2月17日、日曜礼拝の説教は
「神に近づきましょう」という題で取り次がれました。
その内容を要約して、ご紹介いたします。

神様に近づいていくということは、祈ることです。
しかし、人間の常識と論理の中で、
目に見えない存在に祈る、対話するということは
ありえないこと、不可能なこと、むしろ愚かなことに
思えるのではないでしょうか。
よって、「祈る」ということはまず、生ける神様、イエス・キリストを
信じる信仰から始まるのです。
そして、イエス・キリストを信じて、神様に祈る人は
ただ「祈る」だけではなく、大胆に、確信をもって祈ることが出来るのです。
つまり、自分の祈りが決して拒まれることはない、神に聴かれないことがないという
確信の中で、畏れずに祈れるということです。
確信をもつということは、自信をもつことと同じだとも言えるのでしょう。
そしてその自信というのは、繰り返された「経験」によって得られるものなのです。
「信仰がなくしては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には
報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。」
新約聖書、ヘブル11章6節のみことばです。
日本語の聖書には、「神を求める者」と訳されていますが
ギリシャ語で書いてある原文には、「神を熱心に求める者」と書かれています。
熱心に求める者に報いて下さる神様を体験することによって、
またその体験が繰り返されることによって確信(自信)をもつことができ、
より大胆に神様に近づいていくことが出来るようになるのではないでしょうか。
これらは全て、イエス・キリストを信じる信仰から始まります。
そして、クリスチャンにはもうすでにこのような信仰が与えられています。
そうであるのなら、信仰をもっているのなら、より熱心に神に近づいていきましょう。
熱心に求めた時に報いて下さる神を体験しましょう。
その体験は、私たちがもっと一生懸命に神様を求めるようにさせ、
それによって私たちは神様のことをより豊かに、より深く知ることができるのでしょう。