『日本領サイパン島の一万日』野村 進 著(2005年、岩波書店)を読みました。
「日本が1945年に敗戦するまでの30年間、サイパン島は日本の統治下に置かれていた」。恥ずかしいけれど、わたしはその事実をよく知りませんでした。そして、どれほど多くの日本兵が“日本人”とそれ以外の多くの民間人を巻き込みながら、殺し、殺されていったかということも。
帯には『「楽園」を求めて海を越えた二つの家族。その歓びと哀しみを描く傑作ノンフィクション』とありますが、この本の伝えるものは、"歓び"や"哀しみ"といったものではないと思いました(なぜこのような帯にしたのか、首をかしげてしまう)。月並みな言い方しかできないのだけれど、あるひとつの考えしか許されない社会が生み出す狂気の愚かしさ、それに気づくことができず、あるいは気づいたとしても、その狂気に従うしかない閉塞感、そしてそれらが引き金となって起こる命の奪い合い、といったことだと思いました。
サイパン移民のミクロな視点を軸に、戦禍をくぐり抜けた人々のその時々の思いや当時の日本軍部の内情とアメリカとの関係などを、緻密な聴き取りと資料の裏付けを基に描いています。戦禍のサイパン島を1ヶ月以上逃げまどった後の避難民の感慨が最も印象的でした。
「いかに、人間は生きるために生まれてきていることか。
やっぱり、生きるために生まれてきたのが人間なんだな」