goo blog サービス終了のお知らせ 

人生に必要なことは、すべて梶原一騎から学んだ

人間にとって本質的価値「正直、真面目、一生懸命」が壊れていく。今こそ振り返ろう、何が大切なのかを、梶原一騎とともに。

なみだ橋

2007年03月20日 | あしたのジョー

ついにジョーは少年院でのつとめを果たし、社会にでることができた。段平とふたり、帰る場所は、仲間の待つドヤ街だ。

仲間との再会に喜ぶジョーを急かすように、ある場所に連れて行った。ジョーに見せたいものがあると。そこで見たものは、橋の下に建てられた掘っ立て小屋だ。しかし、その看板は「丹下拳闘クラブ」と書いてあった。そう、段平はジョーが社会復帰したら、本格的にボクシング界に殴り込みをかける準備をしていたのだ。

なぜ、川縁の橋の下にジムをつくったのか・・・段平は橋の上でジョーに自分の思いを語った。

「この橋はな、人呼んでなみだ橋という。

いわく・・・人生にやぶれ、生活に疲れ果てて、このドヤ街に流れてきた人間達が、涙で渡る悲しい橋だからよ。三年ほど前のわしもそうだった。おめえもその一人だったはずだ・・・

だが、今度はわしとおまえとで、このなみだ橋を逆に渡り、あしたの栄光をめざして第一歩を踏み出したいと思う。わかるか、わしの言うてる意味が・・・? 」

「拳闘界に生きようとするとすることは、辛いこともあれば苦しいこともたくさんある・・・涙はやっぱりつきものさ。だが、これは負け犬が流すくそ涙じゃねえ。厳しい精進のために流す立派な汗の涙だ!

ジョーよ・・二人で苦しみ歯を食いしばって、このなみだ橋を逆に渡っていこう」

 

その心を決して忘れないように、段平はジムをなみだ橋の下につくったのだ。

「なみだ橋を逆に渡る」我々の世代が聞くと、涙がでる有名なセリフである。くじけそうになると、悔しくて耐えられなくなると、あきらめて投げ出したくなると、我々の世代の梶原一騎の教え子達は、この言葉を心の中でかみしめて頑張った。また、頑張る斐のある時代だったのだ。

どんなに辛くても、歯を食いしばって頑張れば、きっと自分の道を切り開くことができる。あしたを信じて生きていた。だから「あしたのジョー」が多くの青年に受け入れられた。

しかし、悲しいかな、今の時代。夢を持てず、持ったとしても、すぐに手に入りそうな、あるいは人まねの夢。頑張ったら頑張っただけの何かが得られる実感のない、達成感の得られない時代だ。夢を持てない子供が悪いのではない、夢を持てない世界を作ってしまった大人の責任だろう。

でもここでひとたび立ち止まって考えてほしい。昔も今も、未来には何の保証も無いことは同じだ。同じだけの時間が目の前にある。空間はくそのような情報の垂れ流しで濁りすぎて、汚れた池や川や海のように何も見えないように感じるだろう。しかし、そこには濁りをとれば、同じだけの可能性がある。汚れやよどみで腐ってしまった部分もたくさんある。だが、おそらく愚かな人間が台無しにしたものくらいでは、まったく動じることのない地球がその向こうにどんと構えているはずだ。

目先のことしか考えない、欲得でしか考えない人間が、垂れ流しているくそ情報に惑わされることなく、そのよどみの向こう側を信じて、自分の可能性をみがけばいい。地に足をつけて、一歩ずつ、すぐには結果が見えない、心細い道だろうが、きっとそれが自分の道だ。それを信じて、まっすぐに生きていけばいい。そういう人間が一人でも増えれば、きっとくそ情報の価値はなくなり、よどみは少しずつ無くなっていくに違いない。それを信じて生きるのだ。メディアにだまされず、人の噂に翻弄されず、本当に大切な関係だけをしっかりもち、「あしたのために、その1」から始めよう。

あしたは、どっちだ!


最新の画像もっと見る