前妻とは私が22歳の時に離婚しその後前妻の紹介で何人か女性と付き合ったがどの女性も派手な感じで長期間は続かなかったのでした。私としても次なる結婚に向けて準備をしておりました。25歳くらいの時に知り合った「悦ちゃん」という女性を結婚相手に選んでおりました。家柄も良くてセンスもありなんと言っても料理が上手でした。
その当時は銀座にある喫茶店で修業し駅前で自分の喫茶店を経営しておりました。確か多摩美術大学出身だったと思われます。私は毎日のようにお店に通い閉店までいて一緒に帰るという生活をしておりました。夜は10時までやっていたのでシャッターを閉めて一緒に食事に行っておりました。3~4時間お店にいたのでコーヒーだけでは飽き足らず特別にボトルを用意してもらってお酒を飲んでおりました。
彼女もいい所の社長の娘でお店の近くに車を止めておりました。贅沢な環境で育ったらしくその3~4坪駐車場も親にねだって買ってもらったそうです。彼女に聞いたら一坪300万円以上したと言っておりました。勿論車もドイツ車でしたね!食事に行って驚いたのはとにかく何でも食べるのが早いということでした。
ある時に聞いたらそれは親のしつけが原因だったのです。子供の頃から「お前はいつかは嫁に行くのだからご飯の時は家族にご飯を用意して一番最後に食べ始めてそして一番早く食べ終わらなければだめだ!」と言われて育ったそうです。勿論かたずけがあるからです。そして小学校2年生~3年生の頃から毎朝5時起きでご飯炊きをしていたそうです。いつも自分は本当の子供ではないようなことを話しておりましたね!相当厳しく育てられたようでした。
私の母も晩年に同じようなことを言っておりました。やっぱり小さいころからご飯炊きをやらされていたそうです。だから悦ちゃんも私の母も料理は得意でしたね!彼女もしっかりとしたしつけを受けていたので良妻になる素質は十分でしたね!彼女のご両親ともお会いして結婚が決まりかけていた時にこの拘束にあったのでした。
その後は彼女との結婚は諦めなけれならなくなったのです。確か悦ちゃんは私より一つくらい年上であったような感じでした。その後かぜの便りで誰かとお見合い結婚をしたと聞きました。残念ですがエイリアンというかアメリカ側というかつまり運命には逆らうことはできなかったのです。
その喫茶店には若い学生や暴走族がいつもたむろしていて彼女はアイドル的な人気があったのです。彼女は何でも強い男が好きだと言っておりましたね!若いころから暴走族というか強い男達に興味を持っていたそうでしたね!私が強い男であったかどうかは不明ですね!まあ魚屋にいたので弱くはなかったと思われます。
食事はいつも30分くらいで終わり彼女は朝が早いからすぐに帰って行きました。私はと言えばそのあとにクラブを2~3箇所まわり12時くらいには家路につくという生活をしておりました。一つのお店に何時間もいるタイプではなく30分もすれば次に行くというのが通例でしたね!若いころしかできない生活でした。
そして彼女の親御さんが二人で住むマンションを買ってくれるというのでもう既に住むところまで決まっていたのにとても残念ですがこれも断念せざるを得ませんでした。特別美人ではございませんでしたが普通よりきれいな女性でしたね!今思えば懐かしい思い出のひとつです。
いずれにしろ今思えば前妻ほどの強い運命には彼女はなかったといえますね!前妻と言えば何日か前に彼女の心に2回ほど侵入しましたがなかなか華やかな生活を送っているようでした。どこに住んでいるのかはわかりませんでしたが彼女は高級貴族の生活が保障されていたと考えられますね!私には手が届かない世界の人間になってしまっているようで寂しい限りです。