漢文が読めないと、現実的な弊害があります
[読書猿の解答]
公の教育の意義を認知的ワクチンと考えると、学校で何かを教えなくてもいいという主張は、もうそんな伝染病なんてないのだからワクチンを打つ必要はないというのと似ています。
認知的ワクチンというのは、害あるデマや考えをウイルスになぞらえて、知識や考え方(だから認知的といってます)を教え学ぶことでその流行を防いでいる、という意味です。
すると問題は古文や漢文を教えることが認知的ワクチンだとしたらどのような認知的ワクチンであるか、つまりそれを学び知ることでどんなデマや害ある考えが防げるのかということです。我々の日本の歴史や文化についての知識は、多くの部分を近代以前に書かれた文献資料に基づいています。さらに、漢文が分からないと明治期の知識人が書いた文章(漢文訓読体)をちゃんと理解できないので、近代の文献も読めません。
たとえば福沢諭吉『文明論之概略』で「盗賊殺人は人間の一大悪事なれど」というフレーズの「人間」は「にんげん」ではなく、漢文でいう「じんかん」=「俗世間、世の中」という意味です。「にんげん」と解釈しても一見意味が通ってしまうので誤解しやすい。こういう落とし穴が結構あります。
漢文訓読体は、漢文に戻して理解するとわかりやすい。洋学派の福沢ですらこうなのです。明治期の知識人が書いた文章が漢文訓読体なのは、彼らを育てた私塾や、藩を超えたネットワークをつくった会読(読書会)という集まりが、漢文を読むことを軸にしていたからです。日本近代をつくった彼らの思考のベースが漢文にあった訳です。
古文や漢文を学ぶことを止めて直接生じるのは、近代以前に書かれた文献資料を読むことができる人が減ることでしょう。この事により、日本の歴史や文化についてのデマや害ある考え(たとえば捏造マナー本や、キモチイイ系の歴史本など)の流行が拡大するかもしれません。
高校までの古文や漢文の授業だけで、いきなり近代以前の文献が読める訳ではありませんが、これは英語や数学やプログラミングも同じです。実用化するには自分で更に積み上げることが必要ですが、認知的ワクチンのポイントは多くの人が広く接種することにあります。さらに知識のエコシステムもまた生態系ピラミッドのアナロジーで考えることができるなら、古文や漢文を読める人が減れば、スキルの高い人たちのレベルも下がると予想すべきかもしれません。
⇨「害のあるデマや考えをウイルスになぞらえて、知識や考え方(だから認知的といってます)を教え学ぶことでその流行を防いでいる、という意味です。」と論じているが デマや風評や洗脳に騙される性質というものはヒトという種の生物の先天的な欠陥に由来するものであって ウイルスのようにワクチンでどうにかなるものではなく むしろ生活習慣病のように日々の生活習慣こそが嘘に騙されないようにするためには重要なのである
害のあるデマや考えをウイルスになぞらえている時点で根拠がなく この時点で既にデマなのである
「古文や漢文を教えることが認知的ワクチンだとしたら」という仮定自体に根拠がなく 古文や漢文に精通していたらデマに惑わされない統計的根拠も何もないのである
「デマや害ある考え(たとえば捏造マナー本や、キモチイイ系の歴史本など)の流行が拡大するかもしれません。」とも言っているが 多くのヒトが捏造マナーの類いを捏造だと認識出来ないのは 形式やマナーといったものに対する盲目性を強要された結果であって 「漢文を学んだら嘘に騙されない」などというのもデマに過ぎない
野依良治でさえ「主観が大事」などという哲学界のデマを鵜呑みにしてしまうこともあるだけに 「これさえやっときゃ嘘やデマには騙されない」という短絡安易な方法論があるわけではなく むしろ主観的な好き嫌いで判断するのではなく 論理客観的に物事を検証するクセを身につけておかないから 簡単にカモられるのである
論理客観性が働いていれば 自ずから自然と批判精神も発揮され 誰が嘘つきなのかは自分で自律的に判断することができるようにもなる
相手の言っていることを論理的に理解せず 何となく雰囲気だけで鵜呑みにしてしまうからこそ嘘を嘘だと見抜けなくなるのであり
主観が促す気分的な満足による「錯覚」を「錯覚」だと認識するのは自発的な論理客観性であって 重要なのは「漢文か プログラミングか」といったものではなく 主体性とか自主性の方が重要なのである
本当は漢文なんぞに興味はないのに 「漢文さえ勉強すれば嘘が見抜けるようになるんだな」と勝手に勘違いして勉強しても そもそも読書猿のデマが見抜けていない時点でバカが決定している
「知識のエコシステムもまた生態系ピラミッドのアナロジーで考えることができるなら、古文や漢文を読める人が減れば、スキルの高い人たちのレベルも下がると予想すべきかもしれません。」と括られているが そもそも「知識のエコシステム」って何だよ 読書猿がでっち上げたデマじゃねぇか
「生態系のピラミッド」というものは そもそも遺伝的進化による結果的な淘汰圧力の結果であって 「知識が豊富でさえあれば社会的に優位な地位が得られる」という諭吉の妄想観念に則ったデマに過ぎない
人間社会において重要なのは 特定の知識の「量」だけで社会的な優位性を規定することではなく 個々の多様性をどう活かすかの工夫が重要であって むしろ人間社会に「生態系のピラミッド」を適用している時点で発想が相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺犯の植松聖と一緒である
そもそも「現実的な弊害があります」と言っておきながら 具体的な弊害については何も論証しておらず 結局全て「かもしれません」という根拠の乏しい「ふんわりした予測」しか書かれていない
こうした嘘というのは 池上彰が論じた「なぜ戦争が起きるのか これを見ればわかる」などという嘘と形式は一緒である
実際には何も論理的には述べておらず 論理的には「わからない」ため 具体性のある再発防止策には全く活かすことが出来ないにも関わらず 「現実的な弊害があります」など宣言している時点で既に嘘なのである
気分(主観)的に何かが「わかった」ような錯覚さえ促しておけば バカな大衆は簡単にデマを鵜呑みにして誰も嘘を見抜けなくなる習性がヒトにはあり だからこそマイケル:サンデルだのマルクス:ガブリエルの洗脳にも簡単に引っかかるのである
こんな単純な嘘も見抜けないバカなら もはや何を勉強してもバカは治らない
Ende;