goo blog サービス終了のお知らせ 

書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

【注意喚起】東京大学役員を装った迷惑メールにご注意ください

2024年06月05日 12時19分56秒 | 日記

【注意喚起】東京大学役員を装った迷惑メールにご注意ください

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生物学者は論理思考ができないらしい

2024年05月14日 11時11分43秒 | 意識論関連

小形化の法則は草食動物であるシカが好んで食べる種にのみ当てはまっており、ミニチュア植物の進化は、シカの採食圧から逃れるためだった

 出典:↗東北大学

 

 ⇨「シカの採食圧から逃れるため」といった目的に則った進化を選べるわけではない

食採圧によって大きな変異種から淘汰された結果であって「逃れるため(目的のため)」に植物が自主的に自らの遺伝子変異を選べるメカニズムなどない

どうも植物学系研究者に論理的理解能力の欠如したバカが多いらしい

大変面倒くさい

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遺伝的進化に「目的」や「生存戦略」が介在する余地はない

2024年05月13日 00時32分53秒 | 意識論関連

あらゆる生物は皆「自分の遺伝子を多く残したい」という本能を備えています。(大石航樹)

 出典:ナゾロジー

本能というのは単なる行動バイアスに過ぎず 「遺伝子を残したい」といった目的があるわけではなく 本能的行動バイアスの結果が遺伝子を残すのに有利に働いたに過ぎない

先天的本能習性が何の役にも立たないことは珍しいものではなく ヒトが繁殖能力もない幼女を犯して殺害する事件が時折発生するが 本能習性として行動しているが何ら繁殖や種の存続にも意味がない

あくまで繁殖の継続に適応した個体種が生き残った「結果」であり「遺伝的進化には目的がない」のであって 遺伝的進化に目的をこじつけるのは科学的誤謬である

生物学者共の大半は遺伝的進化に合目的的こじつけや「生存戦略」概念に何の疑問も持たずに鵜呑みにしてきたバカしかいないため 今更「進化に目的はない」という科学的事実を認めてしまうと既得権益や権威性を喪失するリスクを避けるために 漫然と「生存戦略」概念を主張し続けているのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学を信じないヒトたち

2024年05月12日 23時16分26秒 | 意識論関連

ヒトという生物は権威と見なした相手の言う内容には一切の疑いを持たずに短絡的に鵜呑みにする先天的習性がある

これはヒトが統率的協調性を発揮する上において進化的に組み込まれた行動バイアスであり

山極寿一による論理客観的な根拠のない決めつけを鵜呑みにするのも

養老孟司による「脳化社会」云々のデマをマスコミも含めた大多数の日本人が有益な話であるかのように倒錯したのも

日大の組織腐敗 東電福島第一原子力発電所の無責任体質も あらゆる組織腐敗のメカニズム構造は一緒である

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統一覚」だの「叡智界」などという話も 何せ「理性を超越」したと言い張ることによって論理客観的根拠も無く 何の信憑性も合理性も実効性もないカントのお伽噺を現状の「哲学者」共は鵜呑みにしていたデクノボウであり それら「哲学者」という権威肩書の主張を鵜呑みにしていた大卒者共やマスコミもデクノボウであることにおいて同罪である

どんなに長い間(カントにおいては100年を超える)誰も批判していないからと言って それが「正常」であることの論拠には一切ならない

養老孟司の主張を鵜呑みにしていたNHKを含むあらゆるマスコミや出版社も 「出せば売れる」という金儲けの論理だけで盲目的に養老の著作を出版し続け 販売部数だけを目的としてあらゆる養老への批判を無視し続けるという極めて無責任なことをやめない

澤口俊之だの茂木健一郎だのといった「脳科学研究者」共もこぞって「養老先生は素晴らしい」などと評価し 東大脳科学研究者共は「自由意思など存在しない」などという荒唐無稽なデマを主張し これらをNHKを含めたマスコミ各社も短絡的に鵜呑みにし 誰一人として自分の頭で検証してこなかったのである

こうしたマスコミ各社の頭の悪さを「なかったこと」にするために 養老孟司に賛同してきた膨大なバカ共は養老孟司の主張に論理的根拠が一切ない不都合な事実には触れないことによって 己の頭の悪さを隠蔽し既得権に居座り続けるという社会的不義理を平気で続けているのである

 


戦争がなぜ起こるのか

それは閉鎖的な独裁による組織腐敗が共通原因である

戦争というのは国家政府という組織が起こすものだからである

なぜ独裁による組織腐敗が生ずるのかと言えば 組織を構成する個人が組織腐敗を組織腐敗として自覚しないからであり 自分が属する組織の権威と見なした相手に疑いを持たずに盲目的に信奉し迎合同調忖度服従してしまうからである

冒頭でも述べたように ヒトという種の生物は先天的に権威と見なした相手の主張を盲目的に信頼し 信頼しておくことこそが主観的に安心であるような先天的思考バイアスを持ってるが故に組織腐敗は生じるのである

ヒトの多くは組織腐敗は独裁を行うトップに全責任があるかのように倒錯するが そもそも組織腐敗が組織腐敗として成立するのは 腐敗した組織を支える多数の個人が存在しているからであり 日大の職員のように「組織は頭から腐る」などと称して組織のトップだけに責任転嫁する屁理屈こそが あらゆる組織腐敗の根源的原因の撹乱となっているのである

 

また ヒトという種の生物は反社会的犯罪などに対して 懲罰などの報復こそが唯一最大の「再発防止策」だと倒錯するが これもまたヒトという種の生物における重大な認知的欠陥に由来する

自然界においては 暴力によって相手に恐怖心を与えることが危険回避において有効であるため 一方的な暴力的抑圧が最も主観的に安心満足感を得られるように「進化」したためである

ヒトは誰しも迷惑行為をされれば暴力的報復感情が働く傾向があり 相模原障害者施設津久井やまゆり園虐殺事件の植松聖被告に対して梅沢富美男は「裁判など金の無駄だ 死刑にしてしまえ」と主張し 多くの衆愚から人気を集めていたことからも 短絡的に報復的懲罰こそが最大の「解決策」だと倒錯するものなのである

 

「ひょっこり男」こと成島明彦容疑者は実刑判決を受けたにも関わらず再犯しているが 成島に限らず実刑服役者の凡そ半数は再犯しており 懲罰というものは再犯防止に効果が希薄であり 逆にノルウェーの「リゾート刑務所」では再犯率が著しく低下しているのである

元刑務官の証言では「実刑服役者の6割は幼児期からの苛烈な虐待を受けていた」という

京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司被告も幼児期から虐待を受けていたという

虐待などの抑圧環境で育つことによって 暴力的抑圧こそが唯一最大の有効な手段であるという主観的(動物的)感覚が優先し 迷惑行為を優先するバカに育つのである

ヒトはそもそも先天的に暴力で物事を解決しようとする習性があるため これが養育環境の影響によって より理性が働かなくなり非合理な迷惑行為に固執するようにもなるのである

 

腐敗政権が戦争という非合理な暴力に頼るのも 理性よりも身勝手な安心満足を優先するからである

すなはち

○懲罰暴力による抑圧を最大の解決策だと倒錯する先天的習性

○権威と見なした相手に盲目的に信頼し 同調忖度服従する先天的習性によって 組織腐敗を傍観放置する無意識性

この2つの先天的習性によって暴力的独裁組織が構築されてしまうことで戦争は起こるのである

 


法学者共は「法の下の平等」を主張したがるが 法律などというものは政権においては都合の良いこじつけも可能な「手続き」に過ぎない

中国政府による国家安全法によって民主化運動の抑圧も可能となり プーチン政権やミャンマー軍事政権でも民衆抑圧や虐殺に都合の良い法律をでっち上げることは簡単である

再犯率50%の刑法懲罰という再犯防止に実効性の低い「刑法」という手続きが優先され 犯罪や事故の根源的原因究明が後回しにされるのであり

危険学や失敗学において「刑法手続きを一時停止」するのは 刑法手続きが事故の原因究明において邪魔だからに他ならない

それは犯罪においても同じことであり 何が原因で自律的な社会的責任判断を放棄し 身勝手な感情や欲望が行動を支配してしまうのかについての原因究明と再発防止を優先すべきなのである

何人通り魔やテロリストを死刑にしても 通り魔事件やテロ事件はなくならないのは 「懲罰で解決した」というヒトの先天的な錯覚によって 根源的原因究明がされないからである

いかなる事象においても 原因がわからないものは再発防止にはならない

「科学を信じている」のであれば 原因究明を優先しないのはおかしな話である

実証不能の「叡智界」だの「道徳律」を論理的根拠もなしに盲目的に信奉して満足しているバカしかいないから「哲学者」や生物学者共のデマに撹乱されて真実を見損なっているのである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

所ジョージもヤキが回ったらしい

2024年05月11日 22時49分08秒 | 意識論関連

山極寿一が未だに「ゴリラから学ぶ」だとか言っているが

話の内容に論理的具体性が一切なく

何の応用性も実効性も伴わない

ゴリラに頭囓られて大怪我しているにも関わらず 一体どこが「ゴリラは平和主義」なのか全く理解できない

「優しい気持ち」的に小学校の道徳教育みたいな話が何かの役に立つと倒錯しているバカが多すぎるから山極のデマを誰も見抜けない

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消し忘れ?

2024年05月11日 22時08分07秒 | 日記

岩渕水門(青門)の階段の照明がずーっと点け放し

多分消し忘れだろう

 

浮間公園の裏に自転車が放置

どう見ても棄てた感じ

 

戸田橋の真ん中に放置自転車

共に所有者が置いたとは考え難い

こういうクソしょうもないイタズラは中学生のしわざではないだろうか

 

京浜東北線の荒川橋梁の下を通ったら警官が4人程何かを探している

この写真を撮っていたら職質されて「鉄橋内に撮り鉄が侵入したので探している」とのこと

京浜東北線も徐行運転になっていた

こういう迷惑行為はマジやめて欲しいわ

 

 

 ◇追記:

どこの国でもバカはいるもんだが 国によってトンデモないバカがいて震える

 

ダイヤモンドオンラインが「運気」で恐怖を煽り出したぞ

もうメディアとしての信頼性は放棄したらしい

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

破綻の責任

2024年03月09日 00時24分45秒 | 意識論関連

哲学の目的は 真理(本当のこと)を見極めることである

これは科学も含めて大前提である

 

「考える」とは 論理客観的に「正しいこと」の積み重ねによってより高次の真理を導き出すことである

しかし 「考えた」からといって必ずしも客観的真偽の判定が可能とは限らない

論理客観的に真偽の判定ができないのであれば それは「わからない」と答えを保留する姿勢も必要である

ところが ヒトというのは「わからないこと」を「わからないこと」として素直に受け入れることが主観的(感情的)に嫌なので 論理客観的には根拠がない勝手な決めつけによって無理やり「答え」をでっち上げてデマや嘘を信じようとする習性がある

だから科学や哲学の考え方というものが必要となるのである

 

現状のバカな哲学者共というのは 「答えを出してはいけない」などと言い出すが これも明らかにおかしな話である

哲学で「答えを出してはいけない」ことの論理客観的な根拠や証拠は何もないからだ

物事を論理客観的に「考える」というのは あくまで「答えがある」可能性に基づいて行われるのであって 「答えがない」ことが論理客観的に証明されている命題であるならば それは最初から「考える」必要のないものである

「答えがあるかどうかがわからない命題」であるならば それは考える価値はあるが 大抵のヒトというのは「答えがあるかどうかがわからない命題」を考えるのが面倒なので考えようともしなくなる性質がある

有名国立大学の哲学科教授が「答えを出してはいけない」と言ったからといって 「答えを出してはいけない」ことの論理客観的な根拠や証拠は一切なく 盲目的に「哲学科権威がそう言っているから」と「哲学とはそういうものだ」と盲目的に鵜呑みにし 哲学や科学における最も大切な「問い」や素朴な疑問としての「なぜ」という「考え」を簡単に放棄してしまう先天的な認知上の重大な欠陥を ヒトという種の生物は持っているのである

「答えに辿り着けなくても良い」と言うことはできるが 「答えを出してはいけない」ことにはならない

「答え」があるかどうかがわからない命題の場合 「答え」を導き出すことが可能であるなら導き出して構わない

ただし あくまで主観的「決めつけ」ではなく 論理客観的に欠落のないことが前提である

現状の哲学界というのは 「答えを出してはいけない」などという荒唐無稽なデマをでっち上げることによって 物事の真偽判定すらも放棄し イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における実証不能の「悟性」だの「叡智界」といった論理客観的には何の根拠も証拠もないオカルト話すらも「哲学」として取り扱うという極めて無責任なことを続けているペテン師の集まりである

物事の真偽判定は一つの「答え」である

そもそも科学や哲学というのは「真理(本当のこと)」か それとも論理客観的には根拠がない嘘や間違いなのかを見極めるためのものであり 論理客観的に何の根拠も証拠もなしに「答えを出してはいけない」と哲学科権威に言われたからといって それが本当に哲学なのかどうかを考えなくて良いわけではない

「考えない」時点で 既に哲学を逸脱していることには 多くのヒトは気付くことすらできないバカなのである

 

マイケル:サンデルの「トロッコ問題」には 最初から倫理が含まれていないにも関わらず 主観的(気分的)に「悩ましい」ために ヒトの多くは「どこかに倫理的な正解があるのではないか」と無駄に考えようとしてしまい そもそも倫理的根拠の何もない命題であるにも関わらず無駄に「答え」を追い求めようとしてしまい その主観的な「悩み」を「考え」だと錯覚し 「自分は頭を使った」と倒錯して満足する

その上 ついでにサンデルの講義によって「自分の頭が良くなった」と錯覚してサンデルを主観的に「好き」なり 益々盲目的信奉に陥るのである

サンデルから提供されたルールの中だけで何かを「考えた」つもりになっているが サンデルが提供している命題そのものに最初から倫理が含まれていないことには誰も「考え」が及ばない

サンデルは「トロッコ問題」の講義をする際に 冒頭で「正義や倫理の話をしよう」と宣言しており この時点でサンデルは既に「嘘」をついているのである

この「嘘」に対して 偏差値が高いだけのバカ学生共のほぼ全員は誰も気付くことができないバカなのである

念の為に言っておくが 「トロッコ問題」には論理客観的な倫理も正義も存在しておらず ただ主観的に「悩ましい」だけで倫理的には何の結論にも到達不可能な命題である

 

ヒトというのは権威序列に思考を抑制され 簡単に嘘や間違いを鵜呑みにしてしまう認知上の重大な欠陥を先天的に持っているのであり スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験(通称「アイヒマン実験」)において大多数のヒトが権威の命令に従って他人に危害を加えてしまう結果も実証されている

振り込め詐欺などの「特殊詐欺」においても こうした権威に対する盲目的服従性が利用され やれ「裁判所」だの「警察」だの「弁護士」だの名のりさえすれば大抵のヒトは指示されたことに唯々諾々と従ってしまうものなのである

嘘やデマに騙されないために必要なのが論理客観的に「考える」ことであり 科学や哲学というのはそのためのスキルである

 

「自分には先天的な頭の悪さがあって 騙されるかも知れない」と「思う」ことが主観的に不安な場合に 「それなら物事の一つ一つを丁寧に 主観的感情に流されることなく冷静に論理客観的に検証するようにしよう」とはならず 目先の主観的な不安を取り除くことを優先して「自分はバカではないから 決して騙されたりはしないはずだ」と主観的に「思いこむ」ための様々な言い逃れを積み重ねることによって 騙される危険性から目を背け 「なかった」ことにして安心満足することで忘れようとする

山口大学の小川仁志にように 真偽の判定など一切することなく古典的に「哲学」とみなされている著作からご都合主義的な「解釈」をこじつけ 主観的な「悩み」を解消して人気を得ているペテン師も多い

ヒトの大半は主観的な「不安」や「悩み」と 論理客観的な「考え」との区別がつかない

これもまたヒトという種の生物における重大な認知的欠陥によるものである

主観的な「不安」や「悩み」をいくら解消しても 論理客観的には何の「答え」にも「解決」なることはない

フリードリヒ:ニーチェはこう述べた「できそうにないことは やらない方が良い」と

「できそう」かどうかは個人によって異なる主観に過ぎず 論理客観的に「できない」ことの根拠や証拠には一切ならない

東京電力福島第一原子力発電所において 原発の津波に対する脆弱性を上司に訴えても「できそうにない」からといって「やらない方が良い」などという無責任な話にはならない

NASAのスペースシャトル「チャレンジャー号」の補助推進エンジンのOリングが低温によって機能を失い爆発の危険性があることを 発射責任者にいくら訴えてもきき入れてもらえそうにないからといって「やらない方が良い」などという話にもならない

どうにでも都合よく解釈可能なニーチェの言説を 主観的に安心満足できるだけの話を「哲学」だと倒錯するのは無責任にも程がある

 

卑怯な哲学者共はこうも述べる 「哲学には好き嫌いがあります」と

「好き嫌い」そのものが主観であって 論理客観的な真偽の判定とは全く無関係な話であり 何ら真偽の判定という「答え」すらも放棄するための屁理屈であっても 「哲学者」という肩書(権威)さえあればヒトは簡単に鵜呑みにし 「論理客観的な真偽の判定」すらも放棄し また それを放棄している無責任さすらも意識から逸らすことで現状の哲学界の腐敗すらも撹乱しているのである

私からすれば 騙されている方もまた「同罪」であり バカであることにおいて何の違いもない

 

私は決して「天才」ではない

ただ 疑うことを忘れないだけであり 権威を疑うことに対する根拠のない罪悪感に鈍感なだけであろう

教えれられば大多数のヒトが嘘だと気付ける話である以上 そもそも私以外が誰も「考え」ていなかったという頭の悪さの証明であり

その先天的な頭の悪さというものを認識し 各々が自分の頭で物事の真偽を判定することを忘れないことが重要である

小川仁志のように主観的な「悩み」や「不安」を解消することで主観的に安心満足して何の疑いも持たなくなるように誘導する卑劣なバカ「哲学者」は多い

バカが多いからといってバカが正当化できるわけでもなく 先天的な頭の悪さだからといって克服しなくても良い理由にもならない

バカしかいない社会が破綻するのは必然である

バカが多すぎて社会が破綻するのは私の責任の範疇ではない

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

検証を忘れるからバカになる

2024年03月04日 01時04分33秒 | 意識論関連

現状の哲学界においては哲学者共は「答えを求めてはいけない」と論じている

それは「答えのない問題について考えることが哲学だからだ」と言うのだ

例えば 「人間とは何か」という問いには「答えがない」ので 「答えを出してはいけない」という屁理屈である

果たして「人間とは何か」という問いには本当に「答えがない」と言えるのであろうか?

現状の哲学者共が主張するように「絶対に答えが存在しない」ことの論理客観的証明のようなものが存在するのであろうか?

科学や哲学というものは 真理(本当のこと)を見極める学問である そのために「考え」「検証」することこそが重要であって 現状の哲学者共が「答えはない」と言ったからといって鵜呑みにすることは断じて「哲学」とは言えない

「人間とは何か」その究極の答えが存在するのか否かに関わらず 「答えはない」「答えは絶対に存在しない」と断言した時点で それは既に一つの「根拠のない答え(一方的な決めつけ)」になってしまうのであり そこに論理客観的根拠や証拠がない以上は現状哲学者共によるデマに過ぎない

「答え」はあるかも知れない だからこそ考え検証する意義があるのであって 「答えはない」などと根拠も証拠もなく決めつけてしまえば哲学でも科学でもなくなる

究極の答えには辿りつけないとしても 近づくことは可能である その近づく過程こそが科学や哲学の役割であって 「答えはない」などと称して言葉遊びに興じることは哲学とは言えないのである

 

ユークリッド幾何学は 地上に建築物などを建設する上においては「正解」である

建築に非ユークリッド幾何学を用いることは そもそも不可能である

しかし 天文学においては空間の歪みを考慮に入れずに説明することは不可能になり 宇宙観測機の運行においても必要不可欠なものでもある

量子力学においても日常生活とはかけ離れた理論を用いずに説明することは不可能になってきている

 

哲学においても 「人間とは何か」についての実用的な「答え」は必要である それは社会安全性や持続可能性において最も重要な基礎的解答だからである

では なぜ安全性や持続可能性が要るのか?

それは 子供たちに社会を受け継ぐためである

では どうせ数十億年後には太陽が寿命を迎えて地球上からあらゆる生物が失われることが決定しているにも関わらず「子供たちに社会を受け継ぐ必要性」はあるのか?

数十億年を経る前に 巨大隕石によって人類が絶滅する可能性もある

更に言えば遺伝子編集の技術発展などによって「ヒト」という種の生物そのものの存在意義も絶対ではないし 将来生物としての「ヒト」であり続けることの意義も絶対的なものではない不確実性を持っている

だが これら数千年数億年先の「答え」には辿りつくことは簡単ではないものの 数十年数百年単位においての「答え」として 子供達次世代へと社会を受け継ぐ必要性は異議をはさむ余地などない

建築物の設計において時空間の歪みを考慮に入れる必要性はなく そもそもそんなものを考慮には入れようがないのであり 社会安全性や持続可能性においての有用性を論ずる上においてゲノム編集技術だの太陽の寿命を考慮に入れる必要性はとりあえずない

それは全く次元の異なる話である

それよりも戦争や犯罪の問題を片付けるのが先だからである

哲学ではゲノム編集技術や太陽の寿命について考えることも範疇にはあるものの 今 現状において実用的な「人間とは何か」についての「答え」は必要であり それは決して「答えが存在しないことが証明されているもの」ではないのである

ヒトの大半は先天的にバカなので 有名大学の哲学教授などの肩書権威が「答えはない」だの「答えを求めてはいけない」などと言えば 「哲学とはそういうものだ」と鵜呑みにし それが本当に哲学的に正しいのかどうかを「考え」も「検証」もしなくなるものなのである

それは まるで独裁者に媚び諂い服従し 腐敗体制に迎合同調する多数の政権幹部共の無責任さと何ら違いはない

東京電力福島第一原子力発電所における津波に対する脆弱性放置も 日大の田中英寿理事体制腐敗を放置した職員達も同様である

現状の哲学者共は こうしたヒトの普遍的な性質を利用する形で「答えなんぞどうせないんだから 答えを出してはいけない」などといった荒唐無稽なデマを用いて権威を装い学力偏差値が高いだけのバカ学生共から授業料を不当に得ているペテン師の集まりに過ぎない

「答えを出してはいけない」などという荒唐無稽な屁理屈を振り回すことによって イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における根拠のない「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「人間は叡智界に属している」などといったオカルト話に一切批判せずに「近代哲学の最高峰」などと形容しているのであり これらを批判する哲学者も一人もいない

フリードリヒ:ニーチェなんぞ 単に「大衆から人気がある」以上の何の論理客観的根拠も証拠もなく こんなものを「哲学」扱いしていること自体がデマにも程がある

物事の真偽を見極める上において批判は必要不可欠なものである 相手が大学教授だろうが何だろうが 根拠や証拠もない一方的な決めつけを鵜呑みにするから哲学が哲学から逸脱し 無用なただの言葉遊びに陥ってしまうのである

現状において 究極絶対の「答え」は論ずることは不可能であるとしても 実用上必要な「答え」は導き出すことは不可能とは言えない

哲学において重要なのは 「論理的根拠や証拠のない一方的な決めつけ」に陥らないことであって 論理客観的に根拠や証拠に基づいた「答え」は求めて構わないし 何が真理(本当のこと)なのかはむしろ求めるべきが哲学の重要な社会的役割でもある

「おフランスの有名大学の哲学科特任教授様が仰ることだから」は真理(本当のこと)の証明には一切ならない

「論理客観的な根拠も証拠もないけど どうせ答えなんぞないんだから答えなんぞ求めてはいけない」などと言い出す哲学者共の主張を鵜呑みにしておいて 哲学もスッタクレもないのである

すなはち 哲学の授業を受けた大卒者のほぼ100%は自分の頭では何も考えないデクノボウに過ぎないのであり だから哲学界の腐敗を誰も指摘できないのである

 

哲学は 本来「科学の帝王」であり 進化生物学における「生存戦略」パラダイムには論理客観的根拠や証拠が存在しないことについても指摘しなければならない のだが

現状哲学界というのは 「答えを出してはいけない」などという論理的根拠もない意味不明な「答え」を振り回して一切の批判精神も発揮しない無能者の群れに陥り それを誰も指摘も批判もしないバカしかこの社会には存在していないのである

 

大学の入試における合否判定権を持っているからといって そいつの言っていることが論理客観的根拠や証拠に基づいた「真理(本当のこと)」であることの証明にはならない

結局は大学受験などの合否判定などというのは 大部分が教授の主観で決定しているのであって 教える側にとって都合の良い 何でも鵜呑みにして教えたことに何の批判もしないバカを選抜しているに過ぎないのである

何も考えず検証もしないバカなら批判してこないので 腐敗体制を維持温存するのに都合が良いからである

有名大学卒業者ばかりを採用している名だたる巨大企業による不祥事が繰り返される原因もそこにある

かつて京都大学の教授達が731部隊において中国人捕虜を用いて凍傷の生体実験を行ったことや

東京大学医学部の学生がオウム真理教を信じ込んで毒ガステロを実行した事実を ゆめゆめ忘れてはならない

大企業の採用担当者共が学歴学力を優先する傾向がある故に就職に有利だからといって学力学歴が人間としての知能の根拠にならないことは 認知科学的に立証されていることであり

それは大学入試における合否判定においても同じことであり 無能な大学教授の主観は人間としての知能の論拠にもならない

真理とは 論理客観的な検証によって磨かれ続けなければならない そのための「哲学」なのであり 「なぜ」という疑問(問い)を永久に繰り返し続けなければ「哲学」ではなくなる

「人間とは何か」という問いについて「答えはない」という哲学者共の主張に対し 「なぜ」そう言えるのかを問い糺すことのできないバカしか この社会には存在していないのである

そして バカ共は自分達を知的生命体だと信じて疑わない

だからバカが治らない

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試験と現実との違い

2024年01月13日 23時19分39秒 | 意識論関連

ケンブリッジ入試の論理思考テスト

リンゴ以外のフルーツは2個
バナナ以外のフルーツは2個
サクランボ以外のフルーツは2個

フルーツは合計いくつでしょうか?

 

この種の問題が40分間に20問出題されるという

だが 残念ながらこの種の「論理思考テスト」でどんなに良い成績を獲得しても現実における間違いや嘘を見抜けるわけではない

なぜなら 予め答えが用意された問題には成績評価という「抽象化された脳への報酬」が用意されているが 現実における嘘や間違いには一切何の報酬も用意されていないためである

イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「人間は叡智界に属している」などといった話に何の根拠も証拠もないカントの勝手な決めつけに過ぎない話に誰も指摘できないのも このためである

フリードリヒ:ニーチェの「名言」の類のほとんど全てがニーチェの主観的感想に過ぎないことにも誰も気付かず

進化生物学において「進化は選べない」ことや「進化に目的はない」ことに基づけば「生存戦略」という概念が根源的に間違っているのであり これも誰一人として指摘していないのである

ケンブリッジ大学でどんなに成績優秀で卒業していても これら科学や哲学上の重大な誤謬には誰も指摘できない

松丸亮吾はこの種の問題が得意なようだが 何一つ現実社会の嘘や間違いを指摘したことはない

文章的に理解が難解なこの種の問題というのは 過去に経験値があれば短時間で解くことができるのであって 短時間で解いたからといって未経験の嘘や間違いに気付けるわけではない

養老孟司の著作が一切何の役にも立たないことにも誰も気付くことはなかったが これも予め「世の中の著作の何が嘘や間違いなのか発見しなさい」といった命題には評価成績という「抽象化された脳への報酬」が一切用意されていないからであり

むしろ「東京大学名誉教授」という肩書に畏れを主観的に「感じ」ることによって 疑うことに対する恐怖心や罪悪感が優先することで誰も疑うことなく 養老の著作を読んで「自分は頭が良くなった」などと倒錯するバカしかいないのである

マイケル:サンデルの「トロッコ問題」に倫理的意味が一切存在していないことにもハーバードの偏差値の高いだけのバカ学生の全員は誰も気付かず むしろ「人気」を集めていたという盲目洗脳状態に陥っていたのである

ヒトは自分の脳に「報酬」が用意されていなければ 自発的には一切何も論理検証などしないバカなのである

それ故 リベラルアーツと称してイマヌエル:カントだのフリードリヒ:ニーチェだのを教え込まれれば その内容に根拠や証拠が一切存在していない事実には誰も気付かず むしろ成績という「抽象化された脳への報酬」欲しさに鵜呑みにするのである

「大学で教えていることなら 全て正しいはずだ」という観念によって 学力偏差値が高いだけのバカ学生共は一切何の疑いも持たずにカントやニーチェや進化生物学における「生存戦略」といった嘘や間違いに気付かず 一切指摘できないのである

 

ジーン:シャープ(1928~2018)は独裁政権の要因として以下を挙げている

○習慣
○制裁への恐れ
○道徳
○自己利益
○支配者との心理的一体感
○無関心
○不服従への自信の欠如

まず言えるのは 独裁政権の要因としての「道徳」とは何の意味があるのか

「たかし君は優しい気持ちになりました」といった主観的な「道徳」の授業でイジメがなくなる統計的立証もなければ 犯罪が減る根拠も証拠もなく むしろ論理思考を撹乱し独裁支配であろうが何だろうが唯々諾々と忠誠忠実さを発揮する盲目な洗脳者を大量生産してしまう大きな要因ともなっているのである

主観的に「正しいと思った」からといって それが論理客観的に正しいかどうかを「考え」なくなるからバカになるのである

「考え」ない奴を「バカ」というのである

ジーン:シャープが見落としていたのは ヒトという種の生物の先天的な認知的に重大な欠陥によって ヒトは自分が主観的に「信じたい」相手に唯々諾々と服従忖度しその多数の迎合同調によって自己の盲目性を誰もが認識しようとしなくなる「習性」が存在していることである

なぜ「支配者との心理的一体感」をヒトが持つのかと言えば それこそが先天的に安心で満足だからである 主観的に安心満足してしまえば自己客観的に自分の行動選択を検証しなくなるのは必然である

たとえ学力偏差値の高い日本大学の職員であろうとも 腐敗した田中英寿理事組織体制であろうとも唯々諾々と服従するのであり 「学力偏差値と知能には相関がない」ことは認知科学的にも立証された話である

東京大学医学部の学生が地下鉄毒ガステロを引き起こしたことを忘れ 学力偏差値の高さを短絡的に「頭が良い」と「解釈」したまま何の疑いも持たないのも ヒトの頭の悪さの一面である

有名大学でも卒業しておけば 学歴を盲信している人事担当者ばかりの企業への就職に有利であろうが そもそも学問というものは就職のためのものではなく 真理(本当のこと)を探求し 嘘や間違いを見抜けなければただのデクノボウに過ぎないのである

何が真理で 何が嘘や間違いなのかを見分けられなければ 当然盲目的洗脳に陥っても何の不思議もない

 

小川仁志がNHKで「ロッチと子羊」という番組で「お悩み解消」と称して主観的な「悩み」をいくら解消しても そもそも哲学というのは論理客観的に真理(本当のこと)を探求するためのものであって ご都合主義的に解釈をこじつけて主観的「悩み」を解決するためのものではない

こんな番組を「哲学」だと倒錯して教育番組だと称して垂れ流しているというのは受信料を徴収している視聴者国民に対する詐欺ペテンである

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チューリングテストには根拠がない

2023年12月30日 23時33分13秒 | 意識論関連

チューリングテストには論理的根拠がない

そもそもアラン:チューリングというのは手続き型コンピューターの概念を作った人であって 現在のニューラルネットワークを用いたディープラーニングAIのことなど一切知らない人であって 現在のAIを云々語れるような時代の人ではない

チューリングテストというのは 「チャットのような会話をした場合に人間か機械か区別できなければ知能と言えるのではないか?」という論理的には「何の根拠もない予測(主観的感想)」でしかない

ヒトか機械かを判定するヒトそのものが一定の基準にもならず 家族か詐欺師かの区別すら儘ならぬヒトも後を絶たぬ以上は「ヒトが判別可能かどうか」自体が無意味である

たとえ電子工学に詳しい専門家であろうとも 「当人が区別できない」ことが論理客観的に知能であることの論証には全くならない

 

TBSの報道番組では未だにチューリングテストを鵜呑みにしているが 文科系のマスコミ記者なんてのは論理思考のできないバカしかおらんので 一向にバカが治らず論理的根拠のないデマを無責任に垂れ流している始末である

ChatGPTなどの生成AIというのは あくまで学習データに依存した「それっぽい解答」を割合的に算出しているに過ぎず 論理的に何かを理解し「考え」て答えを導き出しているわけではない

それはまるで教えられたことを教えられた通りに鵜呑みにする学力偏差値が高いだけのバカと同じで マスコミなんぞそんな奴ばっかりである

学習データ次第によっては 間違った学習データが大半を占めている場合には 数で押し切られて間違った答えを平気でしてくるのである

現在の進化生物学上では「生存戦略」などと称して進化が能動的に選択可能であるかのような科学的に間違った説明が大半を占めている現状においては AIもまた間違った内容を「正解」として導き出すものなのである

Microsoft社のTwitterAIが SNS上に数多溢れるヘイトスピーチを正解データとして「学習」してしまった結果ヘイトスピーチに同調賛同する形でヘイトスピーチを始めたのもメカニズムは同じである

ある企業では 採用にAIを導入した際に過去の採用データを「学習」させたことによって 女性に無条件な採用ハードルを課していたことが判明し 採用にAIを用いることを止めたこともある

それはまるで順天堂大学の入試で女子受験者に対して無条件な合格ハードルを課していたようなものであり それは「ヒトとAIのやることには違いがない」とは言える

AIが「ヒトという種の生物」と同じ判断をすることが「知能」であることの論証には全くならない

ヒトの大半は断じて「知的生命体」ではなく 大半は何も理解していない無能な「凡人」に過ぎない

ヒトの大半は自分では何一つ論理客観的に検証しないバカであり 先天的に認知的な重大欠陥を持っているが故に 未だに戦争などというバカげた「最終解決」に固執し他人に多大な迷惑をかけ続けているのである

 

学問というものは 学力偏差値競争によって就職に有利になるためのお受験ビジネスのためにあるわけではない

何が真理(本当のこと)で 何が間違っているのかを区別し 既存の「常識」の中から間違いや嘘を見抜き排除することによって 社会安全性や持続可能性といったものに寄与し社会に貢献するためのものである

「教わったことを 教わった通りに答える」だけの能力ばかりを知能だと「思って」信じて誰も疑わないからこそ 多くの仕事がAIで代替可能なのであり ヒトはバカが治らない

 

ヒトという種の生物は 主観的に好きな相手の言うことだけを信じようとする性質がある

主観的に気分が良くなる話をしてくる相手を「頭が良い」と決めつけ 主観的に気分の悪くなる話をしてくる相手の話は何の論理的根拠がなくても観念的猜疑心にとって有利な話だけを抽出してきて嘘だと決めつけるものである

イマヌエル:カントだの養老孟司だのを読んでおけば ヒトの大半は気分が良くなって真理か何かと勘違いし 「自分は頭が良くなった」と勝手に倒錯して満足するバカである

大卒者のほぼ100%は イマヌエル:カントの「純粋理性批判」における「理性を超越した悟性」だの「純粋統覚」だの「叡智界」などといった何一つ論理的根拠のないカントの勝手な決めつけを鵜呑みにしたバカである

どんなにヒトの多数がバカであるとしても 「バカであることこそが正常」であることの論拠には一切ならない

主観的安心満足を優先し 頭の悪さを治そうとしない大多数の無責任さこそが あらゆる「人災」の根源になっているのである

 

アラン:チューリングはまだしも 未だにマイケル:サンデルの「トロッコ問題」を倫理の話だと倒錯しているバカも大半である

「一人殺すか 2万人殺すか」を選んだところで倫理の話には一切ならない

トロッコ問題は倫理的責任とは無関係であり 単に「主観的に悩ましい」とか「何とかして答えを導きたいと主観的に思う」だけの話に過ぎない

「AIにトロッコ問題を解かせよう」とするバカもいるが 本当に重要なのは「誰かが死ぬような事態に陥らないようにすること」であって 誰かが死ぬような事態にまで陥ってからAI頼みにするというのは あまりに泥縄であり無責任というものである

明らかに優先順位がトチ狂っている

たとえ「福島の原発事故において放射能で死んだ人は一人もいない」からといって倫理的に許されることにもならないのであり「死んだ人数」は倫理と無関係である

運転開始から40年間 一度たりともアイソレーションコンデンサ(緊急炉心冷却装置)の試運転をしなかったことや 緊急用電源装置が地下に設置されたままバックアップを一切増設することすらしなかった杜撰さは 「津波を予測できなかった」かどうかとは全く無関係な話であり 原発事故が「人災」であることの反証にも一切ならない

こうした杜撰な企業体質というのは未だに柏崎刈羽において「因習」として続いており 腐敗組織を構成している個人の意識が全員変わらない限りは どんなに手続き的に「改善」させても決して「治る」ことはない

腐敗組織というものは 腐敗組織に唯々諾々と服従迎合忖度同調する個人によって作り出されるものであって そもそも腐敗組織集団というのは腐敗を傍観放置する無責任な個人が原因なのであって 機械手続き的に何かを「改善したつもり」になっても無駄である

組織を構成する個人の意識というものは 手続き的な罰則などによってどうにかなるものではなく たとえば中国では麻薬取締法違反は問答無用の極刑だが一向に麻薬犯罪は減らないのであり 意味がない

個人情報の取り扱いにおいていくら罰則を設けても 「バレなきゃ良いや」と思っている無責任なバカには何の意味もないのである

腐敗組織というのは 腐敗組織に同調した無責任な個人しか残っておらず 責任意識のある人は腐敗組織から全員逃げ出して「四国で農家に転職」しているようなものであり 形式的に手続き的「改善」をしても根本原因である個人の意識改善には一切ならない

日大が一向に良くならないのも 東電の体質が一向に改善しないのも 一度腐敗した組織には腐敗に迎合するようなクソ野郎しか残っていないからである

ミャンマー軍事政権やロシアのプーチン政権など 一度腐敗した組織というものは 腐敗に迎合同調忖度服従するようなクソ野郎によって腐敗体制が温存され続けているのであって

それは戦時中の日本の軍事政権体制やナチス政権でも同じことであり 民族国籍に関わらず「ヒトという種の生物」に普遍的に見られる「社会性」によって作り出される先天的習性としての盲目的服従性によるものであり

洗脳状態の兵隊の盲目性というのは 「忠誠忠実な服従こそが美徳だ」と主観的に陶酔しているからである

だから平気で人も殺せる無責任なバカになるのである

上官や上司の命令に従った結果 事態がどんなに悪化するとしても 責任は全て上官や上司が負ってくれるものだと勝手に信じ込むことによって 誰一人として自分の頭で物事の真偽を判断しなくなることで 盲目的洗脳は成立するのである

 

ヒトという種の生物は 先天的には殺し合いによって環境資源の奪い合い競争を勝ち抜いた人種への淘汰の結果である

遺伝的進化というものは 所詮そういう理不尽なものである

だから差別や序列や集団的殺し合いが先天的に本能として組み込まれているのであって 本能的情動というものが選択不可能は無意識であることを自覚し 理性によって「本当に望むべきもの」が何かを選択しないことには人間性も倫理もスッタクレもないのである

 

フォートナイトのような殺人ゲームに人気があるのも 野球やサッカーのようなチーム戦による勝敗に熱狂するのも 先天的本能としてそれが快感だからであり それこそが動物としての「社会性」としての情動行動バイアスだからである

「組織的協調行動さえ採れば人間性だ」といった都合の良い解釈をしておいた方が気分が良いのかも知れないが それはあらゆる組織腐敗の形成をも「人間性」として認めることになるのである

何一つ論理客観的反証反論もないにも関わらず 「少数異端である」というだけで無視され続けているのが本論である

「自分達は絶対に間違っていない」と主張するのであれば 論理客観的反証や論拠が必要である

本論を無視し続けた結果 どれだけ回避可能な危険が回避できなかったとしても私の知ったことではない それは私の責任の範疇ではないからである

多数による無責任によって事態が悪化したとしても 多数によって責任が薄まるわけでもなければ 誰かに責任をなすりつけることもできないのである

多数による無責任に関しては もはや私にどうこうできるようなものではない

この世のバカのいちいちを面倒看ている程 私は暇ではない

 

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シロッコファンを買ってみた

2023年12月26日 15時06分14秒 | 日記

秋月電子通商でシロッコファンの取り扱いが始まったので買ってみたのだが

電線が4本もついている

しかも一本一本が細いので 切り込み入れようとすると簡単に芯まで切れてしまい 剥いて端子つけるのに苦労した

黒い線がGNDだそうなので これがマイナスなのはわかるが

青い線がVcc(12V)で オレンジの線がPWM-INと仕様書にはある

で 試しに青い線をプラスにつなげ 黒い線をマイナスにつなげると一瞬だけ回って止まってしまう

オレンジの線をプラスにつなげて 同様に黒い線をマイナスにつなげても全く動かない

秋月電子に使い方問い合わせようかなとも思ったんだが 専用回路みたいのが必要なら使いたくないので いっそ青い線とオレンジの線を短絡させて動かないならもう要らないので 200円を賭けてつなげてみたら

回る回る

ブンブン回る

怖いくらい回る

本来PWMで制御して回転落として使うものらしいので 制御なしだとブン回る

この使い方で長時間使えるのかどうかは知らんけど

青い線とオレンジの線を両方プラス(DC12V)につなげれば制御回路なしでも回るこた回る

 


 ↗シロッコファン -秋月電子通商

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甁(かめ)

2023年12月24日 01時20分27秒 | 写真

赤羽北二郵便局の隣に巨大な壺?

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫外線蛍光

2023年12月23日 14時04分06秒 | 日記

500円で買った蛍石を5個150円で買った紫外線LEDで蛍光発光させてみるなど

 

https://akizukidenshi.com/catalog/g/gI-13022/

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

難癖で暇つぶして点数稼ぎをする警察という組織

2023年12月05日 23時41分19秒 | 日記

タクシー運転手が公道上でハト1羽を轢いてしまったことで鳥獣保護法にひっかかって逮捕されたんだそうな

ほな 航空機が野鳥をジェットエンジンに吸い込んだら操縦士が鳥獣保護法で逮捕された例はあるのかしら

羽田モノレールが走行中にハトと激突してハト死んでたのを目撃したことあるけど それも運転手は咎められるのかしら

何か 警察による難癖にしか思えないのだが

航空機は野鳥なんぞ避けようがないし

モノレールだって急停車させたら乗客に危険が及ぶだろうし

タクシーだって公道上で急停車して追突される可能性だってあるだろうに

ハトって時々全然逃げないアホな個体変異がいて たまたまアホなハトを轢いてしまったからといって刑事責任を問うのは無理があるだろ

暇なのか 警察は

暇つぶしで難癖つけて点数稼ぎか?

それが「法の下の平等」だとでも言い張るのだろうか

警察ってバカしかおらんのか?

そんな難癖つけるんだったら公道上にハトがいたら警察がいちいち追払えよ

そんな暇あんのかよ 警察は

カルガモの親子が皇居近くの道路渡る時には交通規制かけるが

ハトが道路上にいたらいちいち交通規制すんのか?

そんなことに税金使うつもりでいるのか?

この記事書いていること自体アホらしくて呆れるわ

 


Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諸野祐樹

2023年11月13日 01時04分57秒 | 意識論関連

極限環境生物という分類は 地上において多く見られる生物との比較における分類であって 高熱菌にとっては高温に適応しているから高熱環境の方が生存に適しているのであり 別に「高熱環境に適応しよう」として適応したわけではないし そもそも「適応しよう」として自らの遺伝子を都合よく改変できるわけではない

微生物学者の諸野祐樹は「凄い」と形容していたが 「凄い」かどうかは主観であって 客観的論証とは無関係である

「極限環境微生物にインタビューができるのであれば なぜ生きているのかを訊いてみたい」とものべていたが ヒトであっても自分がなぜ生きているのかなど誰も論理的に答えることなどできないのであり 生きていること 生存しているのは結果であって目的があるわけではなく 「生存戦略」という概念がそもそも論理的根拠がない科学的デマや著しい誤謬である

「それがわかれば学者を辞めても良い」とも述べていたが 論理科学的に物事を考え判断できないならとっとと学者など辞めてしまえ 税金の無駄遣いにしかならん

「地上において多く見られる生物」を基準にしているから他の環境を特別な「極限環境」だと主観的に「思って」いるだけであって 偏った基準で物事を判断していることそのものが科学的判断から逸脱している

嫌気性細菌にとって大気中の酸素こそが猛毒であって 地球上での生物発生初期段階では大気中にはほとんど酸素がなかったのであり 初期の生物は無酸素環境で発生したのであって 藻類の発生に伴う排泄物としての大量の酸素を含む大気環境が地上の多くの生物相進化を促したとはいえ 「多い」ことが生物の「正常」状態であることの科学的論証には一切ならない

生物に寄生することでしか存続できないウイルスが「生物」であるのかどうかという議論があるが 生物の体内環境に適応したのがウイルスなどの寄生生物であって そもそも地球上の生物のほとんど全ては地球環境なしには存続できないのであり ライオンは西表島では存続できず 限られた生態系環境なしにはヒトであろうとウイルスであろうと同じことであって 断じて「自律的に存続可能」な生物など存在し得ない

地球大気圏外の放射線環境下においても死滅しないクマムシだろうがデイノコッカスラディオデュランスだろうが繁殖環境に戻さなければ繁殖不能であり 繁殖環境なしに到底「自律的に存続可能」とは言えない

 

「生物の起源」が火星であろうと地球であろうと 正直どうでも良い話である

そんなもんわかったところで糞の役にも立つことはない

ヒトという種の生物が遺伝的進化によって組み込まれた本能や習性によって非合理な暴力を「解決」だと倒錯する先天的な認知上の重大な欠陥を自覚認識することによって 地上からヒト同士の殺し合いを撲滅することの方が人類にっては最も重要である

そのために必要なのは遺伝的進化には目的も戦略も存在せず 遺伝的進化によって組み込まれているヒトの先天的本能習性というものが単なる「結果」に過ぎない「無意識」であることを理解認識することである

 

 

 

Ende;

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする