親しみやすい「適度な美形」ならではの需要というものもある
でもライティングはかなり重要
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遺伝的進化が促されるためには必ず淘汰圧力による収斂が必要であり
先天的に環境適応できない遺伝子を持って生まれてくれば淘汰対象(失敗)にしかならない
たとえ進化に「成功」したとしても それは「死ななかった」という結果でしかなく 「生きて」いさえすれば「生物」だという話に過ぎない
ヒト同士が殺し合おうが奪い合おうが 現存種でありさえすれば「生物」であり 遺伝的進化としての「成功」とは所詮「今現在絶滅していない」という結果以上の何の意味もないのである
進化の結果として生息環境を破壊して自滅しても それは全て自然現象の「結果」であり これからも永遠に存続できる保証は遺伝的進化には一切ない
遺伝的進化というものの根源的原理を理解していれば「〇〇のために進化を選んだ」とか「考えた」といった話が論理科学的にあり得ないことは明らかである
エピジェネティクスなどという定義のあやふやな話を持ち出して遺伝的進化に選択可能性が存在しているかのような屁理屈をいくら陳列しても 原理的に遺伝要素の能動的選択は不可能であり 受動的に選択「される」以外の淘汰収斂以外は起きないのであって 個体の後天的意図目的に基づいて進化を「選ぶ」ことは不可能である
生物というものに絶対的「成功」のようなものは存在せず あくまで特定環境に適応して繁殖を継続している現存種を「生物」と分類しているに過ぎない
ライオンはアフリカのサバンナに適応しているだけであって 西表島には適応できない
特定環境に適応し過ぎれば 大きな環境変化に適応できずに簡単に絶滅するものでもある
ネアンデルタール人は寒冷地適応したが故に温暖化に適応できずに絶滅したと言われている
進化の果てに必ず「成功」が約束されているという観念には論理客観的根拠は全くなく
膨大な死滅淘汰の果てに偶発的に生き残れた現存種だけが「生物」なのであって 現状の生態系による環境調和も結果的調和に過ぎず 環境調和に失敗した種や生態系の全てが淘汰された結果でしかない
日本の里山のように環境との調和がとれた産業構造も 幾度もの失敗の果てに持続可能なものに収斂した結果であって むやみに生産性ばかりを追求して殺虫剤や殺菌剤を多用すれば環境調和がとれずに持続可能性も失うことにもなるのである
ヒトも所詮は地球環境との調和なしに存続することは不可能であり 先天的欲望のままに行動していれば必ず破綻を迎えることになることは明らかである
先天的欲望というものは 祖先の生息環境において「死なずに生き延びた」性質への収斂に過ぎず だからこそ環境資源の独占奪い合い競争による紛争をヒトはやめることができないのである
男の多くが多数の女性との性的関係を持ちたがるのも 「誰彼構わずヤリたがるオス」の祖先の方が「繁殖の継続」において有利だったという収斂進化の結果でしかない
進化の全てが個人的欲求や社会持続可能性や公平性にとって必要な性質を獲得できるメカニズムやプロセスは存在しない
もし後天的に遺伝的進化を促そうとするのであれば 断種や殺害を徹底しないと遺伝的には進化は促されることはないのであり それを実行しようとしている時点で「人間」としては甚大な欠陥である
通り魔やテロリストなどの無差別殺人犯を何人死刑にしても 無差別殺人事件の根源的原因究明にも再発防止にもつながることはない
死刑などの懲罰で何かが解決したという観念(錯覚)を自覚しない限りは無差別殺人はなくならないからである
温室効果ガス削減などの環境保全にとって最も重要なのは 国連や政府による施策ではなく 個人の「意識」こそが最も重要である
「欲望=自由」という短絡的方程式を鵜呑みにしている頭の悪さを全てのヒトが自覚しなければ 「本当の目的」を見失い絶滅破綻するのは確実である
「本当の目的」とて 所詮は主観的欲望の中から選び採るものではあるが 「選択」において重要なのは論理客観的根拠に基づいた「考え」である
欲望の強度程度だけで選択しているのであれば それは先天的欲望の奴隷でしかなく 到底「自由」とは言えないのである
自分の頭の悪さを問題だとすら「思って」いない(問題盲)からこそ ヒトはバカが治らず読書猿だの養老孟司だのマルクス:ガブリエルだのマイケル:サンデルだのを簡単に鵜呑みにして主観的に満足するのである
その衆愚の多数で金儲けに成功していても それが「人間としての優秀さ」の論拠には全くならない
衆愚の価値観では金儲けなどの世間的成功こそが「人間としての優秀さ」だと「思って」いるものだが それこそがヒトの先天的な頭の悪さ(認知的欠陥)による錯覚である
「人間性」とは 世間的成功に依らずに自律的な社会的責任判断選択をできることであって たとえ社会的に排除されようが無視されようが貫く「意志」なくして発揮されるものではない
原発事故の責任を問う者は多いが 自分に科せられた責任の範囲内において自律的に責任判断選択をする者は少ない
それはただの「身勝手なワガママ」というものである
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ヘルメットの内部の衝撃吸収材って発泡スチロール的なものが使われているけど
あれをエアウィーブ的なものに換えたら真夏の炎天下でも快適なんじゃないかと思ってみたりする
繊維を細くして密度を上げればナントカなるんじゃないかろうか
スーパーバイクレースみたいに時速340キロで走れば圧搾空気を送り込んでいるようなものなので関係ないが
街中だと速くても60キロしか出さないし 信号待ちもあるから条件が違い過ぎる
太陽電池で送風しても良さそうなもんだ
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遺伝的進化というものは 個体が自由に選択できるようなものではない
バカな生物学権威やマスコミは「〇〇のために進化を選んだ」といった説明を平気でするが これは科学的には著しい誤謬である
例えば昆虫の擬態について 大衆観念的にも旧来の生物学的にも「捕食者から見つからないように枯れ葉などに姿を似せた」といった解釈をしているが 捕食者から見つかりにくいような形質になるよう自らの遺伝子を都合良く改変させることなど原理的に不可能であり とんでもない大間違いである
偶発的に枯れ葉などの似ている姿の個体以外が天敵から喰われ続けた結果として より枯れ葉などに姿の似ている遺伝子への収斂進化が起きた結果を 我々は「擬態」だと形容しているに過ぎない
この話は実は既にマスコミでも幾度か解説されたことのある話であり 一部の生物学者の間では常識となっているのだが あくまで「一部の生物学者の間」だけであって大半の生物学者やマスコミはこれを全く理解していない
国立科学博物館の遠藤秀紀は こうした旧来の生物学上の誤謬を「典型的な間違い」だと説明しているが その具体的内容を理解している者は生物学界においても大衆マスコミにおいても極めて少数派である
2021年暮れに放送されたNHK「ジェンダーサイエンス」では「子宮内膜を厚くすることを考えた」などという非科学的で荒唐無稽な説明をしており これを指摘してもNHKは一切耳を貸さず 訂正もしなければ周知もしていない
一応説明しておくが 子宮内膜が薄いと母子共に死ぬ確率が高いため 結果的に子宮内膜が厚くなる遺伝子を持った個体への収斂進化の結果であり 「考え」などという後天的なものは遺伝要素に影響を及ぼすことはない
エピジェネティクスなどと称して「後天的要素が遺伝的進化に影響を及ぼす可能性」について論じている生物学者もいるが 「後天的要素が遺伝的進化に影響を及ぼす」からといって都合良く「目的に則って遺伝的要素を選択することが可能」であることの論証には全くならない
バカな生物学者は遺伝的進化さえ促されれば常に正しい結果が得られるとでも「思って」いるようだが ヒトの凶暴性や差別というものも遺伝的進化によって結果的に組み込まれた本能習性によるものであり 祖先の生息環境下における環境資源の奪い合い競争に勝ち抜いた個体種への収斂進化として ヒトは差別や暴力紛争という非合理な行動を引き起こすのである
遺伝的進化というものは あくまで「繁殖の継続」という結果以上の何ももたらすことはない
遺伝的進化というものは あくまで「死なずに生き残った個体」が「生物」として現存しているに過ぎず 「生き残って繁殖を継続可能」という結果以外には何の収斂進化も起きることはない
現存生物というものも 所詮は現状において生物として存続しているものの これからも永遠に存続可能であることの保証は何もなく 過去には幾度もの大絶滅(進化の袋小路)も起きており これからも大絶滅が起きない保証は何もないのである
現状ホモ・サピエンスが地球上において異常大繁殖しているが これを短絡的に「繁栄」などと称して全面的成功であるかのように解釈しているのは大間違いで 実際には自らの生息環境を破壊し 環境資源を喰い尽くして絶滅への一途を辿っているのである
ヒトは 主観的・情動的には大半が「死にたくない」と「思って」いるが これはあくまで個人の主観に過ぎず どんなにたくさんの主観の多数決を集計しても「ヒトの目的は死なないこと」であることの論拠には全くならない
個人的に「死にたくない」からといって これを根拠に「生物の目的は生存」などとこじつけるのは 到底論理客観的な科学的根拠にはならない
生物には目的などなく あくまで生息環境に適応して繁殖を継続できている現存種を「生物」と分類しているに過ぎないのである
こんな簡単な理屈すら誰も気付かず 誰も考えもしないにも関わらず 自分達を「知的生命体」などと「思って」いるのは勘違い妄想も甚だしい
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「数理的に証明」とか言っても現実には存在しない仮想環境で何を「証明」しても一種の妄想ファンタジーでしかないからな
現実には存在しない重力勾配環境においての安定軌道を「証明」したところで現実の宇宙空間で起きている事象の証明になんぞならん
安定軌道(以前書いた記事) -このブログ
都合の良い条件で何を「証明」したって「こじつけ」でしかねぇだろうよ
バカは「数理的に証明」だとか言っとけば簡単に鵜呑みにするが
後天的に部族間紛争で勝ち抜く行動を親(祖先)から学習したことで獲得する「進化」が一体どういうものなのかを誰も考えないのかね
遺伝的進化における「成功」というのは あくまで「生息環境に適応して繁殖を継続している」という「結果」に過ぎず 殺し合いだろうが強姦だろうが手段は何でも構わない
「生息環境に適応して繁殖を継続している」のは特定の生息環境における「結果」でしかなく 進化の先で絶滅することも充分にあり得るものであり また実際に幾度も絶滅は起きているのである
遺伝的進化に「目的」が存在しない以上は「生存」や「繁殖の継続」も全ては自然現象の「結果」であって 決して「永遠の成功」や「絶対最適解」の論証には全くならない
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進化と学習の関係を扱う新たな数理手法を構築することで、先祖の経験を生物個体が学習し、先祖をまねた形質を選択すると仮定すると、ランダムな突然変異のみを考慮した場合よりも、進化が加速されることを数理的に明らかにした。
自然選択による進化により、多様な形質を持つ生物の集団は環境に適応していく。従来の進化学では、集団内の形質の多様性はランダムな突然変異で生じ、親世代の経験は反映されないと考えられてきた。しかしながらエピジェネティックス(注1)研究の発展などにより、親世代の経験に依存した突然変異が起きる可能性が近年示唆され始めた。つまり、先祖の経験を各個体が学習し、多様性にバイアスをもたらす可能性である。しかし、これにより進化がどれだけ加速しうるのかなどを扱う体系的な理論は存在していない。
出典:東京大学生産技術研究所
⇨仮定の上で「数理的に明らかにした」とか言われてもな
「先祖の経験を各個体が学習し、多様性にバイアスをもたらす可能性である。しかし、これにより進化がどれだけ加速しうるのかなどを扱う体系的な理論は存在していない。」
「可能性」の範疇の話であって 仮定に過ぎない上に「体系的な理論は存在していない。」って 一体何を「発表」したつもりになってるんだろう
意味が全くわからない
「先祖の経験からの学習を各個体が行うと、突然変異のみの場合より進化が加速され、より早く環境に適応できると考えられる。」
そりゃそうでしょうよ 「仮定」の上のこじつけ妄想じゃねぇか
エピジェネティクスについては国立がん研究センターの説明がわかりやすいと思う
私たちの体は皮膚、胃、肝臓など様々な組織から出来ており、これらは別々の細胞で構成されている。どの細胞も基本的には同じ遺伝情報を持っているのに、別々の細胞になれるのは、使う遺伝子と使わない遺伝子に目印をつけているからである。エピジェネティクスとは、これらの目印を解明する学問である。皮膚から胃ができないことに象徴されるように、エピジェネティックな目印の特徴は、一旦つくと、容易にははずれないということである。
細胞内のDNAは、ヒストンとよばれるタンパク質に巻きついてできている。エピジェネティックな目印には、DNAにつく目印(DNAメチル化)とヒストンにつく目印(ヒストン修飾)の2つが知られている(図)。
引用元:国立がん研究センター
要するにエピジェネティクスってのは プログラム上の「switch文」などの分岐シーケンスなどを指すのである
どのみち遺伝的進化というものは「繁殖の継続」以上の結果以外何ももたらすことはないことに変わりはなく 「繁殖の継続」にとって有利な行動習性や形質以外が遺伝的進化によってもたらされる理屈は存在しない
生物というのは目的があって進化しているわけではなく あくまで環境適応できて現存している生物種を「生物」として分類している以上の意味はない
仮にDNAの遺伝情報以外に遺伝情報が存在しているとしても 結局は遺伝要素であることに違いはなく 遺伝的進化によって獲得している以上は「繁殖の継続」以外何も促されることはない
親世代の不摂生が子の遺伝的要素に影響を与えることは知られているが 意図や目的や戦略に則った都合の良い影響が選べるわけではなく あくまで結果的な影響しか及ぼすことはない
実際にヒトはここ数万年ほとんど「進化」などしておらず 相変わらず暴力威圧の軍拡競争や殺し合いを繰り返しているのであって 環境資源の奪い合いや殺し合いで生き残れる個体は「強い個体」や「凶暴な個体」だけであって 「生き残った」個体種に「学習」されるのは暴力性ばかりであり 都合良く人間性や倫理や論理客観的検証性が先天的に組み込まれる仕組みなど存在しないのである
東京大学生産技術研究所は一体何を「発表」したつもりになってるんだろう 発表前に査読とかしてるのかしら 誰かが査読しているとしたら査読している奴もかなり無責任だと思うが
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マグカップ
扇子
箸
ベーゴマ?
達磨?
別に川崎大師とかではないと思う
ニコンの羊羹とかみたことあるけど
カワサキもなかなかのおちゃらけ具合
スズキには前掛けがあった
ホンダでアシモのフィギュア売ってた
ホンダには京商製のミニチュアカーも扱ってたので
京商のサイト覗いてみたらサンバーのミニカーあった
↗スバル サンバー -京商
「あった」んだけど 販売は終了していた
残念
ペンタックスには販売店用の展示什器があった
↗レンズスタンド用プレート HD PENTAX-DA 21mmF3.2AL Limited
レンズスタンドは別売り
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