2011.3.11
歴史に残る1日でした。
今後、教科書に載るであろう歴史が私たちが生きてるこの今、起きてます。
それは今でも、進行中です。
2012.3.11
今日であれから1年経ちました。
1年前の今日…
本震…(?)のまえにも東北では結構地震があったらしくて、
14時46分……
携帯が、市の防災無線が、緊急地震速報を告げて。
それまでには誤報が多かったそれ。
どうせ今回も、と思った時に伝わってきた揺れ。
こんな揺れ、体験したこと無かった。
本棚の前にいるネコを抱き上げて、玄関を開けに行きました。
中学は卒業していて、でもその日は学校に行って、卒業記念(?)のDVDの制作して。
完成して、
家でゆっくりしていたときのことです。
そのときは父が家にいたんだけど、職場に行ってしまって、
家で、畑とか、街とか、港とか…動いている車を、どんどん飲み込んでいく津波の映像を一人で見てました。
何が起きたのかは、たぶんわかっていない状態で。
中学の理科(?)の授業で、海外の津波の映像とかみたことがあったんだけど、どこか人ごとな感じがしてたんです。
悲鳴も言葉も自分たちの知らないもの。
建物も、風景も、みたことがないところを、大きな水の固まりが飲み込んでいく。
本当に、失礼だけど、人ごと。
だけど去年の今日は、そんなんじゃなかった。
車も日本でよく見かける車。
人の服装も私たちと似たようなもの。
町並みだって、過去にテレビで見たことがあるもの。
畑…これが一番私にとって大きかった。
農業高校に4月から入学を決めていて、まだ何の知識もないけど、トンネル(野菜とかを囲ってるカバー)を飲み込んでも、威力の落ちない黒をみて、ホントに、頭が真っ白になりました。
人ごとじゃない、本当に、目の背けることのできない事実が、目の前に突きつけられて。
目をそらしたくて。
見たくなんかなくて。
でも、なんか、目をそらせなかった。
自分の意志とは関係なしに、脳が映像を自分の中に焼き付けてた。
忘れちゃだめだって、きっと頭ではちゃんと理解してたからなんだと思う。
おばあちゃんが22時くらいにきてくれて、それからは少し、テレビから目を離すことができた。
その日は交通網がむちゃくちゃで母は深夜2時過ぎ、父も兄も翌日になってから帰ってきて。
なんか、今はいろんな人が大きな地震がすぐに来る、みたいなこと言ってるけど、
あのときはそんなこと思ってる人はほとんどゼロだったと思う。
学校だって、会社だって、お店だって、国会だって普通に機能していたのに、
一瞬で崩れていく“普通”
それがいつまた起きるかはわからないし、でも今はすごくその確率が高いって言われてる。
風化していく去年の今日を、少しでも書きためておかないと。
記憶は薄れるものだから。
でも、あの事実を、今も続く現実を、目に焼き付けて、
書きためて、
それは過去を引きずるんじゃなくて、活かすために。
生きていかなきゃいけないんです、3.11をきっかけに亡くなられた人たちのためにも、全力で。
一日一日を。
今日、ふと思い浮かんだのはRADWIMPS、ヒキコモリロリンの歌詞。
“今日で人を愛せるのは 人生最後だって思って生きれたら
きっと優しくなれるから 一生分毎日愛せるから”
いつ終わりがくるかわからないんだから、一生分、毎日、人を愛して生きていこう。
高校生なんかが書いた、こんな長文を最後まで読んでくれてありがとうございました。