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副交感神経が優位になるような写真が好き。

安心中毒

2021年12月26日 14時36分59秒 | 意識論関連

限られた集団においては互恵的・共生的行動の方が繁殖の継続において有利に働くとしても

実際の遺伝的進化というものは自然界における生存競争が介入するのであって 限られた環境資源を奪い合う上においては互恵的・共生的である必要性はない

特定の集団組織 例えば「部族」などにおいて 他の部族から土地(縄張り)などの環境資源を奪い合う際にも 部族集団内部での統率的協調性は有利に働くものである

他の部族との共生や利益の調停など考慮に入れず 一方的に環境資源を独占した方が一時的な繁殖においては有利に働くのである

 

また 統率協調性というものは あくまで封建的な順位序列による服従忖度性によって促される盲目的なものであり 個人の主体的な考えに基づく他部族への配慮や共生性は必ずしも持続可能性に供しない

たとえば 天候不良などの急激な環境資源の枯渇が起きた場合には 限られた環境資源を暴力的に奪い合う能力が高い部族集団の方が生き残りには有利になる

自然界というのは あくまで過酷な生存競争であり 限られた環境資源を暴力などの「力」で奪う能力の方が有利に働くのである

ヒトという種の生物は その集団統率的な協調性によって 大きな「力」を発揮することが可能であるものの それは自然界における過酷な生存競争においては暴力的支配の方が有利に働くことになる

実際に文明から隔絶された土着の民族では 部族同士の争いは絶えることなく 紛争による死亡率は年間1%に達する

年間「1%」というと大した数字ではないような錯覚を促すが 50年生きていれば1/2の確率で紛争で殺されるのである

文明から隔絶されていれば武器にさしたる違いはないので 部族間相互のパワーバランスによって不必要なまでに相手を殲滅駆逐するための損失は必ずしも利得を上回らないために 年間1%程度の犠牲で済んでいるものの

一旦銃や爆弾を手に入れてしまえば大量殺戮が簡単にできるようになるため 殲滅駆逐の相互暴走を招くことにもなるのである

銃や爆弾といった「道具」が問題なのではなく そもそもヒトというのは過酷な自然環境下における生存競争において殺し合いや奪い合いによって生き残った生物の末裔として 先天的本能習性としての封建的服従統率性(生物学上の「社会性」)が組み込まれているのであって 「大量殺戮兵器の開発」という急激な環境変化に適応できなかったからこそ 一方の武器が枯渇するまで殺戮の激化に歯止めがかからなかったのである

 

なぜ未だにミャンマーのような非武装民衆への弾圧や虐殺が起きるのかと言えば 軍隊という封建的な絶対服従統率を旨とした集団組織を構成する兵隊個人に自律的な社会的責任判断選択の「意思」や「意識」が働かないからである

兵隊は自分で物事を判断したりはしないし 行動責任も負わない

これは日本大学の組織腐敗や 原発事故の原因も同じである

学生や企業でのイジメも同様である

 

略奪独占の言い訳に良く引き合いに出される話に 「一つのパンを十人で分け合えば全員死ぬ」という理屈があるが 現実の世界は十個のパンを一人で独占している」のが真実である

本当なら分け合えば充分に足りるものを 先天的な遺伝子レベルに組み込まれた貧乏性を発揮して独占するための略奪を正当化するから社会持続可能性が崩壊するのである

 

日光いろは坂のニホンザルに餌を与えてはいけないという

なぜなら 一度餌を与えてしまうと 与えられることが当たり前になり ヒトに危害を加えてまで略奪をするようになるからだ

最初から餌など与えなければニホンザルは略奪などしないのだが いわば「環境に適応する」形で略奪をするようになるのである

 

自然界においては 環境資源が豊富な程凶暴な生物への収斂が生じるものであり ヒトもまた農耕技術を獲得したことで環境資源を豊かに出来たが故に暇を持て余して侵略や略奪紛争を拡大を招いたのである

農耕技術の開発というのは 本来なら分け与えるて共生することにも応用可能な「豊かさ」をもたらすはずのものだが ヒトという種の生物が持つ先天的な遺伝子レベルの貧乏性によって必要以上の奪い合いに発展してしまうことに陥るのである

軍備にかかる経費を 貧困対策に充てれば 貧困なんぞ一気に解消する

客観的に見れば 無駄な相互威嚇のために弱者を切り捨てているのである

「国益」と称して資源や技術の奪い合いばかりに囚われ 地球全体の利益への配慮が蔑ろにされているのである

 

個人において 他人との比較による劣等感から 茫漠とした社会への報復感情を勝手に抱いて無差別殺人に暴走する事例があるが

これは国家レベルにおいても同じことが言える

独裁国家というのは 国家レベルでの劣等感から武力威圧による優位性を妄想することで無駄な軍拡競争に陥っているのであり

国家であろうとも 結局は国家という集団組織を形成している個人の意識の低さの反映に過ぎず 意識がないから武力威圧(懲罰的報復)が目的にすり替わってしまうのである

 

中野信子が「頭が良い」とみなす基準は「金儲けに長けている」かどうかである

金儲けという利己的能力を人間としての価値であるかのようにしておけば 衆愚からの人気を得ることは簡単である

金銭的な豊かさというものは人間としての価値基準には全くならず 独裁者であろうと略奪者であろうとペテン師であろうと金銭的には豊かにはなれるのである

人間としての基準とは 自律的な社会的責任判断選択が行えるのかどうかであって 金儲けは人間性の論拠には全くならない

自律的な社会的責任判断選択をしたからといって 衆愚から人気を集められるわけでも 金儲けに成功するわけでもない

原発の津波に対する危険性を回避したところで それは東京電力という組織の利益にはならず 社会的には「当たり前のこと」をしたまでである

その「当たり前のこと」を放棄したのは 「組織の利益を優先し 組織内部での地位権益を保守するという利己的利益も保守したから」である

 

自分が属する組織集団にとって有利になる行動選択をしておけば 自分が属する集団組織の利益や優位性にもなる

だから 組織に属する個人は集団組織にとって有利になる行動選択をするようになるのであり それこそが社会全体の利益に対する責任判断選択を放棄する動機ともなるのである

 

衆愚というのは利己的利益追求を社会的な悪だと認識しながらも 自分の利益追求に関しては無罪だと「思って」いる

だから中野信子は衆愚人気が得られるのである

逆に 利己的利益よりも むしろ社会的には不利になり得る可能性もある自律的な社会的責任判断選択こそを人間性の論証だと言えば 衆愚のご機嫌を損ねて人気を失うのは必然的結果である

衆愚は何の責任も負うつもりはない

何の責任も負うつもりがないから「衆愚」なのである

「衆愚」の人気取りや多数決で物事が決定しているからこそ 社会の諸問題は一向に解決しないのである

衆愚が求めているのは 主観的な安心満足だけであって 論理客観的な社会安全性や公平性ではない

だからこそ優生学などというオカルト観念に対する論理反証が全く周知されないのである

自分を優秀な存在だとみなすためには 誰かを劣った存在だとみなしておく必要性に駆られ 弱者を差別排除するためには優生学は都合が良いから遺伝的進化を万能だとみなしておかなければならないのである

これらの「みなし」は論理的根拠がなく ただの衆愚妄想・大衆観念に過ぎず 衆愚の主観的気分を安心満足させるだけであって むしろ「ヒトという種の生物の先天的危険性や欠陥」を無視させる無責任で卑劣なものである

 

 

 

Ende;


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