わいわい!テレビ

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戦場カメラマン渡部陽一さん講演会レポート

2011-02-05 | 屋外活動
マスターです。
2/3に戦場カメラマンで有名な渡部陽一さんの講演会に出席しました。写真は撮りませんでしたが文字でその様子をお伝えします。記憶を頼りに書いているため、ところどころ間違いがあるかもしれません。そのときは申し訳ありません。

開演時刻に戦場カメラマン渡部陽一さんが登場。おなじみのゆっくりとした口調で講演を始めた。舞台上を所狭しとよく動くこと、身振り手振りを交えたわかりやすい説明を心掛けていた。
三つの柱に分けて話をしていた。

・戦場カメラマンになるきっかけ→公式サイトにも詳しく書かれています20歳のころ猿のように小さいピグミー族のことを大学教授に紹介され、アフリカへ渡る。日光も入らない薄暗く方向もわからないジャングルの中で持ってきた食料が尽き、生死の境をさまよう。その時偶然トラックのエンジンの音が聞こえ、必死に手を振り助けを求める。
そのトラックには魚を近くの集落に売るため、荷台に魚を積んでいた。車には運転手とナビゲーターのほか行商などが同乗していた。憔悴しきっていた彼は「助かった。これでピグミー族に会える。」と安心していた。道路はぬかるんでいてところどころに穴ができていて、歩いたほうが速いと感じるほどゆっくり進んでいた。
それもつかのま、しばらく進むと少年兵に銃を向けられる。あまりの恐怖に彼はトラックから転落してしまった。急いで車の下に隠れると、少年兵が銃を乱射し、金属音が聞こえた。気が付くと彼は銃を突き付けられ、死の恐怖にさらされた。しかし彼は持っていたアメリカドル札とカメラを少年兵に渡すことでなんとか生還することができた。
この事実を日本の友人に話してみたがなかなか信じてもらえなかった。これが彼が戦場カメラマンを志すきっかけとなる。
戦場カメラマンとしての生活は収入として安定しておらず、テレビに出る前は副業として横浜で長年バナナの積み込み作業を行っていたそうだ。

あまりに熱弁をふるってつかれたのか、第二の柱について話す前に水を飲んでいた。

・写真を交えた戦場の紹介
イラクに取材したことを紹介。戦争が起きた原因はイラク国内に豊富にある石油を他国に売らなかったことだと説明した。イラクではあまり公にされていないが、劣化ウラン弾による空爆が行われ、当時お腹の中にいた胎児は放射線を浴び、目がなかったり腫瘍ができてしまっていた。その写真は少々気持ち悪いものであった。
彼は現地に住む学校の校長に密着した。結婚して子供が4人いる。
午前中は学校で児童が授業を受ける。戦場の貧しい子供にとってこの時間は一番楽しみなのだとか。授業が終わると下校する。学校は安全だか一歩外は危険で兵士が付き添っていた。
児童が下校し終わると昼食の時間。校長は職がありお金があるので、隣近所にいつもおすそ分けをしているそうだ。主食は「トマトごはん」。トマトベースのスープで炊いたもので味はほとんどないそうだ。100円ほどでつくれるらしい。
一方裕福でない貧しい児童は食費を稼ぐために午後から働く。ある児童は近くのバス停からロバを引いて荷物を運んだり、またある児童はバナナを売っていたりした。そのバナナの定価は10円(だったかな…)程だったが、何も知らない彼は1000円と騙され買ってしまった。どうやらその児童は彼を外国人=金持ちと認識したらしく、その金を持ってそそくさと帰ってしまった。
イラクの子供たちは「トマトごはん」のような食事にありつくために、多大なる努力をしていることを述べていた。
ほかにも最近行ったというアフガニスタンについての報告もあった。

写真はパソコン(windowsXP)の中に保存してあるものから、プロジェクタを通して表示していた。スライドショー機能で表示していて、一つのフォルダにまとめていなかったらしく、ところどころフォルダを行き来していた。

・質疑応答
戦場のことに限らず、どんな質問でも受け付けていた。本当は講演会に出席している全員に聞いてみたかったようだが、裏の人により一階部分の人が中心に指名され、二階席には全く当てられなかった。その時に質問された内容は次の通り。
■受験戦争について取材をしないのか
二浪して大学に入学したことを明かした。また隣の県まで電車で旅をすることで日々の不安を忘れられたという当時のエピソードを紹介した。
■奥さんをどのように口説いたか
友達に勧められ即告白、付き合い始めた。現在三人暮らし。
■初デートはどうだったか
横浜で映画もののけ姫を見て、その後ドドールコーヒーのジャーマンドックを食べた。
■戦場に行ってよかったことは何か
戦場でたくさんの友達ができたこと
■写真以外の特技はあるのか
釣り。海の近くに住んでいて将来は魚博士になろうと考えていたそうだ。
■「右寄り」「左寄り」についてどのように考えるか
右寄り…昔からの伝統やしきたりを大切にする
左寄り…新しいことを積極的に取り入れ作り出す
今の日本は新しいものを追い求めすぎたのか左寄りに傾きすぎているので、バランスをよくするべきであると述べた。
またテレビは新しいものをどんどん取り入れないと飽きられてしまうので左寄りの考えになっているとも述べた。
■奥さんは戦場に行くことを止めないのか
彼女はエジプト、スーダン(だったっけ…)など危険な国々に住んでいたことがあり、戦場がどんなに危険なところか理解してくれているので止めることはないそうだ。
■ベレー帽を脱いでほしい
質問に答えちょっとだけ脱いだりしていた。ちゃんと髪の毛は生えていましたよ。
■普通にしゃべってほしい
このしゃべり方がふつうなのだそうだ。小学生のころからゆっくりしゃべっていたが、戦場でわけのわからない外国語を話すことでもっとゆっくりになってしまったのだそうだ。

最後に、今度はロンドンのカフェで戦場について語りたい。グルメでもなんでもいいので積極的に海外に進出してほしいと述べ、講演会は終了した。その後、彼が出演する夜のテレビ番組の番宣をしていた。

二階席から見ていましたが、身振り手振りを交えた説明はわかりやすく、戦場にいるかのような感覚を想像しました。やさしそうで結構親しみやすい人だなと思いました。ただ、あまりにもゆっくりしゃべっているので、眠気を誘ったのかお隣さんなんか寝ていましたね。私も眠くなってきました。
講演会終了後会場を出てタクシーに乗り込むところを目撃、絶好のシャッターチャンスだったのですがカメラを出すのが遅れ、ただ静観するしかありませんでした。カメラは持ってきていたのでここはカメラに収めておきたかったです。なにやってるんだか…。

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2011.02.02(水) 369 PV 221 IP 5221 位 / 1531277ブログ

絶好のチャンスを逃してしまいやけになった私は、帰りにウエストポーチ型カメラバックを買いました。今までは肩にかけるタイプのものに携帯・財布・旧カメラを入れて使っていましたが、かけ方がいけないのか首に負荷がかかり息苦しくなってしまうので末期はあまりかけたがらなくなってしまいました。走るとブランブラン揺れてしまうのも難点。小さいので新カメラも入ってくれません。
しかし今回勝った新ウエストポーチは携帯・財布はもちろん新カメラも入るので、いつどんな状況に出くわしてもさっとカメラを出せるようになりました。これでシャッターチャンスを逃す心配はありません。また腰に密着すれば少々走っても平気です。お腹と腰に負荷がかかりますが、今までのものよりは断然いいですね。買ったその時から愛用しています。お値段は2580円でした。