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厚木野太一の「パンティストッキングのお部屋」

婦人肌着業界並びに婦人靴下業界から長引く不況に喘ぐ
冷え切った我が国経済の立て直しを図ります。

「パンストとは何だ!!」「これがパンストだ!!」「飛び出せパンスト!!」~その1~

2011-09-03 14:47:54 | パンティストッキング
昭和46年から10年以上の歳月をかけて書き上げた三部作であります。

「パンストとは何だ!!」(深川第三中学校1年6組 厚木野太一 昭和46年3月9日)

国内初のパンティストッキングがリリースされて4年目の春、今までシームレスストッキングをリング

タイプの靴下留めで穿いていたママのパンスト姿に魅せられて、そもそもパンティストッキングとタイツ

の違いを考えた時、「そんなのストッキングの生地でタイツを作っただけでしょ。」的に揶揄されたワケ

ですが、正にそれは「コロンブスの卵」にも例えられるアイテムであって、いち早くこのアイテムに注目

して国産のパンティストッキングを作るコトに専心した堀禄助翁の偉大さに敬服するばかりであります。

この「パンストとは何だ!!」は生粋のタイツフェチであったボクが悶々とした気持ちと向き合いながら

書き上げた今やパンストフェチのバイブルとも言える伝説であります。

ボクたち子供にとって小学校を卒業するとゆうコトは大人への登竜門‘思春期’に踏み込むコト、これ即ち

小学校時代、慣れ親しんだ黒いタイツに別れを告げてパンティストッキングを穿くとゆうコトでもあります。

厚木ナイロン工業㈱が国内でパンティストッキングを発売した昭和43年を境にそれ以降の中学校の校則

として生徒手帳には「女子は、通常、肌色のパンティストッキングを穿くコトができる。冬は防寒を目的

として黒色のパンティストッキングを穿くコトができる」と明記されています。

一方、昭和43年以前の中学生生徒手帳には「女子は、ストッキングを履くモノとする」とあります。

昭和43年より以降の中学校の校則として生徒手帳には明確にパンティストッキングと記されています。

着用を表す漢字もセパレートストッキングの頃の「履く」から「穿く」となっています。つまりそれ以前は

セパレートタイプのストッキングであり、シームレスタイプのストッキングがメインだったとは言え、当時、

バックシームのストッキングを履いている女子中学生も存在したコトを意味します。靴下留めも手軽な

リングタイプが主流ではあったモノの吊り下げ式のガーターベルトをしている女子も居たとゆう話です。

そんなコトを想いながら女子の身体測定当日の保健室を妄想してみてください。

当時の校則ではストッキングのお色もストッキングを履く時期も制限していないワケですから保健室内は

黒や肌色のストッキングをガーターベルトで吊っている女子がウロウロしていたワケです。

そんなある日、教育委員会による身体測定総見の当日、女子の身体測定の現場に立ち会った教育長から

「ガーターベルトをストッキングで吊るスタイルは中学生らしからぬ姿である」とのクレームがついて

即刻禁止になった矢先にパンティストッキングが登場したコトは、幕末に坂本竜馬と勝臨太郎(海舟)が

出会うべくして出会った逸話によく例えられるお話であります。

かねてからパンティストッキングの時代が来るコトを周りの女子に話していたボクはいつの間にやら

パンティストッキングの購入や穿き方、お手入れの方法などのアドバイザー的存在となっていたので

あります。