カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

第2バチカン公会議とは:6

2017-01-18 21:08:10 | 第二バチカン公会議
第2バチカン公会議とは:6

結論

 以上、公会議の権威について4つの意見を見てきました。公会議に不可謬の権威を帰属させている最初の2つの意見は、教会当局の様々な証言から、ありえないことでしょう。また、第3の意見は、公会議にカトリック教会の正真通常教導職だけを認めており、本当らしいもののよううにも思えます。しかし、フィレンツェのアルメニア人への宣言との類比から、第2バチカン公会議には「第2バチカン公会議の教導職」と言う新しいタイプの権威を認めるのが良いと思われます。この「第2バチカン公会議の教導職」と言うのは、「公会議後の教会」の使う教導職であって、それ自体では天主の権威持ちません。そして、公会議の伝える様々な誤謬のために、人間的な権威さえも享受していないと言うのが相応しいではないでしょうか。例えば、1976年8月2日のフィガロ紙Le Figaroへのインタビューの中で、ルフェーブル大司教はこう言っていました。

「第2バチカン公会議の内的批判、外的批判を考慮すると、つまり、この公会議の文章と分析し、その内容とその行きつく先を研究すると、第2バチカン公会議が聖伝に背を向け教会の過去と断絶するものであるがゆえに、離教的な公会議であると断言することができると思います。木はその実で判断されます。」

 私達は最後にこのことを指摘しましょう。この公会議の教導職は公会議後30年間教皇やほとんど全ての司教達によって行使されつづけてきました。

 教会の高位聖職者たちが公会議を権威のあるものだとしてそれに言及する限り、彼らは公会議の教導職を行使していることになります。ですから、彼らの教導職の全ての行為は、ア・プリオリに信頼に値するものではないと言わなければなりません。第2バチカン公会議に言及すればするほど、それだけ私達はあらかじめ疑ってかからなければならないでしょう。教皇様が教えておられる、ということを持って第2バチカン公会議を鵜呑みにしてしまうことは、判断を誤ってしまうでしょう。

 聖母マリアの汚れなき御心のおん取次ぎによって、教皇さま、司教さま達が公式に第2バチカン公会議はカトリック信者の良心を縛るものではないと宣言する日が一日も早く来ますように。


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