大学を卒業して会社に就職したころは絶頂期でしたね!同期の中では一番出世の早いNo.1 ポジションのついて2年もしないうちに主任となり2部門を全て任されました。大体一部門月に400万~500万円くらいの売り上げがあったのでそれなりの年収はあったのでした。本来の年収は年間350万円ほどでしたがある程度自由になるお金は700万円~800万円ほどございました。
鮮魚売り場は現金で会計を行っていたので操作は自分次第でお金を作ることができたのです。もちろん色々な所にお金を使わねばなりませんでしたがそれなりに見返りはあったのです。まあ職人にはある程度のお金をあげ仕事を円滑にすることは当時は暗黙の了解なのでした。魚屋仲間ではそれを「長靴代」と言って月に一人2~3万渡すということが常識であったのでした。
それに色々な所にバイト連中を連れて行って接待しなければならなかったのでお金は必要でしたね。毎日クラブ通いが続いておりましたね!私のような20代の人は珍しがられどのクラブもお客さんは40代~50代の年配者ばかりでした。みんなある程度成功した方々で私もその一員でした。私もその時点では成功者の一員だったのでした。
それが27歳でエイリアンに拘束され全てを失いました。全くこんなにお金に困ることになるとは当時は予想もつきませんでした。今だって年収1000万以上は最低限ほしいのですが一向にその兆しはございません!
こんなことが許される訳はございませんね!