ブログ人ファイトマンの思い出づくり

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東京国立近代美術館と千鳥ヶ淵、靖国神社を散歩

2023年03月25日 | まち歩き

 カルチャー倶楽部の散歩倶楽部は3月24日(金)東京靖国神社周辺を散歩しました。

歩倶楽部から散歩倶楽部に変更して2回目の散歩倶楽部で久しぶりに東京に行きました。各地乗車地から乗り合わせた参加者は今日は特別に多く2台の「なゆた観光バス」に分乗してはカルチャー倶楽部、浜松西インターを7時35分出発。東名高速道に乗り1号車は磐田のカルチャー倶楽部乗り場に向かい私達のバス2号車は直行する。今日の参加者は総勢81名、いつもの2倍以上の参加者となる。これも千鳥ヶ淵の桜が満開となり人気をそれを見たく臨時参加者が増えた為だろう。

 天気予報も雨予報、幸いにも薄日が差し雨の心配はない。昨夜来の雨で、洗われた木々の緑が陽光に光る、小笠茶産地の茶畑の緑が輝く中をバスは快調に走り牧之ヶ原Saで15分間の休憩を摂る。日本坂トンネルを8時45分通過、右前方に静大のキャンバスが目に入る。静岡の街並みを眺めながら進み、やがて薩埵峠を左車窓に右に駿河湾、前方に富士山が浮かぶ絶景が眺められる由比の海岸を走る。しかし富士山の姿は今日は見られない。足柄Saに9時45分に到着ここで25分の休憩。海老名Saで15分休憩の後、東京料金所を11時15分に通過、首都高速に入り渋滞にはまる。首都高速を降りて代官通りを走り北の丸公園駐車場に到着12時35分。出発してから5時間を要した。

 バスから降りて国立公文書館の前の道を歩き東京国立近代美術館に12時40分に到着。ここで1時間の自由行動で作品を鑑賞する。

 東京近代国立美術館は、日本で最初の国立美術館として、昭和27年(1952年)12月1日に中央区京橋に開館しました。かねてより待望されていた、同時代の美術を何時でも見ることの出来る国立の展示施設として、旧日活本社ビルを建築科の前川國男氏の設計により改装し、その活動をスタートさせたのです。最大の特徴は、横山大観、菱田春草、岸田劉生らの重要文化財を含む13000点を越える国内最大級のコレクション。19世紀末から今日までの幅広いジャンルにわたる日本美術の名作を、海外の作品も交えて多数所蔵しています。

{東京国立近代美術館}

 国立近代美術館の館内の見学は4階までエレベーターで昇り3階・2階・1階へと下段して作品を自由行動で見学する。ゴッホやミレーと言った世界的有名な作品ではなく一般庶民の作品で何処の作品展でも見られる作品ばかりが展示されている。点数は多いが何を意味しているのか分からない作品もある。特に感銘を受ける作品は見られない。有名な横山大観や国宝級の作品は他の場所に展示されていて、料金追加で見る事ができる私達の仲間もその展示場に行った人もある。私達仲間の多くは安い作品を見たのである。

{木彫刻、佐藤玄玄(朝山)Chozan}

{油彩、鶴田吾郎、}神兵バレンバンに降下す}

{美術館のロビから皇居方面を撮影する}

 国立近代美術館を13時45分に出て千鳥ヶ淵を散歩がてら靖国神社に向かう。桜が満開で今にも降りそうな安定しない天候であるにも関わらず人の多さにビックリする。歩きながら撮影した写真を御覧ください。

 「千鳥ヶ淵」は皇居内にあるお濠が「千鳥」に似ているというのが、千鳥ヶ淵の名前の由来とされています。緑豊かな「千鳥ヶ淵緑道」や皇居内のお濠で唯一ボートに乗れる「千鳥ヶ淵ボート場」があり、見る場所によって桜の表情がかわります。千鳥ヶ淵が造られた理由は、貯水池として飲料水を確保するため徳川家康が入府した頃の江戸は海に面した低湿地で、井戸水には大量の塩分が含まれていました。井戸水を飲料水として使えなかったので、飲料水を確保しようと近くの河川を堰き止めて千鳥ヶ淵がつくられました。元々は田安門から半蔵門まで続いていた千鳥ヶ淵ですが、1900年の道路整備によって千鳥ヶ淵と半蔵濠(はんぞうほり)に分断され現在の形に。今では都内で有数の桜の名所として、毎年多くの人が千鳥ヶ淵を訪れています。

{ボートに乗る人、ボートに乗るのを待つ人の多さにビックリ}

{満開のさくらのトンネル、人の多さに東京を感じる}

{軍人だろうが説明を読む間もなく歩く}

千鳥ヶ淵を歩き桜のトンネルを抜け靖国神社に向かう。靖国神社には14時30分に着き桜の開花宣言をする標本木まで参加者が一緒に歩き、後は自由行動で参拝や境内を自由に廻り15時30分まで自由行動。15時頃から心配していた雨が降り始めたので皆さんバスに乗り込む。

  靖国神社は、東京都千代田区九段北に有る神社。慶応4年以降、戊辰(ぼしん)戦争・明治維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが活発にになり、そのための施設である招魂社創立の動きが各地で起きた。それらを背景に明治天皇の勅令によって明治2年に建てられた招魂社に起源を発し、国家のために殉難した人の霊246万6千余柱を祀る。明治2年(1869)に創建、幕末から先の大戦までの「国のために尊い一命を捧げた方々の御霊」を祀る神社。神恩感謝・国家安泰・家内安全・厄除・社業繁栄などの各祈願を受け付けています。明治時代の1869年、新政府軍と旧幕府との間で戦われた戊辰(ぼしん)戦争で戦死した軍人を祀る為に創建された「東京招魂社」が前身です。79年に「靖国神社」へと改称。

{靖国神社の大鳥居}

{誰の銅像か私には分からない}

{靖国神社2番目の鳥居その奥に見えるのが拝殿}

{開花宣言の標本木}

あえて申しません何処かのおばあちゃん}

{名乗る程ではありませんが何処かのおじいさん}

 散歩倶楽部の全ての日程は終了して15時30分帰路に着く首都高速に乗り渋滞にはまり東名高速まで1時間を要する。東名高速でも渋滞して1時間50分ほど要して17時20分着。更に富士川Saと牧之原Saで休憩して浜松着は20時40分となった。ここで解散しそれぞれの家路に着く。

 

 

 

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