生態系という言葉がマスコミなどでもよく使われるようになったのはいつからだろうか。それ以前は「自然」とか「里山」とかが環境を指す言葉として使われていた。
辞書で生態系という言葉を調べると、「生き物を中心とした、物質循環=エコシステム」というようなことが書かれているはずである。生物の参考書などでは、太陽光から受けた光を植物が光合成で窒素分を固定して酸素を出し、草食動物がそれを食べ、肉食動物が草食動物を食べ、やがて死んだ生物を分解者が分解し、物質循環が起きる。などと解説されている。
ところが、マスコミで「生態系」という言葉を使う場合、このような背景を踏まえて、「自然」とか、「里山」「森林」よりも「なんとなく科学的な印象のある便利な言葉」として使われているような気がする。
ここからは、私個人の考えであるが、「生態系」という言葉を考えた人は、もちろん、参考書に書かれているような着眼点で生き物と地球の物質循環について表していた。地球レベルの環境を考えた場合、生物同士のつながりを表現したよい言葉であると思う。しかし、これをある特定の地域を切り取って考えると、いろいろと問題が生じてくる。
生態系という言葉が使われる以前、生物の分布を表す地域区分はいくつか知られていた。植物の生育種を区分した植生分布。気候区分図などであろう。ある特定の生物に着目すると、地球をいくつかの「環境区分」に細分することができる。
それぞれの地域には、特有の生物が生息しているからである。このことと「生態系」という言葉がつながるとややこしいことになる。ある地域にはあたかもその地域特有の「生態系」という環境が存在しているように表現されるからだ。
「もともとの生態系」とか「本来の生態系」などと表現されるのが、あたかも生態系が理想の環境のようなイメージとして表現される。
生態系というのは、人間が認識するための「概念」であり、「実在しない」ものであると私は考える。
ある地域を徹底的に調査すれば、そこに暮らすすべての生き物が把握できるだろう。いまだに新種が発見されることからも、これは、幻想にすぎないのだが、ある程度の物質循環がどのような生物によって行われているかは見えてくるはずである。これをこの地域の生態系であるといっていいのだろうか?では、その生態系と自然と何がちがうのか。
ある地域を考えたとき、そこに生息する生物はたえず入れ替わり、変化している。生き物はもともと、分布を拡大する特性を持っていて、利用可能な環境があればそこに進出していくからだ。これを、人為的に移動すると「外来種」問題が起きる。
この生態系という言葉の問題は、まだまだ自分の中で答えが出ていないものであるが、マスコミでこの言葉が使われる場合、制作者はどこまで理解して使っているのかを考えさせられるのである。
人間が認識するための「概念」と実在するものは分けて考えないといけないと私は思う。