浜松めぐみバプテスト教会の都ジョンベ牧師は
三方原聖隷病院のホスピス病棟内の礼拝で
月に一度、説教の奉仕をさせて頂いています。
今月の21日、木曜日の説教です。
創世記11章1-2 「神様を覚えましょう」 2012.6.21 三方原聖隷病院礼拝説教
-バベル塔
先月、5月にテレビのニュースで一番沢山映っていた建物は何であったと思われますか。おそらく東京のスカイツリーではなかったかなと思います。634メートルの電波塔としては世界一の高さを誇る建物です。その美しい外観とともにそれに利用されている様々な技術や人々の話など、そしてスカイツリーとともに利用できる多くの商業施設などが連日報道されました。地域の期待感も非常に高いということが良く分りました。本日私たちが読んだ聖書もこのような素晴らしい建物に関係する話です。
ノアの時代の洪水の後に、ノアとその子孫から人々が増えまして各地に人が住むようになりました。そして、彼らは住む場所をもとめて旅をしました。それで、見つけた場所がシンアル平野です。当時の人々は言葉が同じで、同じように話していました。そして、彼らはそこに住みつくのです。定着するのです。
定着するようになってから彼らは新しい発見をするようになります。住むためには家が必要ですが、シンアルは平野でしたので、家を作る材木や石材がなかったのです。そこで、彼らが思いついたのはレンガを作ることです。レンガを作り、焼けば石のように硬くなることが分かりましたので、彼らはそのレンガとアスファルトを用いて自分たちの家を作ったのでしょう。そのように徐々に町が出来ていたのでしょう。
そして、沢山の家を建てた経験からより大きな建物、高い建物を建てる技術も身につけたのではないでしょうか。そこで、彼らはこう言います。
”さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう”
これで、その有名なバベル塔が建てられるようになりました。
-神様が見に来られる
このように素晴らしい町が建設され、人々もその中で幸せに暮らしました、と話が終わればとても良いかもしれません。しかし、この話はここで終わらないのです。人々がこのように建設しているこの素晴らしい町を、神様がご覧になるために来られます。そして、この町をご覧になり人々の営みをご覧になった結果、彼らを散らすことを決めます。そして、彼らの言葉を混乱させて、これ以上に彼らが町を建設することが出来ないようにしてしまいます。その結果、人々は町の建設を中断し、全地へ散って行きます。これがバベル塔の話の結末です。天まで届く高い塔がある素晴らしい町で人々が幸せに暮らしました、が終わりではなく、言葉が神様によって混乱させられ全地へと散らされてしまうのが終わりなのです。
何が問題でしょうか。一体神様はどのような理由で人々が建てた町を駄目にし、人々が住んでいる場所から離れるようにしたのでしょうか。神様は人々が素晴らしい町を建てて暮らすのが嫌いでしょうか。人間が幸せに暮らすことが気に入らないでしょうか。
このような疑問に答えを得るためには、聖書の神様がどのようなお方であるかを知る必要があります。聖書の神様が他の神々と何が違うかを知る必要があるのです。
一般的に人々が信じる神々は人間によって作られています。そして、人間が作った何らかの形を持っているし、ある場所において影響力を持っているし、人間の捧げものによって支えられるような存在です。彼らの性質も非常に人間的であり、感情的であり、また状況によって変わるものでもあります。少しでも理性的に考えてみればそのような神々が本当に偽りのものであることがすぐわかります。人間によって左右される存在であり、人間にとって都合の良い作りものであります。人間のための神であります。人間の欲望を満たすための手段であるのがこの世の神々です。
しかし、聖書の神様は全く違います。その神様は創造主の神様です。そして、すべてを治めるお方です。人間の手による支えられるのではなく、神様によって人間が支えられています。人の作った建物や形の中に閉じ込めることのできないお方です。ご自分の全ての意志や計画の中で営む方です。人間のための神様ではなく、神様のための人間であります。すべての主導権は神様が握っているのです。
この聖書の神様がどのようなお方であるかを分かれば、このバベル塔を建設した人々の過ちが何であるかが見えてきます。
神様はこの世の創造の時、あらゆる生き物を作った後に、ご自分のかたちに倣って人間を作りました。そして、作られた人間にこのような命令をされます。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」
神は人々が全地へ広がって行くことを彼らの創造の時に、ノアの洪水の後に語られました。これが神様の計画であり願いでありました。しかし、バベル塔を作った人々は最終的に散らされることのないようにと素晴らしい町を建設しようとしたのです。つまり、彼らが町を建設してそこに住みつこうとしている動機は、神様の命令に従わないためであります。彼らの計画は神様なしで、神様を排除して自分たちだけの素晴らしい世界を作り上げることでした。
人々の観点からはこのような営みが何の問題がないように見えます。神様ののぞみ、計画、目的などは関係のないものですから、自分たちの生活が豊かになっていけばそれでよしと言うことでしょう。しかし、このことを、このような考え方を神様の観点からみると明らかに神様を退ける行為であり、神様の計画と目的に違反することであります。
聖書が一貫して語ってくださることは私たちの人生は自分のものではないこと、たから自分勝手に生きることが許されていないことです。
それは、人間の本当のいのち、平安、幸せは神様とともに、神様の計画、目的に従っていく時だけに得られるからです。神様を退けること、それがいくら素晴らしくて良いものであっても、その結果は空しく終わってしまいます。このバベル塔の話が私たちにそれを教えてくれるのです。
神様は人が本当に幸せに生きる道を、方法をちゃんと用意しておられます。人が守って従って行けば必ず幸せになる道を計画し用意してあるのです。それは、救い主イエス・キリストです。それ以外に人が幸せになる道はありません。この方以外に命を得る方法はないし、神様に喜ばれることもこの方以外にはありません。
私たちは今まで、バベル塔を建設した人々のように神様なしでも、神のことを知らなくても素晴らしい人生を送って来たかも知れません。しかし、それがどのような人生であっても最後まで神様が退けられている人生であるならば空しいものになります。
今日、神様は私たちの人生が空しさの中で終わることのないようにこのように素晴らしい道があることを教えてくれました。この道を歩みましょう。神様は私たちの人生が空しく終わることを望んでいません。より豊かに、より素晴らしいものにしようとしておられます。そのためにただ一つ必要なことはイエス・キリストを信じることです。受け入れることです。
私たちが願い求めれば必ず私たちにご自分を示して下さる神様です。私たちの人生をこの神様に委ねて、本当の幸せを味わえる私と皆様になりましょう。