カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

第二バチカン公会議の問題点は?

2017-01-20 19:58:39 | 第二バチカン公会議
第2バチカン公会議は、世界中にいる約2500名の司教様達が、1962年10月から1965年12月まで4総会にわたって集った会議で、第21回目の公会議(世界教会会議)です。
ヨハネ23世は、1962年10月11日、第2バチカン公会議の開会演説でその公会議の目的を明確にしています。
「第21回世界教会会議は、・・・カトリックの教えの全体を少しも減少させることなく、ゆがめることなく伝えようとしています。」
しかし「忠実に守られるべき、この確固不動の教えが、現代の要求する方法で探求され、説明され」つまり「主に司牧的な性格を持つ教会の教導の任務に、もっとも良く合致する表現法で」語られます。
そして「誤謬には教会はいつも反対し、時には断固とした厳しさをもって誤謬を断罪しましたが、・・・断罪するよりは、自分の教えの価値を示しながら、現代の要求に応え」、誤謬を排斥・断罪しない態度を取ります。
こうして全世界の人々から受け入れられようと努力します、と。
パウロ6世は、前任者であるヨハネ23世のヨハネ23世の意向をそのまま維持しました。1965年12月7日、第2バチカン公会議の第9公開会議における演説でこう言っています。「公会議は友好的な呼びかけにほかならず」「教会は特別の教導権によって特別の教義を定義しませんでした。」
以上のような理想を持って、開かれた第2バチカン公会議が、ハッキリをカトリックの教えを明示する代わりに、
弱々しく(誤謬の排斥も弾劾もなく、教義の定義付けがない)、
曖昧で(カトリックの専門的スコラ学的な用語を避けた)、
一方的なもの(非カトリックが喜ぶようなことを述べる)だったとしても、それは驚くに当たりません。
いろいろな意味にとれる、曖昧な表現をするというのは、リベラル派の好むやり方ですが、第2バチカン公会議後に、曖昧な表現が本当にリベラル派の意味で解釈されてしまうことになるのです。
 それでは、どのような点が、そうだと指摘できるでしょうか?以下にいくつか挙げてみます。(全てを網羅しているわけではありません。)












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