すみこのツブログ

直接おしゃべりできないあなたへ
私を知ってもらうため、あなたをもっと知ってもらうため
私の日常をシェアします

植え込みの中に見る私

2018-06-29 19:40:02 | 日々の気づき
5月の中旬のある日、家の近所の街路樹や道端の植え込みに新緑のエネルギーがイキイキとみなぎり始めたころ、自分の意識の焦点がある特定のことに吸い寄せられていました。

どこを見ても気になったのが、植え込みの新芽の伸び方の差です。



同じ株で、同じように日が当たり、同じように水をもらっているはずなのに、なんでこうも伸び方が違うんだろう?



とある植え込みの株に、一本だけ突出してニョキニョキと・・・
明らかに他の枝よりも太く強く長く伸びている枝がありました。
この株にとっては自然なことなんだろうけれど、この枝だけがなぜこうも異質なんだろう?



明らかに他とは違う、注目をひく特別な存在。
だからこそ、全体と調和しているとは言い難く、悪目立ちする。
他の枝に比べて風当たりも強く、この状況が続けば真っ先に剪定の対象になります。

まさに今、自分はこの枝みたいだと・・・なんとなく切ない感覚を覚えました。
 
この枝しか見えていなければ、それが一株の植物の命を他の枝と分け合っているのだという理解はありません。
でも、株全体を視野に入れてきちんと見ることができれば、この枝は一株の植物のエネルギーを、ある意味アンバランスに、いわば独占的に消費していることは一目瞭然です。

同様に、私は一つのチームの一部なのだという理解に立てば、私は私一人の力で成果を上げられているわけではないとすぐにわかります。表立って形を成しているように見える私が、表に出ることのないメンバーから、目に見えるわかりやすい形で成果を上げてはいないメンバーから、有形無形の支援をもらっている事実に気づきます。

なんとなく感じていた孤独感は少し癒え、感謝とともに、彼らから託されたエネルギーをちゃんと活かして自分の役割を全うしようという気概が湧いてきます。

5月15日にこの写真を撮影したのは、「そうだよね・・・」と気づいて、その記念の意味を込めてパシャっとシャッターを押したくなったからでした。


でも、あの時は頭で、理屈で、わかった気になっただけだったということが、今日わかりました。

この数日のいくつかの出来事で、同じ気づきが全く異なる質感で、ドスンと体に響きました。

一株のエネルギーを分け合っている枝同士なら、自分が今ここで感じていることは、当然仲間が感じていることと全く同じはずなのに、そのことがわかっていませんでした。

仲間の苦しさを感じられていませんでした。
それどごこか・・・というか、そうだからこそ、
自分の痛みにも気づけていませんでした。

ゆがんだ認識から来る、孤独と怒りと悲しみが私を満たしていたのに、
体よくマヒして、自分には問題がないと思い込んでいました。

5月15日に感じた感覚も、今ここで感じている感覚も、言葉にすれば「切なさ」。
けれど、その質感は結構違います。

あの時は、「私の切なさ」。
でも今は「私たちの切なさ」。

やろうとしていることがなかなかできない自分のふがいなさ。
やれていたつもりなのに、いつの間にか無意識的に道をそれていたことに気づいたときの衝撃。
その痛みと悲しみをしっかり感じながら、それでも意思をもって、やろうとすることをあきらめない。

目指していることは同じ。
今感じている感覚も同じ。
でも、一人一人が乗り越えようとしている課題は、各々ユニーク。

この感覚を「切なさ」と呼ぶこともできるけれど、同時に静かな強さをも孕んでいるのがわかります。

今日からまた、私にできることを、一歩ずつ。

ジャグリングと【セルフ1】と【セルフ2】

2018-06-22 21:24:52 | 意識的に生きる
何か初めてのことをやってみようとするとき。

私の頭の中には、はすぐに
「やり方がわからない」
「わからないからできない」
「やり方を教えて欲しい」
「上手にやりたい」
「ちゃんとできないのは嫌だ」
というような、【セルフ1】の心の声がワンワンこだまします。

更に・・・

すこし先に出現するであろうと予測される“巧くできない自分”の自己イメージに対して、今ここで嫌気がさして、
「それならばやらない方がよい」という判断を下すことさえあります。

【セルフ1】は、私に新しい行動をとらせないようにします。

“できなくてカッコ悪い自分”が出現してしまわないように、そのことで傷つかないようにと未然に危険を回避して自分を守ろうとする【セルフ1】のいつものパターン。

日常のちょっとしたことから仕事の大事な局面まで、長い人生の日々の生活のあちこちで、私は無意識的にこのパターンを何度も繰り返しています。

よしんば新しい行動に取り組んだとしても、頭の中には矢継ぎ早な【セルフ1】の声の応酬。
「ったく、なにやってんの?! そうじゃないよぉ!」
「それでホントに大丈夫なの?」
「あ~あ、ダッサー」
「うわ、なんでそうやっちゃうかなぁ・・・」

【セルフ1】の厳しい見張りと叱責に小突き回されている私は、常に緊張していて、いっぱいいっぱい。
新しい発想のひらめきも、のびやかな行動のエネルギーも湧いてきません。

そんな私から、ふと小さな甥っ子を見ると、彼の動きはまるで真逆です。
もうすぐ5歳になる彼は、“ただやる”【セルフ2】。
もっと小さいころは、更にそうでした。
その一端をご紹介すると、こんな感じ(^^)




大人同士の会話や何気ない動作をただ自然に観察しながら、自分でどんどんやってみる。

あてずっぽうでもとにかくどんどんアウトプットして、周囲から温かな笑いや驚きを引き出すとともに、的確に調整を繰り返し、見る見るうちにできるようになっていきます。

そんな姿が、なんともまぶしくて新鮮。

やってみたら「すぐできた!」っていうのもたまにはあるけれど、
多くの場合はやってみながら徐々にうまくなるのが【セルフ2】。

集中して何度も何度も繰り返すうちに、より適切なやり方へと修正されていく・・・
そのしり上がりのスピードと確度の高さは圧巻。

恐るべし【セルフ2】!
朝から夕方にかけての習熟度がこんな感じ。










私は、無意識的に、たった1回のトライで華麗に完璧にやりたいと思っているのかも・・・

天下のイチロウ様が3割台で大絶賛を浴びるのに、すみちゃんたらさ、
なんで凡人のあんたがいきなり10割目指してんの?(笑)。

ハイハイする・立ち上がる・歩く・新しい言葉を口にする・お箸を使う・・・私だって昔は【セルフ2】でやってきてたのに。

もともと、人間の学習と能力開発は「まずはやってみる」からしか始まらないはずなのに。

巧くいくか、できるかどうかは、やってみないとわからないのに。

いつの間にか、やる前に巧いやり方を教えてもうのが当然になっちゃった。
やり方がわかってからじゃないと踏み出さなくなっちゃった。

多分ほとんどの大人はこのパターン。
できない自分にならないように、超慎重に知識を詰め込み、過去に巧くいった誰かのやり方を真似して、ゆっくり安全に進もうとする。

だから、イノベーションが必要だと叫ばれる会社組織で、ほんとのイノベーションなんてものが起きるのは、とても・とても・とても・とても・レアケース。
やると決めて、やり方を見つけていこうとする人にしかイノベーションは起こせない

私はいつから【セルフ1】のパターンにはまったんだろう?

めちゃくちゃ心配性の【セルフ1】が、私を小さく小さく、いつものお決まりの殻に閉じ込めているのが良くわかる。

その過剰な防衛装置のスイッチをオフにして、軽やかに”ただやる“【セルフ2】で生きる感覚を体感してみたくって、ジャグリングのワークショップをやろうよ!と、ジャグリングを独学で体得した経験のある、はっしーこと橋永隆行さんに持ちかけました。

とにかく、やるとだけ決めた私たち(笑)。

今は全くできないし、やり方なんてわからないけれど、とにかくやってみよう! 
教えてもらうんじゃなく、自分でやり方を編み出す。

やればきっとできる(^^)/

7月22日(日)、「自らやり方を編み出すジャグリングワークショップ」を世田谷の砧公園で開催します。



お天気さえ味方してくれたら、あとは青空の下。
これまでブログで未定義に使ってきた【セルフ1】と【セルフ2】に関する簡単なレクチャーを私からちょこっとさせていただいて・・・

そして、皆でLet’s juggle!

自分はどんなやり方をしたのか、体験や感想をシェアしながら芝生の上でランチを食べつつ、おしゃべりするのも楽しそう。

ジャグリングに使うお手玉やボール・飲み物・自分が食べたいお昼ご飯・お手元にあればピクニックシート、そして何より、あなたの【セルフ1】と【セルフ2】をお持ちよりください。

詳細はこちらでご確認下さい。
https://www.facebook.com/events/221453142001383/

お申込みお待ちしています。

セルフ2の自動運転状態

2018-06-21 22:31:05 | プロコーチのプチ心理学講座
6月19日の19時~、山崎さんが登壇したArt of Coachingのミニセミナー&説明会のアシスタントに入りました。

2時間半ほどで話される「コーチングセンスの磨き方」、そして「最高の力の発揮の仕方」。

これまで何度もうかがってきたテーマですが、何度聞いてもそのたびに新しく刺激に満ちています。
そして、今回はこれまで以上に一層シンプルで明確なお話でした。

以下、私にヒットした内容のダイジェスト版です。

コーチに限らず、マーケターだろうが管理職だろうが、経営者だろうが医療従事者だろうが、その人の持つ最高の能力が発揮される状態が、【セルフ2の自動運転】状態。

その状態を自らの力で実現し、相手(クライアント)がその状態になれるような環境を提供するのがコーチ(広義での対人支援職)の役割です。

我々人間は、無意識的に過去の記憶をフィルターにして世界と自分を認識しています。
それが、人間という種(シュ)に特有の生き延び方。

私たちは、過去の記憶を参照情報にして、今目の前にある危険を回避し、安全を獲得しようとします。
将来を予測するときにも、無意識的に過去の記憶を参照しています。

何か新しい目標をたてて行動しようとするとき、一皮むけるような挑戦しようと思うとき、この仕組みがなんとも皮肉に働きます。

失敗した恐怖を伴う過去の記憶がフィルターとなって認識される世界は、実際起こりうる確率以上の失敗の危険に満ちています。成功を収めた快感を伴う過去の記憶がフィルターとなって認識される世界は、“また鮮やかに成功しなければならない”という必要以上の重圧(=危険)に満ちています。

どっちにしても、事実以上に危険だと認識される「ひどく歪曲された世界」がそこにあります。




危険度が高いと認識している状態の私たちの頭の中は、危険を回避しようとする【セルフ1】の様々な言葉が嵐のように吹き荒れています。

自分のことも他者のことも、身に起きる事象も、何一つ【ありのままに見る】ことができていません。体も心もカチコチに緊張して、本来持っている力を発揮することができません。

しかし、過去の記憶に縛られずに、今ここで、ただ目の前のことに集中できさえすれば、誰にでも備わっている、スーパーコンピューターをはるかにしのぐ潜在意識の英知の力で、どうすればいいか直観的にアイディアがひらめき、抵抗なく自然に行動し、高い成果を上げることができます。



その集中状態を作り出すための支援に最適なのがコーチング。



自分の力で【セルフ2の自動運転】状態を実現できた体験を積み重ねて、自分の有能性を信頼できているコーチであれば、相手も確実に【セルフ2の自動運転】状態になれる存在だということを信頼できます。

それが、人間の無限の可能性を【信頼】するということ。

ここでいう【信頼】とは、「そうだと信じようとする」のではなく、「ただそうだとわかっている」状態です。

コーチングを学び始めたころに良く聞かされた「人間には無限の可能性がある。コーチは、クライアントの無限の可能性を信頼している」という耳になじんだフレーズが、今や全く違う意味合いで腑に落ちます。

コーチが、「クライアントの無限の可能性を信頼している」とは、【セルフ1】に妨害されなくなった状態の【セルフ2】が発揮する最高の力のすばらしさを【信頼】してるということ。

大前提として、そのコーチは、クライアントをその状態にいざなえる自分自身の【セルフ2】を【信頼】しているということ。

AOCで様々な角度から手を変え品を変え(笑)お伝えしているのは、【セルフ2の自動運転】状態とはどういうものか、またどうすればその状態を実現できるのか?ということです。

「え~、なんだか・・全然わかんない~!!!」ですよね・・・ごめんなさい。
「セルフ1って何よ?、セルフ2って何さ?」
「ありのままに見るって、どういうこと?」
「セルフ2の自動運転って何?」
「自分を信頼するってどいういうこと?」 


「ん~わかんないことだらけど、なんとなく興味あるぞ~」という方・・・

是非7月1日のArt of Coachingのミニセミナー&説明会にお運びください。

短い時間ですが、文字では伝えきれない内容を、私の理解を通してできる限りわかりやすくお伝えいたします。

その時、その場で私が自らの力で【セルフ2の自動運転】状態を作り出してお話しできるか・・・私自身のチャレンジです。
失敗のイメージにとらわれることなくできるかどうか・・・(^^)/

詳細はこちらでご確認下さい。
https://www.art-of-coaching.jp/anniversary2/



Be heard by Theory@Elle Woman in Society

2018-06-19 10:10:43 | 活動報告
6月16日にヒカリエで行われたイベント。心配されたお天気もなんとか持ちこたえて、来場者総数2500名以上・・・スゴイ動員でした。このお仕事に携わられた皆様、本当にお疲れ様でした!!!

私は、12時半~13時まで、ワークショップブース2にてTheoryのBe heardに登壇させていただきました。

今回は、自分が慣れ親しんだ、企業様向け、あるいは地域の公的機関が集める女性向けなどの講演会とはかなり趣の異なる、女性誌×アパレル×ヒカリエというキラキラな世界。普段は黒・グレー・ネイビーといったダークなスーツ+自前のちょいちょいメイクの私にとっては、鮮やかなカラースーツとプロのヘアメイクは、正直いってかなり気が引けるシチュエーション(笑)。

私が着せていただいたTheoryのお洋服はこんな感じ。



写真では少しくすんだレンガ色っぽく見えますが、実際にはもう少しピンクがかっています。Theoryの今一押しのトレーサブルなウールを使ったストレッチ素材。しわになりにくくて、着心地も最高です。

仕事でコーチとしてエグゼクティブにお目にかかるとき、あるいは企業で研修や講演会をさせていただくときなど、Theoryのお洋服はとても便利。素材が上質、シンプルできちんと見えて、そして何より動きやすいのが嬉しいです。

私も長らくTheoryユーザーの一人なのですが、今回着せていただいたスーツは、自分でショップに行ったとしても絶対視野に入らないこと請け合い(笑)。

それなのに今回の衣装がこのスーツに落ち着いたのは、衣装合わせのときにベージュやブルー系の無難なものに流れようとする私に、「木村さんにはこちらがお似合いです!私はコレがいいと思います!」ときっぱり推薦していただいたから。鏡に映る自分を他人のように見ながら「そうですかね~」と不安がる私の背中を押してくださいました。

当日着てみれば、会う方々から「素敵な色ですね~、とてもお似合いですよ~」と。多少のリップサービスは割り引いたとしても、悪くはない気分。

自分の固定観念がなんと視野を狭くしていることか!

ご担当いただいたマーケティング/PRの方の目利きのすごさ!

彼女のおかげで、新しい自分に出会った感じがします。

人間の焦点って、過去の記憶や無意識的なパターンに固定されていて、新しい可能性がみえないものですよね~。こんなところでも「人間って・・・」って思ってしまうのは私ならでは(笑)。


ご担当者のさすがの目利きで、ご一緒した皆さんも各々の個性を更に輝かせる素晴らしいセットアップでした。



有名人が登壇するメインの大きなホールはこんな感じ。



化粧品・お洋服・下着・靴・バッグ・スイーツ・お茶など、女子向けのブランドがこれでもか!と各々魅力的なブースを展開していました。でも、というかだからというか、会場の混雑ぶりはハンパない感じ。



準備や打ち合わせを兼ねて、私の会場いりは朝9時。

メイン会場のドアを入ると、展示ブースの床に座り込みながら最後の追込みに集中しているスタッフの方々の熱感。「絶対やり切る!」と決めているコミットメントが背中から伝わってきます。プロダクションやPR会社の方々でしょうか・・・会場に来て見知った顔に再会し、「わ~久しぶり~、どこの仕事?」と楽しそうに会話を交わす様子。

ヒカリエに向かう道すがら、なんとなく苦手意識があって気分の上がらなかった私でしたが、あれれ? “この空気感なんだか懐かしい”。

そ~よね、と思い出してほっこり。すみちゃんたら、すっかり遠い記憶になってしまって忘れかけていましたが、以前は広告代理店にお勤めでしたね(笑)。
若いころ、イベントの企画や仕込みの“パシリ”、やってった、やってた(笑)。

土壇場になって、「なんで?!」って感じの予想外のことが次々とめどなく起きる、だけど「あと20分でなんとかしないと!!!」みたいな・・・もう25年くらい前ですが、そういえば私もこういう仕事してたのよね~と、一気に記憶が戻ってきて。この会場で働くすべての方々と過去の自分と、今の自分を含めて今日の登壇者全員にエールを送り、2500名を超えるご来場者を温かくお迎えしたい気持ちが沸き上がってきました。

開始10分前、ワークショップ会場を短時間で一気にTheoryワールドに変えるため、お土産を詰めたバッグを椅子に並べます。目的を持って働く女子たち、なんとも力強い!






彼女たちが長い時間をかけて心血注いで準備したこの30分の場、その思いを最大限に生かすのが私たち登壇者の仕事。

MCをしてくださったオスカーの直井梓(なおいあずさ)さん。柔らかなお人柄で、なんとも自然なのに、きっちり時間通り。ライブだけど安定感のある鮮やかなしきり。3名のパネラーの魅力を最大限に引き出してくださいました。BONSAI盆凡の樹弥沙(いつきみさ)さん、「自分が本当に何を望んでいるのか・・・いらないものをそぎ落としてそぎ落として、心が喜ぶことに集中する」という生き方そのものを体現している、はつらつとしたお姿とお話。こういう場にとっても自然になじむ、余裕が溢れるBrown Sugar 1stの荻野みどり(おぎのみどり)さん。もとバイヤーとして培った、未来を予測し、未来から逆算して今必要なことを選択する才能が、経営者としての今の自分の基盤になっているというお話。どちらも聞きごたえがあります。

おふたりのお話に呼応する形で、私は、自分の内側を探るにも、未来を思い描くにも、コーチングというツールが役立つことをお話させていただきました。

「挑戦したい」とおもいつつ、いろんなリスクが気になってなかなか踏みだせない。「だけどこのままじゃなんとなくなぁ・・・」と思い続けて数か月・数年過ごすのって、人生の無駄じゃないですか?って。

自分に先入観があること・その先入観や固定観念で視野が狭くなっていることに気づかずに生きているのが人間です。

同じ考えの間を行ったり来たりして、悩んだ挙句になじんだ轍にそって生きるだけの人生から抜け出したくないですか? 新しい世界を自ら切り開くには、人間の深層心理や行動背景を深く理解しているコーチからサポートしてもらうのが最も効果的。

更に言えば、人にコーチすることを学ぶことで、自然に自分をコーチできるようにもなります。セルフコーチ力が上がると、とても生きやすくなりますよ~、と。

最後に、私たちがご提供しているArt of Coachingのご紹介をさせていただきました。


Theoryチームの女性陣、直井さん、みささん、みどりさん、ご一緒させていただき、本当にありがとうございました。

最後になりましたが、メイクをご担当いただいたillumini.incの桑野泰成(くわのたいせい)さん、女性ばかりのイベントでひときわキラリと光る素敵な男性でした。自分の仕事を愛して楽しむその姿勢が最高! プロとしての腕前はもちろんのこと、周囲の方々にたいする細やかで暖かなサポート、心地よく受けとらせていただきました。ありがとうございました。

短い時間ではお話しきれなかったことも含めて、私の話はまた別の機会にご報告させていただきます。

武装解除の進捗確認

2018-06-14 06:31:37 | 活動報告
かつて私が実施していた女性向けのダイバーシティリーダー育成セミナーの事務局をしてくださっていた女子と、3年ぶりにランチをしました。私がお店に到着したとき、少し早くついていた彼女はお化粧室に行っていたので、一人でテーブルに座って彼女が戻ってくるのを待ちました。

彼女は、私がいることに気づいて足早にテーブルに着きます。

「いや~お久しぶりですぅ~。お元気そうですね~」とほぼ同時に異口同音、再会の挨拶をした後、すぐにこんな会話になりました。

彼女:「なんか、すみこさん、今日は全然違う! あったか~い。 ホッコリする感じ。」
私 :「あ、そう? ありがとう。」
彼女:「前はね、私・・・すみこさんが怖かったんですよ・・・。」
私 :「・・・・」
彼女:「何でこの人こんなに強いんだろうって。こんなに強くてすごい人の前では、私なんて・・・って気持ちになっちゃって。正直いうと辛かった。でも、なんか今日は、“そのままでいいよ~”って言ってもらってる感じがします。」
私 :「は~・・・そうなんだぁ・・・ありがとう・・・」

彼女の感覚の敏感さ、スゴイです!。

全てオミトオシです。

しばし、しびれる私。

良い・悪いの評価のない、素直で的確な、だからこそ暖かく深くしみいるフィードバック。

当時の私からあふれ出ていたであろう圧迫感。
自分の正しさで相手を裁くような強いエネルギー。
言われてみれば、そりゃ、相当なものだったろうな・・・と思い当たるふしがあります。

存在するだけで、誰かを傷つけていたよなぁ・・・。

ゴールデンウィークのころにブログに書いた、“10年前の私は怖かったらしい”という話、あの時、きちんと描き切れていなかったと思ってはいたのですが、ちゃんと書くべく後日譚があったってことですね。(笑)。

あの記事をアップしたとき、心優しい方々が私に投げかけてくださった言葉の数々・・・

「いやいや、自分には全然怖くはなかったよ。」
「怖いっていう人の、意味がわからないよ。」
「怖いどころか、助けてもらっていたよ。」
「よしんば怖く映ることがあったかもしれないけれど、あの環境なら仕方ないことだよ。」

ありがとうございます。
感謝とともに読ませていただきました。

でもね、あの記事には、周囲を緊張させていた原因は私の内面性故だということを詳しく書けてはいませんでした。

Ms’の女子たちから貰ったフィードバックの内実は、「あの頃のすみこさんは、あまりにキラキラで、すごすぎて、恐れ多くて近寄りがたかった(笑)」というものでした。

まさに今回ランチのテーブルでもらったフィードバックと同質のもの。

今にして思えば、私をそういう存在にさせていたのは、木村純子キラキラ化(笑)に向けた、自分の中の “●●でなければならない”という壮大な理想のチェックリストと、必死にそのリストを満たそうとする痛ましいほどの努力。

もちろん、とうの本人は何も気づけていませんでしたが、この”木村純子キラキラ化計画の遂行”だけが、「ひどくみすぼらしくて取るに足らない価値のない自分」という自己イメージを受け入れなくて済むようにする、無意識の巧妙な戦略だったことが、今はよ~くわかります。

10年前の私は、アウトプットの質・量や、何ができるかの機能性などで自分を評価したりしなかったり。コーチングセッションでクライアントに向かって、「あなたの存在そのものの価値」を語りながら、本当は自分の存在の価値を認められてはいなかったのに、そのことに気づけていませんでした。

深いところではいつも焦りと不安の中に居るのに、そのことさえも認識できないくらい麻痺していて、何の問題もない輝かしい光のキラキラ存在であるかのように感じて我が物顔にふるまっていたかと思えば、突然強い自己嫌悪に落ちることを繰り返していたようです。

あ~わかっちゃいたけど、言葉にすると結構痛いですね(笑)。

無意識的に、常に肯定的な自己認識を持ちたくて、そうすることで自分の安心を確保することで精いっぱいで、そのキラキラ光線を押し付けられた周囲の人の感覚まで想像するような認識力もありませんでした。

自分を守ることは、そのまますなわち相手を攻撃すること。
自分の正しさを証明しようとすることは、そのまますなわち相手が間違っていると揶揄すること。

3年前のダイバーシティリーダー育成セミナーでは、そんなお話をしながら、それを止めることの正しさを押し付けていたんだろうなぁと思い至ります。

あらら~! 
すみこさんたら、言っていることとやってることが真反対だったじゃん!!
ぐわ~ん・・・

自分の中に、すぐに自分の正しさにしがみつく弱い自分がいることに気づけていませんでした。
自分の発するエネルギーが周囲を攻撃していることに、今ほどは気づけていませんでした。

そこから3年のプロセスで、少しずつ私がたどってきた変化。

誰かが正しくて、誰かかが間違っているわけじゃない。
自分の弱さと情けなさを、暴き出して滅却しなくちゃいけないわけじゃない。

光り輝く存在になりたくてあがきまくっていた空しい自分をさげすむこともない。
そのあがきのおかげで、大きく育つことができたから。

自分じゃないものに憧れて、自分じゃないものになろうとするのは、もう止めよう。
私は、理想通りの完全無欠に輝くスーパーウーマンではないし、ひどくみすぼらしくて取るに足らないどうしようもない存在でもない。
普通に、私らしいユニークな光と闇をたたえたありのままの自分があるだけ。

私の中にある、今気づけている全ての側面は、どれも必要で、そして、どれもがとても役に立つ。

ただそうだと思える瞬間があるようになってきました。
すぐにはまり込む妄想から覚めている、ほんの少しの間だけですが(笑)。

2015年のいつ頃だったか・・・。
世界は敵対的で危険なところ・・・そう思い込んでいたことに気づきました。

毎日いつも「何か悪いことが起きるに違いない、私はうまくやれないに違いない」という根拠のない無意識的な前提の柱と壁でできている、危険な劇場。
自分が作り出したその妄想の劇場で、ずっとずっと緊張しながら生きて来ていたことに気づいて、ハッとしました。

そんなに緊張しまくってたら、そりゃなんとしてでも自分を守ろうと必死になるよね。

でもね、世界は結構安全だよ・・・という信頼感が少しずつ、本当に少しずつ、身になじんできています。

すぐ忘れちゃって恐怖の妄想にかられる瞬間もまた多いですけどね(笑)

ランチでもらったフィードバックのおかげで、3年前と比べたらだいぶ害の少ない人間でいられる時間が増えてきたらしいと、ほっと一息。



そして、一人になった帰り路にふと思いました。

昨年の秋から今年の春にかけて、”最新の私”のトレーニングを受けてくださった女子たちは、いつ頃私に「あの時のすみこさん、実は怖かったんですよ~(笑)。私、すみこさんの前で緊張しちゃってて、ほんとのことが言えなくて・・・」と、笑いながら告白してくれるようになるでしょうか? 

その日まで、また少しずつ進んでいくことにします。



育休明けの通過儀礼

2018-06-11 10:27:11 | キャリア形成
会社勤めをしていたころ、ワーキングマザーを部下に持つことが何度かありました。
人事担当役員をしていた関係上、直接の部下ではなくても、産休・育休前後でなんらかの課題に直面したり、家庭と仕事のバランスに悩んだり、色々な問題に悩む女性社員の方々と直接関わらせていただくことも多々ありました。

ご出産前から、更には独身時代から知っている方も多く、どなたも才媛で責任感の高いハイ・パフォーマーばかり。
周囲と自分に対して誠実に生きよう・きちんと働こうとするからこそ、いっそう困難さを強く感じておいででした。

私の義理の妹も、先日ご紹介した木村家の唯一の次世代を育てるママであると同時に、組織と顧客に対する責任を背負ってフルタイムで働くビジネスパーソンです。

折に触れて家族として触れ合う彼女はいつも穏やかですが、仕事も育児も大変なことが山ほどあって、辛抱強くがんばっている様子がひしひし伝わってきます。すごいよな~、私にはできない!と思うばかりです。



私は子供を産んだことも育てたこともないので、彼女たちを見ていて学ばせてもらうことが沢山あります。

いくつかあるうち、今日は育休明けの通過儀礼とでもいうべき普遍的な状況についてシェアさせてください。

これまでの私の観察と体験で分かったこと。必ず同じというわけではありませんが、育休明けの彼女たちが避けては通れない日常はこんな感じ。

それまでずっとママと一緒だったのに、いきなり引き離されて“保育園”とかっている得体の知れない、知らない人ばかりの場所に置いてきぼりにされる・・・赤ちゃんはめちゃくちゃ不安。
ママも仕事が始まって、お休みの期間とも、お休みに入る前の状態とも、全く異質のプレッシャーに触れる日常がスタートします。

2人とも文字通りいっぱいいっぱいで当然です。

だいたい朝いちに電話がかかってきます。
「すみませ~ん・・・また子供が熱を出して・・・。保育園で貰ってきたみたいで。ホントいつも急で申し訳ないのですが、今日お休みさせて下さい・・・・・・」。 更に、不思議と、こういうことは判で押したように、彼女が大切にしていた仕事の、それもとりわけ大事な日に勃発したりするもの。

消え入りそうな声から、これ以上ない申し訳なさが伝わってきます。

生後1年ほどたつと、赤ちゃんはお母さんから貰った免疫が切れるのだという話を聞いたことがあります。大概はちょうどそのころ保育園にデビューするわけですから、そりゃ色々と貰ってきます。そして、その過程を経ることで、赤ちゃん自身が自分の免疫を強化していくのだとか。

保育園に通い始めたと同時にとっかえひっかえ風邪やウィルスを頂戴するのは、確かに赤ちゃんの成長には必要なプロセスなんでしょうが、小さな赤ちゃんから始まった発熱、あるいは下痢・嘔吐をともなうような症状は(汚くてすみません・・・でもリアルでしょ?)、台風のごとく徐々に力を増しながら家族のメンバーを根こそぎ席巻しないと終わりません。

最後に崩れる砦がお母さんなこと、多いんですよね。

木曜・金曜と赤ちゃんの具合が悪くて彼女が会社を休みます。金曜の夕方に会社に電話をして「なんとか落ち着きました。これで週末をまたげば月曜には保育園に行かせられますので、来週は出勤します。ホント申し訳ありませんでした。」と話したのに、週末にご主人が寝込み、月曜の朝、明らかに体調の悪そうな声で「す・・・すみませ~ん・・・今度は私がやられてしまいました。なんか熱が高くて・・・今日はお休みさせてください。あ~、ホント申し訳ありません・・・」声だけでなく、存在さえも消えてしまいそうなほどです。
赤ちゃんも、ご主人も、彼女が看病してあげたのに、彼女を看病してくれる人はいなかったりもします。

彼女たちは、こうしたことが起きるのは自分の自己管理が不十分なせいだと感じて、自分をひどく攻める傾向にあります。

しかし、何人も同様の事例に遭遇してきた私には、これは育休明けの誰にでも起こる、そしてだいたいは1年で終わる、いたってノーマルな状態だということがよく理解できるようになりました。

上司であるこっちもそういうもんだと覚悟しておけば、大事なことには最初からプランB(代替案)を持っておくことができますし、大したサプライズもなく、なんとか仕事を回すことができます。

私は、育休後の復職にあたって部下や女性社員、そしてその上司と面談するときに、復職する彼女たちが希望や不安を色々と話してくれるのを聞いた後、例の赤ちゃんの免疫の話をしたりして、最後にこんな風に言い放てるようになりました。

「育休明けの1年間は、大きな期待をしないこと。棒に振るのが当たり前だぐらいに思って、流れにあらがわないようにするのが得策。あなたもだけど、上司の方もね。仕事も、きっとお家のことも、全部をすぐにうまくいかせようと力まないで。うまくいかなくても、それはあなたのせいじゃない。私が見てきた全員、誰でもそうですから。そしてね、みんな一年くらいで乗り越えていかれているから。大自然の摂理だと思ってあきらめて。時間が解決するから。」

私にそう言われて、「そうですよね・・・」とふっと肩の力が抜けて楽になる方もいれば、「そんなこと言っても、私の評価やキャリアはどうなるんですかっ!」となる方も、もちろんおいででした。

後者の方のお気持ちに、ことさら私は共感します。

私こそ、出産・育児で自分のキャリアを失うかもしれないという恐怖のど真ん中に居ましたから。

私こそ、子供のために自分の人生を犠牲にしたように見える私の母のようになるのが怖くって、ずっと子供を持つことに踏み込めなかった張本人だから。

今はこの人生で良かったと思えるようになっていますが、大事なことを深く考える機会をなんとなく先送りにしてきた結果、“時すでに遅し”となってしまったことを後悔した時期もありました。

子供を持つことで、人間は否が応でも成長せざるを得ない環境に踏み込むことになります。喜ばしいことばかりではなく、これまで体験したことのない、未知の、どちらかといえば困難なチャレンジがわんさか降ってくることでしょう。

育休明けで「全てがうまくいかない!」と悲しみや怒りや焦りに襲われている女性たちと向き合う中で、自然とコーチ的な対話になることがありました。

彼女たちは、最初、とても混乱しています。あまりにも思い通りにならないことが多すぎて。
でも、対話をしているうちにふとエネルギーが変わる瞬間があります。
それは、長い時間の流れの中で今を捉えられたとき

女性活躍推進の仕事の一環で、既に社会人になった3人のお子さんをお持ちの、当時60代前半の女性にインタビューしたことがあります。機会均等法も育休制度もない時代に、お子さんを育てながら、正社員からフリーランスになったり、契約社員になったり、また正社員に戻ったりして働き続け、そしてその時もまだ働いておいででした。

インタビューの最後に、「今子育て真っ最中のワーキングマザーに伝えたいメッセージはどんなことでしょうか?」とお伺いしたところ、こんな答えが返ってきました。

「今を精いっぱい楽しんでね、とお伝えください。子供が小さいころはとても大変で、この大変な日々が永遠に続くように感じておいででしょうが、振り返って見えれば、子供はその時代が一番かわいい時なのよ(笑)。そんなのほんの数年なんですよ。あっという間にすぐ終わっちゃいますから(笑)。思う存分楽しんで!って伝えてください。」

決めよ!さらば開かれん。

2018-06-09 13:23:45 | キャリア形成
来週の16日(土)にヒカリエで開催される、ELLE Woman in Societyというイベントの分科会に登壇させていただくことになりました。

メインを飾る夏木マリさんや伊達公子さんなどの華やかなスピーカーたちの傍らで、Be heard~人生で受けたベストアドバイスは?~というTheory主催のブースに出させていただきます。

私を含め、全く活動のジャンルが異なる3名の女性が自分の体験を語るという企画。素敵な登壇者たちとの出会いを作ってくださり、細やかなサポートをしていただいている事務局の皆さまに、深く感謝いたします。

とても不思議なもので、このお仕事のお話を頂戴したのは4月6日。出版のお話を頂いてのはじめての打ち合わせも4月6日。私が4月2日の朝、「恐れを捨てて外に出る・自分から発信する!」と心に深く決めて、その日の夕刻に桜吹雪の祝福を受けてからほんの数日後のことでした。

自分が決めたら、その自分にふさわしい世界が用意される・・・ちょっと大げさだけど、そんな感覚があります。

Be heardのワークショップ当日、その場でお話させていただくことの一つは今の自分のキャリアに出会った切っ掛け。こちらは既に先日ブログで書かせていただいたようなことです。

頂戴したあと2つのテーマは
・これから取り組みたいこと、今後の仕事の方向性
・私がもらったベストアドバイス

どちらも、短い時間ではお話しきれないことですが、会場にお運びくださった女性たちに向けて誠実に、自分の思いを乗せてお伝えしたいと思います。

先にここに書いちゃうとネタバレになっちゃうから、どんなお話をさせていただいたのかはまた後日のご報告とさせていただきますね。

あ!

でも、このブログを読んでくださってる方、結構男性も多いですしね・・・女性も当日ヒカリエにおいでになる方とはかなり別のグループかもしれませんが・・・

奪われるために与えられる

2018-06-03 18:21:16 | 意識的に生きる
あと数か月で5歳になる、私と誕生日が一日違う、でも50歳違い(笑)の甥っ子がいます。木村家で唯ひとりの次世代です。

生まれたばかりのときから、ちょくちょく会うたびごとに、その成長ぶりにびっくりの連続。

彼は、私の目の前で瞬時に新しいことを吸収し、どんどんできることを増やしていきます。

人間という器以外は何も持たずに生まれてきて、毎日毎日、毎瞬毎瞬、天から色々なものをものすごいスピードで与えられ、それを受け取って器に入れながら進んでいっている・・・私にはそんな風に見えています。

カタコトの単語やその意味、単語と単語をつなげて一つながりの文章にする力、特定の場面で使う常とう句やお決まりのリアクション、運動能力、人の感情を感知する力、思考能力、記憶力・・・例を挙げればきりがありません。

彼の器にそれらすべてがゲリラ豪雨のように降り注ぎ、彼を豊かにしていきます。きっと私もそうだったんだろうなあと、セピア色に焼けた子供のころの自分の写真を見ながら思います。

そして私は思春期を迎え、大人を批判したり社会の通念に反抗する力を与えられ、人を傷つけ暴れまくり、大人になってちょっと仕事ができるようになったころには、全てを一人で支えているかのように思い込む傲慢さを与えられ、その一方で孤立感も与えられました。

そうそう、こう書きながら、大人になると、何を与えられているのかが子供の時ほどわかりやすくはなくなるなあと思い至ります。

でも、目に見えて年老いていく身近な老人を見ると、全てが与えられていたのだとわかります。

家のすぐ前のバス停からバスに乗り、途中でバスを乗り継いで、なじみのお店で仲間とおしゃべりしながら明るいうちからちょこっと飲むのが大好きだった高齢の元義理伯母は、80代後半を迎えてから足が不自由になり、今は介護を必要としています。大好きだったお店に行くにも誰かの介助が必要なので、気軽に一人でフラッと行くことはかなわなくなりました。

昨年春に一人住まいの80代前半の父の引っ越しを手伝ったときのこと。父は10年前に自分が設置した吊り棚のねじを緩めることができず、「なんで自分が吊った棚なのに、自分で外せないんだ?!」と。 今起きている状況への疑いと悔しさと怒りのエネルギーで、ドライバーを何度も持ち替えて20分以上格闘し、「あ~、やっとできた~・・・ふ~っ」と言いながら、よろよろと柱にもたれかかって、ボソッと「俺も年を取ったってことなんだなあ・・・」とつぶやき、受け入れがたい現実を受け入れたように見えた瞬間がありました。

少し前に何気なくできたことが、できない。
覚えていたはずのことが思い出せない。
子供たちにから経済的な援助を受けなければならない。

プライドが突き崩されることでしょう。

それでも、行きたいところに行くには頭を下げて他人の力を借りなければならない。

自分を慈しんでくれた人、楽しい時間をともに過ごした人、大切な人たちが次々と身の回りから消えていく。
「何かが今よりも良くなる」という希望が持てなくなる。

こうやって、少しばかりの想像力で思いつく小さなことを書き連ねるだけで、背筋が寒くなります。

小さな子供が、毎日毎日、毎瞬毎瞬、天から色々なものを与えられているのと全く等しいスピードで、老人は、自分の器から色々なものを奪われていっているように見えます。



そして、死に近づけば近づくほど、奪われる量も多くなりスピードも速くなるのでしょう。

ご老人たちがどれほど苛烈な日々を生きているのか。

色々なことが思い通りにならなくなっていく日常のその様の、ほんの一端を想像しただけで、私はそれに耐えられるだろうか?と疑問がわきます。

そして、父や母や元義理母や伯母たちだけでなく、電車の中で、道端で、その苛烈な日々を淡々と前進しているお年寄りたちを、尊敬の眼で見るようになりました。

私たちは、生まれた瞬間から死に向かって生きています。

「奪われる体験をするためには、まず与えられなければならないんだ!」はっは~、なるほど~! 

また、当たり前のことに気づいてびっくりしました。

本能的に自分自身の身体的・心理的な安全を守ろうとする、動物的な執着を緩める力。
受け入れがたいことを甘受する力。
思い通りにならない自分や他者を赦す力。
人の助けがなければ何一つできないことへの気づきと感謝。
他にもきっと色々あるんでしょうが、
人生とは、それらを学んで身に着け、動物とは一線を画す「本来の人間になるため」の鍛錬の場なんじゃないかと思います。

老いに向かう人生のプロセスで、それらを学べて身につけられてから最期を迎えようが、そんなこと一切関知せずに欲望のままにやりたい放題の果てに最期を迎えようが、一様に、最期には全てを奪われて終わる鍛錬の場。

その両者の間で、奪われるスピードもはぎとられ方も大差はないのでしょうが、そこで感じる痛みや穏やかさに違いが出るのかもしれません。

その時が来て、奪われていることを感じ始めても、それほど大きくたじろがない自分になれるように、今から少しずつ準備するのが、臆病者の私の戦略です。

ピクニックとマッコウクジラとメロン

2018-06-03 16:09:29 | 活動報告
先日の久しぶりの休暇。
お天気もそこそこ良好だったので、近所の公園にピクニックに出かけました。



一面シロツメクサの花が咲いていて、いい香りです。



私のピクニックシートの周辺では、ミツバチたちが忙しくシロツメクサの花の蜜を収穫中。蜂はシロツメクサから命の糧をもらい、シロツメクサは蜂に受粉を手伝ってもらって命を次の世代につなぎます・・・小さな生き物たちの相互支援。



少し前にNHKの海洋生物に関する番組を見ました。

海には思いの外食糧が少なく、中型・大型の魚たちは、何日も獲物にありつけないこともあるとか。魚たちは自然から授かった鋭い嗅覚やソナー機能を使って、餌となる魚群を探知し、何十キロも泳いで小魚の大群に向かいます。大量の小魚の群れは、自分よりも大きな魚たちの群れに囲い込まれ、自らの命を彼らの命の支えとして提供することになります。

この海中の食物連鎖の頂点にいる生き物のひとつが、海洋生物最大・最強の肉食動物であるマッコウクジラ。

マッコウクジラが一頭死ぬと、その死骸はまずシャチやサメ、マグロなどの大きな魚たちの腹を満たします。マッコウクジラの肉・脂肪・内臓は非常に栄養価が高く、サメはこの時の一食で一年間生きていけるほどだそうです。

死骸のあらかたを食べつくされて浮力を失ったマッコウクジラの骨は、数千メートルの深海の底へと沈みます。骨は、バクテリアが数か月かけて分解し、最後は海底の砂となります。その砂は、台風によって海がかき混ぜられるときに海上へと巻き上げられます。海面近くで光合成をする植物プランクトンが、それを栄養源にして爆発的に発生。またそこから大いなる食物連鎖がスタートします。

以上はその番組を見た私の記憶からの説明なので、どこかに誤謬があるかもしれませんが、私が最も感銘を受けたのは、マッコウクジラ一体がその他大勢の生き物の命を奪っているということ。そして同時に、マッコウクジラ一体が、その他大勢の生き物の命を支えてもいるということ。

この大自然の見事な循環の妙。

我々人間は、海の王者マッコウクジラどころか、水陸空をまたいで、全ての生き物の食物連鎖の頂点に立つ最強の肉食動物。

しかし、私の死骸の肉・脂肪は焼かれ、他の生物の腹を満たすことはありません。骨壺に入った骨が植物プランクトンを爆発的に活性化させることもありません。よしんば私がどこかで行き倒れて発見されることなく放置されても、せいぜい野良犬とからすの数回の食事に貢献するくらいでしょう。(ブラックすぎますね・・・失礼!)

「私ったら、ただ周囲の命を奪うだけで、何も返していないんだ!」と・・・小学生でも知っているだろうことに今更気づいて、愕然としました。

目に見えるものも、見えないほど遠大で細かいものも、大自然の連鎖の円環は閉じているのが理なのに、人間のところでふっつりと循環が切れてしまっているようです。

今日のお昼にとても甘くてジューシーなメロンをいただきました。



太陽と土と水と、生産者の思い。それらすべてのエネルギーが結晶したその果実は、自らの命を犠牲にして、私に幸せをくれます。

その私はといえば、やはり太陽と土と水と、それらのエネルギーを身に貯めた多くの生き物たちの命と、私を大切に育ててくれた両親はじめ多くの方々の思いとが結晶した果実だとも言えます。

この地球上で、人間以外の種(シュ)は相互に貢献し合っているのに、私は彼らから貢物を奪い取るだけで何の貢献もせず、ただ漫然と生きています。もし、きちんと循環を閉じようとするなら、私というその果実は、いったい誰に何を届けるのがふさわしいのでしょう?

種(タネ)の種類が同じなら、種→芽→木→実→種のサイクルを何回循環しても、何一つ変わることはありません。

私のピクニックシートにやさしい木陰をくれている柿の木は、柿しか実らせません。



松の枝に卵!?とびっくりしましたが、よく見れば松ぼっくり。



松は松しか実らせません。

蜂は蜂しか産まないし、マッコウクジラもマッコウクジラしか産みません。そして、人間も人間しか産みません。

植物も、動物もぶれることなく淡々と日常を生きています。
でも、ぶれることができる人間は、自分で昨日の私から今日の私を変えることができます。

人間以外のどの種(シュ)にもできない、自分の力で自分の表現を選択することができるという能力を、私はどうやって、なんのために使おうか・・・春にブログを書き始めたときのインスピレーションがまたやってきました。

柿の大木を形成するすべての情報が小さな一つの種(タネ)に内包されているように、私がこの地上に大きく表現し形作るもののすべての情報は、私の中にギュッと詰まっているはずです。

私という種(タネ)は、私の内面性。 

私がどんな意思をもって、何を欲し、何を考え・感じるのか。

おいしいメロンの命をいただきながら、「この上なくグロテスクで獰猛な肉食獣である人間の私が、すべてを食べつくし搾取するその見返りとして、人間にしかできない形で、この地球に貢献する方法は何だろう?」という問いが浮かびました。

私の内面性が種(タネ)だとして、この種が芽を出し、本領を発揮して何かを表現していく源なのだとしたら・・・種をもう一度よく見てみないと・・・そして、実らせたい果実のイメージをしっかり持たないと。私にはその責任がある。

何を実らせどんな貢献ができるかはまだ漠然としていますが、とんでもないものを実らせてしまうことを避けるために、種の中身を精査して監督する責任があることが、ずんと心に響きました。