シフト3865

宇宙のシフトについて考える

意識と電磁場2 -記憶の場所ー

2013-11-04 09:45:58 | Weblog

あの人、光ってるねえ、とか、オーラがあるねえ、とか、日常でよく話題になる。
意識活動の指標として電磁波が使えるということは、脳科学の常識。電磁波の中
のごく限られた波長域の光しか通常は意識化できていない。しかし、その感知範
囲はあくまで統計処理的に客観化されているものであって、瞬間的に今、私がど
ういった感知範囲で相手を見ているかを示してはいない。したがって、相手の意
識活動から発せられる電磁波=光の束をどう感知しているかは時間的に変動する
し、場所によって変動するし、各人の感性によって変動する。これは実に常識的
な話である。



記憶の場所については脳科学の一つのテーマだ。脳神経系のネットワークのなか
にパターンとして記憶されているのではないか、といった仮説も提示されている。
これはこれである種の真相に近づいているようにも思う。記憶の物質的基盤は何
なのか?コンピューターのメモリーチップのようなハード的基盤を持っているの
か、といえば、多分そういったハード的基盤に依存した記憶もあるだろう、とは
思う。
しかし、ふとしたきっかけで、30年以上もまえの高校時代にバレーで突き指した
指先の痛みの記憶を思い出すことがあり得るが、その記憶は脳神経ネットワーク
のどこかにデータとしてハード的基盤をもって保存されていたのだろうか?
 他方、量子場理論など、素粒子物理学が科学的厳密さをもって積み上げてきて
いる体系によれば、意識活動の根拠は電磁波にあり、その電磁波の実体は時間軸
を一つの自由度をもって実在している。電磁波の根拠にあっては未来も過去も一
つの任意の座標点でしかない。肉体が前後に移動できるように、電磁波は未来と
過去に広がっている。
 頭脳の襞の奥の奥は量子場的な時空連続体に直結している。ここをハード的記
憶基盤と呼ぶのか、ハード的基盤なしの情報源と呼ぶかは、光が粒なのか波なの
かという前世紀の議論に退化することだ。光は波でありつつ粒である。
 私によみがえった指先の痛み、それは36年前の意識活動に刻まれた情報を意識
の本体である電磁波の海原から拾い出してきた記憶断片ではないのだろうか。
 とすれば、アルコールという概念から想起されてくるイメージは、数年ぶりに
味わうアルコールの過去記憶からの情報断片かもしれないし、明日という未来軸
と共鳴して一体化している電磁波からの予感情報かもしれない。
 昨日の記憶でさえ、すでに内臓ハードディスクの容量を溢れてオーバーフロー
して思い出せないと思えるような小さな頭脳に、半世紀分の膨大な画像動画デー
タが蓄積されつづけていると考えるのか、最近のクラウドコンピューティングの
ように、ネットワークの巨大記憶装置から呼び出していると考えるのか。近年の
量子物理学の進展によれば、どちらととらえるかは単なる趣味の問題になってい
る。意識活動の基盤となっている電磁波は我々の宇宙全体に空間的にも時間的に
も満ち満ちていて、そこには距離の制約も時間の制約もないらしい。そういう科
学的常識の世界に我々はどうも生きているようだ。

そしてこの電磁波の海から記憶を引き出して、脳の通常意識活動の領域にまで引っ
張り上げ来る感応装置は多分、水であり、その水を構成している水素原子だろう。
なにせ水素原子は最もシンプルな分子で、もっともシンプルな量子体である。そ
れは電磁波のちょっとした動きを感知することから、人体の画像診断装置として
使われているほどである。その意味で、機能的磁気共鳴画像(ファンクショナル
MRI)の開発を手掛けている中田力氏の研究が期待される。

アルコールがなぜ意識活動に影響を与えるのか、中田氏によれば、アルコールが
水に溶けて大脳に侵入して水の量子的振動に影響を与えるからということになる。
アルコールがいかに大脳に作用して意識活動に影響を与えるか、この実験は日々
人類によって実証されている。


意識と電磁場

2013-11-03 22:36:37 | Weblog

意識と水素の関係はこれから理論展開が必要な分野です。ここで重要なのは量子力学、量子場理論の動向です。意識活動と脳波の相関性は現代では自明化しています。この脳波すなわち電磁波と意識の関係がキーになると思います。

(因みに半田広宣氏の著書「2013:人類が神を見る日」には
「 電磁場(光)とは人間の意識が生み出されているところです
      シリウスファイル:19910805    」
があります。)

この関連で押さえておく必要のあるところを一般向け入門書から引用します。
出典は、講談社ブルーバックの「場の量子論とは何か」(和田純夫著)です。

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「我々が通常電磁波とよんでいるものは、一つの光子ではなく、無数の光子の集団です。」
(前掲書 P61)

「共存度の分布(つまり波動関数)でも、‥(中略)・・・共存度は、どの状態が存在するのかという存在確率をあらわすのではなく、実際に複数の状態が共存しているようすをあらわすものです。したがって、共存度には確率という概念よりも実質的な意味があります。」
(前掲書P62)
「このような光子の集団が、従来の電磁波の実体なのです。19世紀には、光も含めて電磁波は、電場と磁場の波だと考えられていました。しかしそれは結局、光子という粒子の集団であることがわかりました。そして電場と磁場というのは、光子という粒子のもつ、ある二つの性質をあらわしたものになっていることもわかりました。くわしくいえば、光子の共存度の時間的変化(共存度を時間で微分したもの)、および空間的変化(共存度を空間座標で微分したもの)がそれぞれ電場と磁場に対応します。」
(前掲書P62)

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
          
4次元時空連続体における光子の集団の動きが電気の流れや磁場の変化として現れている。意識活動の指標として観測できる脳波は、したがって、意識活動という光子集団の動向を計測していることになる。この光子集団は脳で集中的に処理されているが、その信号のスタートは全身にある神経細胞であり、その神経細胞に刺激をもたらす全身の細胞群である。緑茶の味わいや蕎麦の味覚は大脳で処理されてはいるが、その大脳内部に味の正体があるわけではなく、舌や喉に張り巡らされた細胞ネットワークが感知した「緑茶」や「蕎麦」こそが味の正体である。
同様に、腹が据わった人物とか、心が痛む、という表現のもつ豊さ。我々は全身でもって生きて感じているわけであって、脳の情報処理だけが生きているわけではない。相手の心を感じ取るセンサーは自分の心(心臓?)にある可能性を決して否定してはいけない。

4次元時空連続体に源をもつ我々の意識活動が過去の記憶や未来の予知をどこからくみ取るかと言えば、4次元時空連続体として定式化されている波動関数的量子場からである。その数式においては、すでにない過去といまだ到来していない未来は時間軸は変換可能な存在である。すくなくとも、我々の意識活動は過去に開かれていると同様に、未来にも開かれている可能性は否定できないことになる。