ブログ人ファイトマンの思い出づくり

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斑鳩(いかるが)の三塔を散歩

2023年02月26日 | 文化・芸術

 2月24日(金)カルチャー倶楽部の散歩倶楽部は奈良市の斑鳩(いかるが)の里を散歩しました。私達夫婦は今までカルチャー倶楽部のウォーキングは歩倶楽部に所属していたが、私には行程が厳しく着いて行けなくなった。少し和らいだレベルの散歩倶楽部に変更して初めての参加となった。

 今回の行先は奈良市、前回は歩クラブで都祁(つげ)の里を歩いた所と同じ奈良市。当然同じ道を行く事になる。各地から集まった参加者40名を乗せた「なゆた観光」バスは、カルチャー倶楽部駐車場を7時16分出発、浜松西Icから東名高速道に乗り今にも降り出しそうな空模様の中を快調に走る、今日のバスは新車で快適だ!美合Paで休憩を摂り豊田Jctより伊勢湾岸道、東名阪と前回と同じ道を辿る。道の駅「伊賀」で休憩を摂る。この頃より心配していた雨が降り始めた。天理Icを10時20分に降りて国道169号線を奈良に向かって走る。

10時40分に昼食処の「なら和み館」で冬の大和膳の昼食を摂る。30分フリータイムで買い物をする。11時30分出発、奈良市内を走る。左車窓に興福寺の五重の塔、右側車窓に春日大社、奈良県庁の前の公園には鹿の群れ、左に近鉄奈良駅、10分程走ると右に平城京の跡地や奈良の都の建物群が目にはいる。5分程走ると大和郡山市に入る左車窓に郡山城が目に入る。暫しのバスの中で観光を楽しみ奈良県の北西部に位置する目的地「いかるがの里」に12時15分に到着。この土地と、このコースは数年前景勝地ウォークで「いかるがの三塔を歩く」で歩いたコースで再び歩く事になった。

{昼食処の「なら和み館」}

斑鳩の里いかるがのさと)とは、斑鳩寺(法隆寺)を中心とした聖徳太子ゆかりの広範囲な集落をさす。601年、太子は斑鳩宮(いかるがみや)を造営し、飛鳥から移り住んだ。また父の菩提を弔うため斑鳩宮に隣接する形で法隆寺を建立。さらに中宮寺、法起寺など多くの寺院を建立し、里を大きくしていった。法隆寺の五重塔、法輪寺の三重の塔、法起寺の三重の塔は合わせて「斑鳩三塔」と呼ばれ、街のシンボルとして広く愛されている。

 まず私達は法起寺近くのバス停でバスから降りて雨の降る中徒歩で法起寺に向かう。国宝の三重の塔を眺め、観音堂の中の重要文化財の「木造十一面観音菩薩立像」を格子窓から覗き見して15分の滞在でバスに戻り次の訪問先の法輪寺に向かう。雨が降らなければ法輪寺までは散歩で行く筈であったがバスで行くことに変更する。バスで5分程走り法輪寺に到着。

法起寺(ほうきじ)法起寺は別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺とも呼ばれており、平成5年に法隆寺と共に世界遺産に登録されました。この寺は、推古14年(606)に聖徳太子が法華経を講説されたという岡本宮を寺に改めたものと伝えられ、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヶ寺の一つに数えられています。

{7世紀に聖徳太子により創建された寺院。日本で現存する最古の三重の塔を持つ。周辺は畑が多く、四季折々絵になる写真が撮れる}

{パンフレットより写した写真、高さ23.9mの塔婆で慶運3年(706)に建立されたとする。最古の三重の塔として名高い}

{木造十一面観音菩薩立像(重要文化財)像高350㎝この像は講堂の本尊であったが、現在は収蔵庫に安置している}

 法起寺には雨の降りしきる中で15分の滞在の後、本来ならばここからは散歩で行く予定で有ったが雨のためバスで移動する事になった。バスは早いもので僅か5分で法輪寺に到着。此処の住職は尼僧(にそう)で毛髪も剃り落としていた。尼僧の寺の概略を説明を30分間、話して貰い13時05分にバスに乗りメインの法輪寺に向かう。

法輪寺(ほうりんじ)法輪寺の創建には2説が伝えられています。ひとつは、推古30年(622)、聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)がその子・由義王(ゆぎおう)らとともに太子の御病気平癒を願って建立されたと言う説。もうひとつは、天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説。

{十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)立像、 平安時代(重要文化財)}

{斑鳩三塔の一つとして親しまれてきた当寺国宝三重の塔は、昭和19年(1944)7月21日落雷で焼失しました}

 法輪寺には40分間滞在の後、バスに乗り法隆寺に向かいました13時12分に法隆寺に到着。ここでは3人のガイドさんが南門で出迎えて下さり、私達は3班に別れてガイドさん案内で中門を通り五重塔を外から眺め金堂や大宝蔵院、大宝蔵殿などへは中に入りガイドさんの丁寧な説明を受け、少し距離のある夢殿に向かい東大門を出て125分間滞在の後15時15分帰りの途に着く。

{雨の中、法隆寺の南大門に向かう我が一行}

法隆寺(ほうりゅうじ)松の翠の美しい矢田丘陵を背に、大和平野を広々と見渡す斑鳩の里に聖徳太子は斑鳩宮を造営されたのは推古天皇9年(601)。ほどなく大使は、ここに亡き父用命天皇のため寺の造立を発願され、推古15年(607)ごろ完成したのが法隆寺です。日本最古の塔である五重塔は、五重目の軸部が初層の半分の大きさになっており、これに深い軒の出が相待って安定感を与えています。その軒を雲肘木が優しく支えて、見る人を飽きさせません。心柱の下にある心礎には仏舎利が収められています。

{法隆寺中門}

{法隆寺境内より写す雨の中の金堂と五重塔}

{夢殿、奈良時代(601)に造営されたお札の裏に印刷されている}

散策メモ

"柿食わば鐘が鳴るなり法隆寺”正岡子規は法隆寺に立ち寄った後、茶店で柿を食べたという。法隆寺境内にある子規の句碑は、その茶店の跡地に立てられている。

 帰路は直ぐに高速道に乗り雨の中を浜松に向けて走り続ける。関ドライブインに16時25分に到着、20分の休憩を摂り伊勢湾岸道が事故渋滞の情報を受け名古屋西本線を経て名古屋市内を抜け東名高速に乗り赤塚Paで休憩、ここでドライバーが交代する。浜松西Icカルチャー駐車場に18時55分到着ここで私達は行程終了。

 散歩倶楽部の本来の目的である散歩は雨のため出来なかったが法隆寺では丁寧なガイドさんの説明により多くの知識を吸収した、しかし頭にどのくらい残るか?疑問である、知識の残る間にブログに書き込み更新しました。

 

 

 

 

 

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