗客の姿勢に感動し、何の問題もなく最速で帰宅できました。

家に戻ってテレビのニュースを見てみたら、西日本全域に及ぶ惨憺たる被害状況に愕然。真っ暗な夜に降り続く激しい豪雨、河川の氾濫、土砂災害、避難所・・・今日もまだ状況は深刻化するばかり。そこに身を置く方々に意識を向けて、ただ、ご無事を祈るのみです。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。