5月19日、日曜礼拝の説教内容です
成長しましょう エペソ4:14-16
命あるものは必ず成長します。
命があると言いながら成長しないことは、
本当の命がそこにはないことを意味します。
私たちは聖徒として神様に選べられ、信仰によって命が与えられている者です。
従いまして、命あるものとして聖徒は成長する必要があります。
聖書は、聖徒がいつも子供のような状態にとどまっていることを望んでいません。
子供が成長して大人になっていくように、
聖徒も信仰において成長するように勧められているのです。
しかし、聖徒の成長においてそれを妨げるものがあります。
聖書が意味する「子供」とは、
教えの風に吹きまわされること、波にもてあそばれることを指します。
教えの風や波は、人の悪だくみと人を欺ける悪賢さによるものです。
このようなものが聖徒の成長を妨げるのです。
人の悪巧みや人を欺ける悪賢さによる教えの風というのは、
聖書の真理に反するこの世のすべての動きとも言えるでしょう。
また、時代をけん引する力ある魅力的な思想、哲学、文化など
様々な社会の動きとも言えるでしょう。
このような流れに合わせないと、
常に時代に遅れた人、愚かな人のような扱いをされるかもしれません。
しかし、聖徒にとって一番大事なことな聖書の教えです。
時代や場所を超えて変わらない真理である聖書の教えこそが
聖徒を聖徒としてしっかり成長させてくれるのです。
今日は、本当に多くの場面において
聖書の教えを無視するような動きが平然として現れています。
時には聖書の真理が誤っているかのような錯覚もします。
このような世の動きがすべての人々をより賢く、
最先端を走っているように見せかけています。
この優れている世の動きに対して私たち聖徒はどのように対応すべきでしょうか。
一番大事なことはこの世の動きの中心にある考え方が
神様を認めているかどうかであります。
いくら素晴らしいものであってもその中心的な考え方が
創造主で絶対主である神を否定するものであるならば、
その動きは聖徒を吹きまわすものであります。
その動きに調子を合わせて行くと聖徒として成長は難しくなります。
従いまして、このような動きに調子を合わせないことが
大事になってくるのでしょう。
しかし、調子を合わせないようにすると
今度は大きな波が迫ってくるように試練、苦難が私たちを襲うかもしれません。
しかし、このような波を恐れる必要はありません。
この波を恐れることが成長を妨げることであります。
このような波こそが、聖徒がより聖徒らしく成長できるように
力を与えてくれるのです(第1ペテロ4:12-14)。
このような妨げを避けることは、成長していく上で行うべき消極的なことですが、
聖書は、より積極的なことも私たちに勧めています。
それは、愛をもって真理を語ることです。
ここでまず大事なことは、真理を語るということです。
真理、それはもちろん聖書の御言葉です。
それは、神様が創造主であること、すべての人は罪を犯していること、
罪からの唯一なる救いはイエス・キリストの十字架の贖いを信じること、
このイエスは神であり、人であること等などをはっきりと示している聖書のことばです
真理を語るということは、真理の上に立つ、真理をつかむこととも言えます。
聖徒は真理を互いに語り合うこと、それによって互いに励まされ、
成長出来る力を得るのです。
聖徒は、聖書の真理を語ることによって
聖徒としてのアイデンティティがより確実になります。
つまり自分がどういう者であるかがよりはっきりとされるのです。
そして、それは自分のかしら、自分の主人が誰であるかを
より鮮明に教えてくれることになります。
体はかしらの指示を受けて動きます。
かしらの指示通り動かない体は健康な体として存続することができません。
聖徒として、イエス・キリストが救い主であること、
また、それを信じる者には確かな希望と約束が与えられていることを互いに語り合い、
キリストの身丈により近く成長していきましょう。
ここで、真理を語る態度として愛をもって語ることが次に大事なことです。
真理を語ることは常にイエス・キリストを表すことであります。
真理を教えて頂いたこともイエス・キリストの恵みの故です。
従いまして、自分が真理を知っているからといって
傲慢な態度や人を無視するような態度は望ましくありません。
真理を語るからこそより愛をもって、謙遜さをもって語る必要があります。
最後に聖徒として成長していくことは、
キリストの体であるひとり一人がバランスよく成長していくことです。
皆が同じようには成長できません。
それぞれの力量に合わせて成長していきます。
力量にふさわしく成長していくことによって、
体は全体のバランスを保つことが出来ます。
これこそが愛のうちに建て上げられることなのでしょう。
ひとりだけが成長していくのではなく
体全体が成長していくことです。
神様は私たちに命を与えて下さいました。
命があるということは必ず成長できるという約束でもあります。
この約束を信じて、もはや子供ではなく、
この世のどのような流行りや試練にも負けずに
祝福の約束である聖徒としての成長が出来るように、
互いに愛をもって真理を語ることを心がけましょう。
そして、常に成長出来る聖徒として日々歩むことを祈っていきましょう。