紫苑の惑星

若柳菊のプチ日記や寿菊派若柳流からの日本舞踊公演会のお知らせなどを更新します。

私の好きな変化物☆【鷺娘】

2004年09月23日 | 演目ガイドブック
博多座公演に向けて、少しずつ演目の解説をしようと思っています☆
書きながら随分と長篇になってしまいました★
お好きな方、興味のある方は是非どうぞ。
今夜は出演予定だった『鷺娘』の歌詞紹介です。残念ながら「博多座公演」
での舞台はありませんが、私にとっても大好きで大切な演目です


【鷺娘】
舞台の幕があき、そこは一面の銀世界。ひとり佇む白無垢姿の娘は幽霊なのか
鷺の精なのか? 目に見えるのは美しい世界。その奥に潜む恋心の苦痛と叫び。
日本舞踊の踊り手は、声を出さず何も語りません。
そのせいか、唄が想いを伝えまた語る事があります。踊り手が変わっても、
古典舞踊の歌詞は抜き差しがある程度で殆ど同じ歌詞です。
構成は、前半で愛しい人に思いを巡らし、だんだんと恋心の嬉しさや恥ずか
しさを「クドキ」として踊ります。最後は「狂い」と言われ恋心の苦しさに
狂乱しながら演じ幕が降ります。
様々な解釈がありますので、ここでは歌詞をご覧頂き皆様のイマジネーション
を広げて頂けたらと思っています。
現代文に訳せる部分は分かる範囲で記載してみました。
お時間のある方は『鷺娘』の世界に浸ってください


【長唄 鷺娘】

妄執(もうしゅう)の雲晴れやらぬ
※妄執の雲=「妄執」は迷いの執念でそれを雲として表現。
「妄執の雲霧」などの表現はよく使われています。

朧夜(おぼろよ)の恋に迷いしわが心

吹けども傘に雪もって 積もる思ひは泡雪の 消えてはかなき恋路とや

思ひ重なる胸の闇せめてあはれと夕暮に ちらちら雪にぬれ鷺の
※思ひ重なる胸の闇=儚(はかな)い恋の想いが重なり、心は真っ暗な闇で
 あるという意味。

しょんぼりと可愛らし 迷ふ心の細流れ ちょろちょろ水の一筋に
※細流れ=細い流れを、「心細い」にかけています

恨みのほかは白鷺の 水になれたる足どりも 濡れて雫と消ゆるもの
※濡れて雫と消ゆるもの=水に濡れても、歩く度に、つま先から雫となって
 消えていくという意味。哀れむ事を言っています。

われは涙に乾く間も袖干しあへぬ月影に しのぶその夜の話を捨てて
※袖干しあへぬ月影に=絶えず涙で濡れている、その袖を乾かしきれない
 月の光ですが、その月の光で忍んで行くその夜、と続きます。

縁を結ぶの神さんに 取り上げられし嬉しさも
※縁を結ぶの神さん=男女の縁を結ぶ神、即ち出雲の神を指しています。
 出雲の神とは、出雲大社の主神「大国主命」のことです。

餘る色香の恥ずかしや
※餘(あま)る色香=「餘る」とは、分不相応という意味で、嬉しさも餘る
 色香とは、「身に過ぎ た或いは身にあまる情け」ということです。


須磨の浦辺で汐汲(しおく)むよりも君の心は汲みにくい 
※須磨の浦辺...汲みにくい=「松風村雨」のことを借りています。

さりとは実に誠と思はんせ 繻子(しゅす)の袴(はかま)の
※繻子(しゅす)の袴(はかま)...取りにくい=前述の「須磨の浦辺…」
 と共に当時流行した歌謡「山家鳥虫歌」の「繻子の袴の襞とるよりも 
 さま(相手の男性)の機嫌のとりにくさ」を借りています。

襞(ひだ)とるよりも 主(ぬし)の心が取りにくいさりとは

実に誠と思はんせ しやほんにえ
※しやほんにえ=「しや」は感動的に出す言葉で「ほんにえ」は本当ですよ
 というような意味。

恋に心もうつろひし花の吹雪の散りかかり払ふも惜しき袖傘や
※払ふも惜しき袖笠=花の吹雪を「払ふも惜しき袖笠」ということで、
 「袖笠」とは笠の代わりに袖をかざすことです。

傘をや傘をさすならばてんてんてん日照傘(ひでりがさ)
※日照傘=日傘のことです。

それえそれえさしかけて いざさらば 花見にごんせ吉野山
※ごんせ=ござれ。行きなさい又は来なさいの意味。

それえそれえ匂ひ桜の花笠(はんながさ) 

縁と月日の廻りくるくる車がさ

それそれそれさうぢゃえそれが浮名の端となる


添ふも添はれず剰(あまつさ)へ
※剰(あまつさ)へ=そればかりか、その上に。

邪慳(じゃけん)の刃(やいば)に
※邪慳(じゃけん)の刃(やいば)に先立ちて=「邪慳の刃」とは、無慈悲な
 心が鋭く人を害するところから、それを刃に例えていった言葉で「先立ちて」
 その邪慳の刃を受ける前に、ということです。

先立ちてこの世からさへ剣(つるぎ)の山
※剣の山=剣を植えてある山で、地獄にあるとされています。
 「邪慳の刃」に関連して持ってきた言葉。

一じゅの内に恐ろしや 
※一じゅの内に=一じゅとは一呪であり「呪い」のことと思われます。

地獄の有様ことごとく 罪を糺(ただ)して
※糺して=調べて、或いは詮議(せんぎ)して、の意味。

閻王の鉄杖(てつじょう)まさにありありと
※閻王=閻魔大王のこと。地獄に住み、将官十八人と獄卒八万人を部下に
 していて、死んで地獄へ落ちた人間の整然の罪を調べて懲罰する冥府
 (冥途・冥界とも言われる、死者の行く暗黒の世界)の王とされています。
※鉄杖=地獄の獄卒(=鬼)が持つ鉄の棒。
※まさに、ありありと=「まさに」とは、確かに或いはまさしく、の意味。
 「ありありと」とは、はっきりとの意味で、「等活…」以下の地獄の様子
 を確かにはっきりと見た、ということを言っています。

等活畜生(とうかつちくしょう)
※等括=八熱地獄(八大地獄・八大奈落)の一つで、鬼の鋭い爪や牙で身体
 を引き裂かれ、息が絶えると骨を粉砕される。後、涼しい風が吹いて来て
 もとの身体になるが、また引き裂かれ、幾度となくこれが繰り返されると
 いう地獄。等活・黒縄(こくじょう)・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦
 熱・無間の種類があるとされています。
※畜生=三悪趣・六道のひとつである畜生道のことです。三悪趣とは、三悪
 道とも言われ、生前の悪行によって行く、餓鬼道・畜生道・地獄道の三種
 の迷界です。六道とは、善悪の業因によって誰でも行かねばならない、地
 獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六種の迷界です。

衆生地獄(しゅじょうじごく)
※衆生地獄=謡曲「求塚」の中では、乙女の霊が八熱地獄の責めに苦しむ様
 を「…まづ 等活 黒縄 衆合 叫喚 大叫喚…」と書かれていて、
 これは八大地獄を引用しているのですが、「畜生 衆生地獄」というのは、
 八大地獄の中での「黒縄 衆合地獄」の誤りではないかと思われています。
 黒縄地獄とは、真っ赤に焼けた鉄の縄で縛られ火のようになった熱い鉄の斧
 で斬られる地獄であり、又、衆合地獄とは、石割地獄とも言い、向かい合う
 鉄の山の間に罪を犯した亡者の群れが入るとその鉄の山が崩れ落ちて群集を
 圧殺してしまうという地獄のことです。

或は叫喚(きょうかん) 大叫喚
※叫喚、大叫喚=罪業の深い者が苦しめられる地獄です。熱湯を浴びせられたり、
 猛火で焼かれたりして、その呵責に堪えかねて泣き喚くところから叫喚地獄と
 称され、中でも五戒(殺生・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語
 (もうご)・飲酒の五つの戒め)を破った者が堕ちる最も苦痛の激しい地獄
 が大叫喚です。

修羅の太鼓は隙(ひま)もなく
※修羅の太鼓=修羅とは、常に闘争の絶え間の無いところで、そこで打ち鳴ら
 す太鼓のことです。

獄卒四方(ごくそつよも)に群(むら)がりて 鉄杖(てつじょう)振り上げ

鉄(くろがね)の 牙噛み鳴らしぼったてぼったて
※ぼったてぼったて=追い立て、追い立て。

二六時中(にろくじちゅう)がその間
※二六時中=一日中、終日のこと。昔の時の計算は、朝の六つと夜の六つで
 あり、一日は朝と夜の二つの六つの時間ですので二六時中となります。
 現在は、六時間が昼夜で四つあるので四六時中ということになります。

くるりくるり 追ひ廻(めぐ)り追い廻り

遂にこの身は ひしひしひし
※ひしひしひし=骨が砕けるまで責め苛まれること。
 
恨みたまへわが憂身(うきみ)語るも涙なりけらし #姿は消えて失せにけり
※語るも涙なりけらし=「話すのも涙であったようだ」と過去の推量になって
 います。

参考文献:「日本舞踊全集・第2巻 演目解説」


さて如何でしたか? 女性の方は自分の中の【鷺娘】に出会えましたか?
男性の方は【鷺娘】の想いに触れられましたか?

今も昔も“人の心は汲みにくい”もの。だからこそ見えない絆、目の前にある
優しさを大切にしたいものです。

次回からは「博多座公演」で実際ご覧頂ける演目をご紹介させて頂きます