鳴滝塾

地方創生にいみカレッジ「鳴滝塾」は終了し、
地域共生推進センター「鳴滝塾」として開講しています。

地域共生「鳴滝塾」Ⅰ②

2020-10-24 | ☆定期講座
 地方創生にいみカレッジの総会で発表された「鳴滝塾50回の総括-報告と考察-」は次の通りです。



 はじめに

 地方創生にいみカレッジ「鳴滝塾」は、新見市が策定した「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の5カ年計画に基づき、平成27年12月、地域の課題解決を探求する産官学民の連携組織として、新見公立大学内に設立されました。以来、新見市と大学の持続可能な未来の構築を目指して、様々な取り組みを行いました。
 平成28年1月に第1回鳴滝塾を開き、以降、ほぼ毎月1回「定例塾」を開催し、令和2年2月で50回を数えました。奇数月は講師を招いて特別講演会とパネルディスカッション(あるいはシンポジウム)、偶数月は学生や塾生有志による活動報告や視察研修、懇談会、フリートークなどを行いました。
 参加人数は延べ3千人を超え、アンケート結果を見ても、参加された人は「身近な課題を自分自身が検討し、考えさせられる機会を得ることができた。何ができるのか、自分も行動してみたいと思う」などと記入されたように、それぞれに有意義だったように思われます。また、地元の新聞やテレビなどに取り上げられ、塾と新見市が取り組んでいるテーマが広く知られたように思います。
 他に、不定期ながら女性中心の「たまがき塾」を25回、ワークショップを12回、新見市の地域おこし協力隊との座談会を2回開きました。また、新見公立大学主催の第1回「ドラムサークル」に共催しました。
 詳しくは、新見公立大学のホームページ「鳴滝塾」をご覧ください。
 鳴滝塾総括は、「曼荼羅チャート」=写真=を基に行わせていただきます。

 Ⅰ 石灰

 新見市の基幹産業「石灰」は、生石灰が製鉄やセメント製造などに、消石灰が土壌の中和や疫病の防止、建築材料の漆喰などに用いられています。また、純度が高く良質な石灰石を細かく粉砕した重質炭酸カルシウムは、プラスチック、ゴム、塗料、製紙、建材、食品添加物、医薬品、畜産飼料、光学ガラス、セラミックスなど多方面に使われています。
 石灰石が原料の炭酸カルシウムは、最近では消石灰に代わって運動場のライン引きに用いられ、近年、新見市の企業によってカラフルな線引きができる「カラーパウダー」が開発されました。また、炭酸カルシウムを砂状にして色付けした「カラーサンド」も同じ企業によって開発され、砂絵やオブジェに使われています。昨年度も、東京国際フォーラムなど全国各地のイベントで、歌舞伎の隈取り、アイヌ文様、ハロウィンの花絵など、カラーサンドで彩った作品が展示されました。
 石灰石を原料とした製品は今後も開発されていくでしょうし、製品が身近であればあるほど石灰に対する親近感は増していき、新見の石灰業に対する期待は膨らんできます。
 石灰を用いた芸術作品に「ライムアート」があります。これは建築デザインを手がけている東京の建築士・浪崎文彰氏が「自然との共生」をテーマに石灰を使った〝型押し装飾技法〟を考案し、芸術にまで高めた美術作品で、平成30年3月、浪崎氏を招いて講演会を開きました。
 浪崎氏はライムアートについて、「藍などの染料や顔料で色づけした石灰そのものを左官技法で伏せこみ、型押しなどの技法で模様を描いて金ゴテで圧力をかけながら磨きあげたライムアートは、空気中の二酸化炭素を取り込みながら徐々に硬くなっていく石灰の性質によって色の粒子が石灰に閉じ込められ、大理石のように美しい質感が形づくられるのが特徴。顔料や染料がカルサイトというガラス質の結晶の中に定着することにより、世界史に残る壁画と同様に数百年もの長い間、透明感あふれる美しい色彩で輝き続けることができる」と述べられました。
 浪崎氏のライムアートは、令和元年11月から翌年1月まで新見美術館で開かれた特別企画展「ライムアートの世界」で57点が展示、公開されました。このうち3点は、新見公立大学の新館・地域共生推進センター棟へのエントランス外壁を飾っています。新見の石灰が芸術の輝きを放って、学生や市民に強い印象を与えていることでしょう。
 また、消石灰が原料の「漆喰」は古来、壁の塗料として城や神社仏閣などで使用されてきました。強アルカリ性のため消臭、抗菌、防カビの機能があり、二酸化炭素や毒性の強いホルムアルデヒドを分解する「炭酸化運動」によって安心して過ごせる空間が生まれるとして、現代では内装材として室内に塗られています。
 化学接着剤を使わず完全自然素材の漆喰、しかも新見産の消石灰を使った漆喰を製造・販売している会社が岡山市にあります。その会社に勤務し、漆喰を下地として絵を描く、いわゆる「フレスコ画」を制作している若い画家、道綱たけし氏を令和元年9月に招いて講演会とワークショップを開きました。
 道綱氏は「私が漆喰下地を使う理由」として、「絵肌が景色になる。風化の美が感じられる。色に深みが出る」の3つを挙げ、「新見産の石灰から生まれる漆喰下地が、私の作品に代えがたい魅力を与えてくれている」と述べられました。
 漆喰を下地に使ったフレスコ画を「実際に描いてみよう」と開いたワークショップは、講師・道綱氏の指導が及ぶ範囲の6人限定で、参加者はいずれもフレスコ画は初めてでしたが、漆喰の下地にアクリル絵の具で描いた具象・抽象絵画はそれぞれに持ち味がある美しい出来映えで、新見美術館の特別展「ライムアートの世界」を挟んで、同年11月から翌年1月までJR新見駅に展示されました。
 これらのフレスコ画が新見市街地を彩るようになれば「石灰のまち新見・フレスコ画のあるまち」として、真庭市勝山の「暖簾のまち」と対をなすロマンが生まれるかもしれません。JR姫新線「雛まつり列車」で新見と勝山は結ばれていますから、現実味はあるかと思われます。
 新見市内にフレスコ画を普及させていくには、お年寄りや小中学生でも手軽に描くことができる「フレスコ画キット」の開発が必要でしょうし、フレスコ画を描く講座も継続的に開いて指導者を増やしていく必要があるでしょう。
 JR職員はフレスコ画に熱心で、自らフレスコ画を描いて平成31年の「にいみ雛まつり」で新見駅構内に展示し、「石灰のまち新見」をPRしました。また、漆喰で作った合格祈願のお札を入れたお守りを手作りし、昨年の大学入試センター試験で駅を利用する受験生に配りました。
 石灰をモチーフにしたクッキーも同年4月、新見市内の菓子店から発売されました。炭酸カルシウムが入った「sekkai こいしクッキー」で、人気商品になっているようです。
 石灰岩で構成されたカルスト台地は、石灰鉱業のほか、鍾乳洞やドリーネを有する「蕎麦の里」として知られ、10億円産業のピオーネを育み、近年はワイン用ブドウの栽培も行われ、ワイナリーも稼働しています。都市部からの移住者もあり、「田園回帰」の動きがカルスト台地で見られます。
 近年、小中高校生が石灰企業の鉱山や工場を見学するなど「地域学」として石灰が取り上げられ、新見市は昨年度「観光アクションプラン」を策定して「石灰(ライム)を市内の観光資源をつなぐキーワード、すなわち観光の柱」としました。
 山口県の宇部、美祢、山陽小野田の3市では、官民で組織される産業観光推進協議会が「大人の社会見学」として、3市内の石灰石鉱山や工場群、カルスト台地などを巡り、地産地消の食文化を味わうバスツアーを行っています。平成20年からスタートし、昨年度は23コースを実施しています。
 新見市も「カルスト台地の恵み」に絞り込んで、都市部から人を呼び込むバスツアーを継続的に実施することは十分可能と考えます。

 Ⅱ 千屋牛

 平成30年12月30日発効のTPP(環太平洋経済連携協定)により、牛肉の関税は従来の38.5%から27.5%に引き下げられ、令和2年度は25.8%になっています。外国産牛肉の輸入が増えた結果、国際競争が激しくなり、和牛肉の価格を維持していくのはすでに困難な状況にあると言われています。関税は毎年度引き下げられ、令和15年度以降は9%になることから、「ごく一部の超高級牛肉を除くと、10数年後に国産牛肉はなくなる」とまで言われています。
 千屋牛は千屋の畜産農家では「ちやうじ」と呼ばれ、ルーツは日本最古の蔓牛(系統牛)「竹の谷蔓牛」で、幕末の鉄山師・太田辰五郎によって改良され、千屋牛の基礎が築かれました。杉山慎策・元就実大学副学長は講演で「新見のグルメで、ブランドになっているのは千屋牛だけ。ピオーネも桃もトマトもブランドにはなっていない」と言われ、「地域ブランドの重要性」を説かれました。ワインやキャビアなど新しい特産物は、今後、知名度がアップし、〝伝統〟が伴えば、ブランドになる可能性を秘めているとして期待されています。
 現在、千屋牛は「新見市内で繁殖・肥育の一貫した和牛、または岡山県下で生まれた子牛を新見市内で18カ月以上肥育した和牛」と定義されています。岡山大学農学部に実習用牧場「津高牧場」があります。昭和53年に「千屋牛」の振興に寄与しようと、肉資源開発のモデル牧場として開設されました。平成28年からは、津高牧場で生まれ、新見市の牧場で育った「千屋牛」が「岡大農場出身『千屋牛』」として岡山市のデパートで販売されています。
 千屋牛は現在、繁殖牛と肥育牛を合わせて約3300頭が飼育されています。この頭数はブランド牛としては少なく、全国的に出回るまでに至っていません。「良いものでも多く生産できなければ幻の和牛のまま消える」という恐れもあって、新見市は「1千頭増頭計画」などで飼育頭数の増加に努め、既存牧場の規模拡大や地域おこし協力隊や法人などの新規就農によって飼育頭数はここ10年、ほぼ横ばいに維持されています。しかし、畜産農家の激減から飛躍的に千屋牛が増えるという期待は遠いように思われます。
 逆手塾と共催して別所アウトドアスポーツセンターで開いた鳴滝塾のパネルディスカッションで、千屋牛を飼育している牧場主から次のような発言がありました。「いっぺんに増やそうとすると無理がきて弊害がでる。おいしいから1年でも2年でも待つと言われるほうがいい。地道にじっくりと、あわてないで。千屋牛は150年を超える伝統がある。伝統の強みは、火が消えそうで消えないところにある。次の代、次の代へとじっと我慢して耐えていたら、千屋牛がぐっと増えて世に出る時がくる。少ない? 結構じゃあないですか。そう思って毎日頑張っている」
 岡山大学の舟橋弘晃教授は講演で「希少系統の竹の谷蔓牛(千屋牛のルーツ)の特徴を遺伝子解析などで明確にし、それを活かしてブランド力を高め、国際競争力に優れた和牛肉生産システムを開発することが地域振興につながる」と述べられました。
 隠岐諸島・海士町の視察で隠岐潮風ファームを訪れ、隠岐牛の飼育や販売についてレクチャーを受けました。ここでは「島生まれ、島育ち、隠岐牛」をキャッチフレーズに島内一貫生産にこだわり、出荷は東京食肉市場にしぼっています。一緒に研修したメンバー2人によって、その後、千屋牛の牧場経営が本格化し、希少系統の竹の谷蔓牛の飼養も始まりました。そして、この貴重な遺伝子の継承と保存、遺伝子の海外流出を防ごうと、関係者で令和元年末「竹の谷蔓牛保存協議会」が設立され、ブランド化の推進や遺伝子の調査研究にも意欲を示しています。
 TPPを考えると、増頭よりもむしろ「新見ならではの品質」を確立させることの方が重要かもしれません。
 太田辰五郎によって千屋に牛馬市が開設されたのが天保5年(1834年)、牛肉の関税が9%に引き下げられる令和15年(2033年)は牛馬市開設199年になります。その時、千屋牛が生き残れるだけの体制を整えているかどうか、正念場を迎えています。

 Ⅲ 新見庄

 浩宮徳仁親王(現天皇)が新見庄を訪れられたのは、昭和56年、今から39年前のことです。当時、新見庄は全国の中世史家や地元の郷土史家が盛んに研究を行っていましたが、多くの新見市民はその存在さえ知っていませんでした。そこへ親王が来られて、中世から市が立っていた三日市の高梁川舟着場跡、土一揆の気勢を上げた江原八幡神社、荘官三職の一人金子衡氏の屋敷があった上金子の豪族屋敷跡、二日市が営まれていた上市の地頭方政所跡、木戸から芋原にかけての旧出雲街道、中世の宮座が残る亀尾神社と氷室神社、名主屋敷があった長久や三坂の田畑などを巡られ、「眼前に展開する現在の景観の中から地形図に表れない中世の歴史的風土が推測され、時の経過の持つ重みに認識を新たにした。新見庄内に見られる中世史跡としての耕地状況に興味を深めるとともに、山間耕地を現在まで維持拡大させてきた人々の営みに感銘した」とコメントされたものですから、新見市全体が驚きと畏敬の念に包まれました。
 新見庄とは何か?「中世の土地制度に基づいた人々の暮らし」とでも言えるでしょうか。そうした先人の暮らしを垣間見られるのが京都・東寺の「東寺文書」で、中でも「東寺百合文書」は平成9年に国宝に指定され、平成27年にはユネスコの世界記憶遺産に登録されました。新見庄に関する文書は、鎌倉時代から戦国時代まで約2千点にのぼると言われています。とくに鎌倉時代の土地台帳には、新見庄の全体にわたって田畑が一筆ずつ記載されており、当時の耕作状況がつぶさに窺われます。年貢・公事として、米、鉄、紙、漆、蝋などが領主の京都・東寺へ、川舟などを利用して送られました。
 国道180号を総社市から北上すると、古代から近世までの歴史がたどれます。古墳や鬼ノ城がある総社市は「古代」、備中松山城の高梁市は「近世」、そして新見庄の新見市は「中世」で、国道180号はまさに歴史街道です。
 古墳や鬼ノ城、備中松山城のように目に見えるシンボルがあれば良いのですが、新見庄の新見市には残念ながら人目を引くだけのシンボルがありません。国道180号沿いに「杠城址」が聳えており、本丸、二の丸、三の丸が連なり、石垣や堀切、井戸の跡も残っていて、中世山城の姿を彷彿とさせますが、全国的に知られるまでには至っていません。地元の「楪城を守る会」によって、きちんと整備されているだけに惜しまれます。
 新見庄を探訪された浩宮徳仁親王は、その後広島県に向かわれ、三次市から世羅町に入られました。世羅町には高校駅伝で名高い県立世羅高校がありますが、中世期には全域が紀州・高野山の荘園「大田庄」でした。現在も大田庄の原風景をあちこちにとどめています。親王は荘域内の神社仏閣などを巡られ世羅町に宿泊、翌日は大田庄の年貢米輸送ルートを南下し、尾道へ向かわれたそうです。
 世羅町は平成7年、大田庄経営の中心となった政所寺院・今高野山(甲山城)の麓に町立「大田庄歴史館」をオープンさせました。ここでは文化財を中心に大田庄が時代ごとに解説され、大田庄の全貌を知ることができます。この歴史館で荘園の全体像をつかみ、今高野山や石見銀山街道、万福寺跡の石造七重塔、光明寺跡の宝篋印塔などを踏査すると、中世の原風景に出会うことができます。そうしたことから、「今の元気と中世史の源流が共生するまち世羅」と言われるまでになりました。
 新見庄も、親王が訪れられた場所に中世の原風景が今でも残っており、さらに新見庄たたら学習実行委員会による「中世たたら製鉄再現」や神代和紙保存会による「紙漉き」、花木備中ジャパンの会による「漆の植樹と漆掻き」など、中世の営みが市民によって再現されています。
 新見市は「新見庄まつり」「東寺領荘園サミット」などを行い、啓発と交流で新見庄の発信を行ってきました。しかし、世羅町のように荘園の全貌を学ぶ施設がありません。たまがきと祐清上人 の物語は複雑な荘園事情の上に成り立っていますから、背景の詳しい解説がないと単なる悲恋物に過ぎなくなります。たまがきが「祐清の形見がほしい」と東寺へ願い出た書状は〝たまがき書状〟と呼ばれ、中世の農村女性が書いた手紙が現在まで残っているのは奇跡的で、しかも筆跡は鮮やかで美しく、農村の新見にこれだけの文字を書いた女性がいたということに驚き、そして誇りに思います。また、たまがきが願いをしたためた和紙は新見で漉かれ、約550年たった今も朽ちることなく、当時の和紙製造の原料や技術の素晴らしさがしのばれます。
 たまがきは新見庄のヒロインとして切手になり、その思いはボーイスカウトの「たまがきハイク」や「愛の書状」募集と『愛の手紙100』出版などに反映されました。また、祐清とたまがきは、JR新見駅前にブロンズ像があり、演劇「新見庄絵巻」や講談「たまがきの愛」などの物語が作られました。地域のヒロインで歴史的に貴重な存在のたまがきですが、決してメジャーな女性ではありません。ひっそりと地域で息づいています。
 同じことが玄賓僧都にも言えます。僧都が書いた文書こそ残っていませんが、僧都が亡くなって1200年になるのに、いまだ僧都の伝承は地域から消えていません。このことは「信じられない」と言われるほどで、新見公立大学の原田信之教授は講演で、「玄賓僧都を地域の宝としてどう生かしていくことができるのか考えていきたい」と述べられました。なぜ、南都興福寺の高僧が備中の山奥に草庵を結んだのか。なぜ、伝承が絶えていないのか。興味があるところです。
 中世のヒロインがたまがきであるなら、古代のヒーローは玄賓僧都と言えるでしょう。さらに近世新見のヒーローは、新見藩を立藩した関長治、藩校思誠館を設立した関政富、思誠館に丸川松隠を招聘した関長誠、そして丸川松陰、その門弟の山田方谷など多くの英傑が挙げられます。
 初代藩主関長治侯が船川八幡宮の秋季大祭を格調高いものにしようと神輿を守る先駆けとして仕立てた御神幸武器行列は、320年あまり毎年10月15日に郷士の子孫らによって行われ、新見市の重要無形民俗文化財に指定されています。
 現在、新見市全域には160を超える文化財があり、これらを網羅すると、古代から現代までの壮大な「歴史ロマン」が浮かび上がってきます。新見市は合併前から「新見庄ロマンの里づくり」として中世にスポットを当ててきましたが、合併後15年を経た今、新見市の全域を見渡し、古代から現代まで歴史上の人物や文化財を網羅して新見特有の文化を謳いあげる全市的な「ロマンの里づくり」が可能であると考えます。

 Ⅳ 地域共生社会

 「新見公立大学が目指すのは“地域共生のまちづくり”。新見市が直面している少子高齢化、人口減少の課題を解決するために研究し、それを教育に生かして地域共生社会の基盤を支える人材を育成する。そうして育った人材が、健やかな子どもの成長と発達を促し、心の豊かさを高め、高齢者の健康寿命の延伸に尽力し、すべての世代の心と体の健康を支援する。大学と新見市が一つになり、課題を解決し、乗り越える“持続可能なまちづくり”を目指すことは、課題先進地域である新見市にとって大きなチャンスで、“壮大な社会実験”である」と述べたのは、新見公立大学の公文裕巳学長で、“地域共生のまちづくり”を高らかに宣言しました。そして、「地域共生社会の実現に向けて」と題して6回、特別講演会やシンポジウムを行いました。
 筑波大学の岡典子教授は「共に生きる社会(共生社会≒インクルージョン)は、『だれもが互いに人格と個性を尊重し、支え合い、人々の多様な在り方を認め合える全員参加型の社会』で、特に『これまで必ずしも活発に社会参加できるような環境になかった障害者等が積極的に参加、貢献できる社会』を言う。共生社会を形成するためには『生徒やその家族、教師、地域社会の住民たちが、人々のもつ差異を受容しながら所属意識と共同体意識に基づいて主体的に学校を作り出す哲学』すなわち〝インクルーシブ教育システム〟の構築が重要で、差別と排除のないインクルーシブな社会を作るための手段としてのインクルーシブ教育は、『学校の変革を通じて社会の変革をめざす草の根運動』。地域が学校をつくる、学校が地域をつくる―新見は今後そのモデルになり得る。新見モデルを待っている人は多い」と語られました。
 また、庄原市の社会福祉法人優輝福祉会の熊原保理事長は講演で、地域共生社会を「地域のあらゆる住民がそれぞれ役割を持ち、支え合いながら自分らしく活躍できる地域コミュニティ」と定義し、地域共生社会を実現するためのスローガンとして、「我が事」(課題を自分の事ととらえて「互助」の精神で解決に取り組むシステムの構築)と「丸ごと」(分野ごとの縦割りの仕組みを包括し、困りごとを丸ごと共助、協働すること)を挙げられました。
 愛知県の国立長寿医療センターの大島伸一名誉総長は「高齢化社会」にスポットを当てて講演し、「日本は1950年に高齢化率が5%だったが、高齢化が急速に進んで、今では世界一の高齢化社会となった。超高齢化社会は急速に進んで2060年ごろまで続き、本当に深刻な事態は現在の40~50歳代の人達が高齢者になる20~30年後から始まる。高齢者を貴重な資産資源とし、人生90歳代の人生設計を国民の責任として考えていき、ないものをねだるのではなく、今ある資源を有効に利用することを考えていき、それを次世代、次々世代につないでいく。その意識改革こそが、これからのまちづくり、地域づくりの最も重要な課題になっている。日本が迎えているのは危機ではなく変化である。この変化を危機的状況にするかしないかは、20~40年後に高齢社会の当事者になる若者しだいである」と、20歳から40歳の若い層の意識改革を促されました。
 これを受けて岡山県医療推進課の則安俊昭課長はシンポジウムで、「健康長寿のために大切なのは「Quality of Life(生活・人生の質)×時間」と前置きし、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される「地域包括ケアシステム」について話されました。
 地域包括ケアシステムは「医療、介護、介護予防、住まい、自立した日常生活の支援という5つの要素が包括的に確保される体制」で、岡山大学の浜田淳教授は講演で「地域包括ケアを実現させるためには地域の人たちが力を合わせ、家族・地域・そして新見市全体で〝つながり〟をつくっていくことが大切」と話されました。
 また、広島市の中国四国厚生局地域包括ケア推進課・高原伸幸課長は講演で「地域包括ケアシステムの構築にあたっては『医療と介護の連携』と『生活支援とまちづくり』が重要で、そのためには『自助・共助・互助・公助』をつなぎ合わせて体系化、組織化していく必要がある」と話されました。
 そして渡辺病院の溝尾妙子外科医はシンポジウムで「地域全体で医療を守るためには、医療機関、介護、在宅医療、高次医療機関、新見市、住民との連携が大切で、地域全体で次世代人材の育成(新見公立大学の学生や医学生の育成、地域医療人の生涯学習など)が必要になる。人材育成は人材確保にもつながり、働きやすい環境、地元出身者へのアピール、そして情報発信などが不可欠で、住民同士が支え合う〝地域共生社会〟が求められている」と述べられました。溝尾医師は岡山大学医療人キャリアセンターMUSCATのPIONEプロジェクトや新見市ドクターネットワークなどで、地域包括ケアや地域共生社会の構築に向けて実践しておられます。
 一方、新見公立大学の学生も、「社会を構成する様々な人々を包み込み支え合う〝ソーシャル・インクルージョン〟」という理念を掲げ、様々なボランティアを行っています。
 1年間八尋茂樹ゼミで過ごした学生は、鳴滝塾の活動報告会で、「新見公立大学の1学部3学科は、どの学科も“人に寄り添う”ことが根底にあり、授業や実習で学ぶ知識や技術は、この“人に寄り添う”という根本的な考え方の上に積み上げていくものだと学びました。私たちは、その根本的なことの意味を肌で感じ、身につけられるような体験をしていくことをゼミ活動の方針としています」と活動の意義を述べ、新見ロータリークラブ主催の「親子たこあげ大会」、新見市市民環境会議主催の「キャンドルナイト」、新見市内の福祉施設や地域での「納涼祭」、わくわく産業ランドでの「にいみダムカレーブース」などへボランティア参加したことによって、「新見市内外の親子と触れ合い、障がい者支援施設で暮らす人たちとの接点を持ったことは、貴重な経験となりました」などと語りました。
 八尋ゼミは哲多町萬歳地区との繋がりが深く、学生たちは中山八幡神社の夏祭りで駄菓子屋模擬店を出店、秋の萬歳ふれあい大運動会では競技や運営に加わり、中山八幡神社の秋祭りへボランティア参加、萬歳小学校の学習発表会を見学、矢戸の蛇神楽御戸開きを鑑賞、1月のとんど祭りへの参加などを通じて、「私たちは萬歳地区に特別な愛着を持つようになっていきました。やがて、多くの人たちと理念を共有できるようなイベントを自分たちで企画し、運営したいと思うようになりました。そして2月にゆめ広場萬歳で、大人も子どもも楽しめるイベント『友だち100人できるかな?in萬歳』を開きました。住民や各種団体の協力により、科学実験、ネームプレート作り、書道体験、手鏡作り、各種クラフト作り、ボードゲームなどのブースを設け、昼にはダムカレーを提供しました。これらのことからイベントの目標である〝ソーシャル・インクルージョン〟の実現に向けて、少しだけ前進した感じです。私たちはこの1年で新見市のたくさんの人たちと出会い、たくさんの人たちに支えられてきました。そして、萬歳という大切な場所もできました。1年前までは『何もないつまらない町だ』と思っていた新見が大好きになりました。だから、私たちはまた必ず新見に戻ってきて、自分たちが歩いた場所や、出会った人たちと再会したいと思っています」と述べました。
 このことから、岡教授が話された「地域が学校をつくる、学校が地域をつくる―新見は今後そのモデルになり得る」に向かって学生たちは一歩前進しているように思います。

 Ⅴ 保育・福祉

 福山市立大学の髙月教惠教授(現新見公立大学特任教授)は講演「地域ではぐくむ子育て構想」で、「幼児期から保育施設などで社会性を養い、地域ぐるみで子育てを行うことの大切さ」について話され、「人口3万人の新見市は子育てがしやすい環境にあり、大学と幼稚園・保育所・認定こども園が連携し、大学を拠点とした地域一体型保育システムの構築が必要」と述べられました。また、髙月教授は別所アウトドアスポーツセンターでのパネルディスカッションで、「子どもが少なくなっているにもかかわらず、約半数の子どもが発達障害を含めた〝グレイゾーン〟にあり、子どもが育たない時代になっている。子どもを0歳児からどのように育てるか。子どもは自ら生きる力を持っている。達成感を味わった子どもは『生きてきて良かった。世の中は素晴らしい』と思える子に育っていく。グレイゾーンをもっている子どもには、充実感が味わえるような保育環境を整える必要がある。新見市内のこども園、幼稚園、保育施設の全部を大学の付属とし、質の高い保育を考えようとカリキュラム(保育内容)を見直している。それは過疎だからできる。(人口3万人弱の)新見だからできること。実現すると子育てのしやすい町として注目を浴びるし、新見に行って子育てしたいという気持ちになる。そういうことをやっていきたい」と述べられました。
 また、旭川荘療育アカデミーの松本好生学院長(現新見公立大学教授)はパネルディスカッションで、幼児期からの健康状態を生活習慣や環境など様々な要因との関係で調査するコホート研究を取り上げ、「QOL(Quality of Life=生活の質)を小学校から中学校へ示すことができれば、新見という町が住みやすく、子育てしやすい町という裏づけができる」と述べられました。
 講演会ではこのように人口3万人弱の新見市だからできる子育てについて語られ、日本総合研究所の藻谷浩介主席研究員(新見公立大学客員教授)は講演で「新見市は75歳以上の高齢者が減少している。医療福祉費を子育て支援に回せるチャンス」と語られました。
 〝子育て王国そうじゃ〟を掲げる総社市から5人を招き、新見市からも4人がシンポジストとして参加したシンポジウム「地域ぐるみの子育て支援」では、総社市からファミリーサポートセンターを委託されたNPO法人と総社市から病児保育業務を委託された内科小児科医院併設機関とが密接に連携して病児・病後保育を行っており、保育中に病児の体調が悪化した場合は小児科医が「サポートドクター」として保護者の代わりを果たしていることなどが報告されました。
 新見市でも、新見公立大学内に設けられた「にいみ子育てカレッジ」で保護者の急用時に育児の援助を行う保育サポーターを養成し、その拠点になるファミリーサポートセンターを同カレッジに置いています。新見市内の病児・病後保育室運営者や施設利用者から「病児保育について知らない人が多く、施設もあることを伝えたい。女性の仕事と家事・育児の両立は、周囲の理解と施設を利用することで成り立つ。働きながら子育てできる支援策や環境づくり〝ワークライフバランス=仕事と生活の調和〟を図っていきたい」などの発言がありました。

 Ⅵ 小規模多機能自治

 令和2年9月末の新見市人口は2万8572人。平均年齢は54.0歳で、高齢化率は41.7%。大字別に見ると、平均年齢は大佐大井野が最も高く72.3歳。高齢化率は73.0%、30歳未満はわずか1人というのが大井野の現状で、世帯数は75、人口は152人です。6集落あり、いずれも限界集落で、今後集落の崩壊が懸念されています。
 大井野はかつて乳牛を飼育する酪農が盛んでしたが、現在、酪農家は1軒にすぎず、協議会や委員会を組織して、ヒメノモチ米を餅に加工する施設「もち工房」を拠点に生産、加工、流通・販売を総合的に行う6次産業の推進に取り組んでいます。
 同様に、餅米のヒメノモチを特産に、全村挙げて6次産業を推進している新庄村では、ヒメノモチが村の水田約7割で作付けされており、白餅、よもぎ餅、豆餅、しゃぶしゃぶ餅、大福、おかきなど17種類もの加工品を作っています。さらに、ヒメノモチの米粉も製造し、うどんや中華麺などに加工されています。そして道の駅「がいせん桜・新庄宿」などで販売し、「出雲街道宿場町・新庄」の観光に結び付けています。
 大佐大井野には雄山、雌山、御洞渓谷、後醍醐神社など登山や観光の資源、さらに大井野源流体験村「雄山の家」「雌山の家」という宿泊施設があり、冬の寒さは厳しくても、春のシャクナゲ、秋のモミジは美しく、これら自然や歴史的資源と6次産業ヒメノモチをクローズアップして小規模多機能自治が機能すれば、多くの観光客を呼び込む魅力的な地域になるかと思います。しかし、高齢化率73.0%の住民だけでは限界があります。
 クラウドファンディングは資金を集める手段ですが、「気持ちのつながりがあれば遠く離れていても近くに思える地縁血縁交友」をたどって、地域外から多機能自治に加わってもらう人を集めることも一つの方法かと思います。「高齢化率70%超の限界集落」が〝課題先進地〟として〝売り〟になるかもしれません。
 逆手塾の故和田芳治会長は講演で「6次産業だけではうまくいかない。どんなに厳しい場所であろうと人に来てもらうことができる〝ロマンアップ作戦〟が必要。逆境で本当に困ったということを見つけて、それをひっくり返してみせるという〝感動のドラマづくり〟がいるんじゃないか」と述べられました。
 「自助・共助・互助・公助」による「地域包括ケアシステム」は当然として、福祉事業だけでなく地域が特色ある多機能自治を確立させるためには、地域の特色を浮き彫りにする「地域学」と、そこから生まれる何か、和田氏の言葉で言えば〝ロマンアップ作戦〟〝感動のドラマづくり〟が必要で、それを行う地域リーダーの存在も大きいと思います。
 また、特産品はもとより観光資源も含めて地域を丸ごと国内外に売り込む「地域商社」事業も考えられ、国はすでに「地域商社」の設立や機能強化のために100カ所以上、地方創生推進交付金を支給しています。地域商社が新見市内で実現すれば、新見市全体の特産品や観光資源を日本はもとより、世界へアピールする拠点になるでしょう。ピオーネはすでに台湾へ輸出されており、インバウンド(訪日外国人旅行)が顕著になった今、小さな地域からグローバルな眼を大きく見開く必要があるかと思います。
 地域全体を屋根のない博物館とする「草間台エコミュージアム」の推進協議会では、生物の多様性を維持するための里山保全、蕎麦オーナー制度による都市住民との交流などで、〝地域の活性化と自立〟を目指しています。これは多機能自治を構築する基盤モデルだけでなく、新見市全体を活性化するだけの力があるかと思います。

 Ⅶ 自然

 「新見の水はおいしい」と、よく言われます。カルスト地形の高梁川源流伏流水は、石灰岩がフィルターとなるため、カルシウムを豊富に含んでいます。この伏流水を利用して、かつてはアユの養殖が盛んでした。今ではチョウザメの養殖が行われており、採取されるキャビアは千屋牛やピオーネ、ワインとともに新見市のA級グルメになっています。花崗岩地帯を含めて県北ならではの源流の水、新見の水そのものをA級グルメに加えてアピールしてもよいかと思います。
 新見市の自然観光といえば、満奇洞、井倉洞が広く知られています。昨年度、菅生別所の用郷林道「七曲がり」が土木学会の選奨土木遺産に認定されました。明治45年竣工の林道は建設当時のエピソードが語り継がれ、林道傍の鳴滝(雄滝)には仙人伝説があり、滝が流れ落ちる別所川の美しい渓流によって、いっそう神秘な雰囲気に包まれています。近くにある別所アウトドアスポーツセンターや千屋ダムと組み合わせると、魅力的な観光地に違いありません。
 新見市観光協会は平成31年4月社団法人化し、JR新見駅前の観光案内所を拠点に特産物販売やイベント事業を行っています。しかし、近隣他市の観光組織に比べると、スタッフは少なく、観光戦略も十分には練られていません。
 「石灰」の項で触れた「カルスト台地の恵み」バスツアーですが、では、だれが企画し、だれが実践するのか。観光コーディネーターひいては地域商社を観光協会内に配置、設立し、活動の場を新見公立大学の地域共生推進センターに置かれてはどうでしょうか。狭い観光案内所ではどうにもなりません。地域共生推進センターで他分野の人とも接触することで視野も知恵も広がるかと思います。新見市内の観光資源は豊富なので、特産品を含めて地域を丸ごと売り出す「地域商社」の機能が観光協会に加われば分厚い事業展開が期待できるかと思います。
 隠岐諸島の海士町は「これまで海士の観光資源と言えば後鳥羽上皇の史跡であったが、これからはそうはいかない。島で生活する島民の日々の営みすべてが観光資源であり、商品になると考えている。島で生活して普通に歩いている“おばあさん”も観光資源です。第一次産業の農業も漁業も畜産業も、教育も、すべての現場が観光資源であって、それは観光として売れるはずだと思っている」と〝島まるごとブランド化〟を目指しています。

 Ⅷ 農林業

 平成31年4月、鳥取県日南町で、林業の即戦力になる担い手を育成しようと「林業アカデミー」が開校しました。就学生は実践的な現場研修で技術と知恵を身につけ、専門家の講義によって最新の林学と教養を学んでいます。
 就学年数は1年で、募集人数は10人。1期生は10代から40代までの男性6人、女性1人の計7人で、鳥取県を始め、岡山、京都、千葉から集まりました。令和2年度の2期生は、東京や大阪などから7人が入学しています。
 アカデミーでは、小学生の仕事体験や野外キャンプ、高校生のインターンシップ、社会人の就業体験なども受け入れています。学長の中村英明日南町長は講演で「森を活用した地域の魅力、魅力を切り札にした人の集まりをつくっていきたい。町の誇りを子どものころから養っていくことが大事で、人間として心の豊かさがある中山間地域をめざしたい」と話されました。
 新見市でも、岡山大学の三村聡教授を中心に学生が間伐などに従事する「森林ボランティア活動」が行われ、にいみ木のおもちゃの会は「森のゆうえんち」などで生涯木育による地域活性化を目指しています。また、機械化により女性の林業参加も増えています。
 島根大学の伊藤勝久教授は講演で「林業の可能性は無限。新見独自の産業クラスターが望まれる」と話されました。ある産業が核となって広域的な産業集積が進む状態の「産業クラスター」は、例えばバイオマス発電事業などが挙げられます。
 新見市のバイオマス発電は、令和2年5月中旬から本格稼働し、発電規模は1995キロワット(一般家庭4300世帯分に相当)。このため年間3万トンの木材チップが必要で、豊富な山林資源の有効活用が期待されています。
 いち早くバイオマス発電事業を立ち上げた真庭市では、〝バイオマス産業杜市真庭〟を掲げ、発電事業のほか、木質バイオマスの高付加価値化、農業や酪農、家庭などから発生するバイオマス資源を活用して「地域資源が循環する持続可能なまちづくり」を推進しています。具体的には、研究開発拠点「バイオマスラボ」を開設し、産官学共同で新素材や新産業の創出を行う「木質バイオマスリファイナリー事業」、廃食用油を使ったバイオディーゼル燃料、生ゴミから製造する液肥など資源の循環システムを構築する「有機廃棄物資源化事業」などを行い、真庭観光局が実施するバイオマスツアーによって関連産業の活性化を図る「産業観光拡大事業」に取り組んでいます。このうちバイオマスツアーは「顔の見える産業観光」をテーマに平成18年にスタート、開始10年目には参加者2万人を突破し、現在年間約3千人を受け入れるツアーに発展しています。
 このような真庭市の取り組みは一朝一夕に出来上がったものではなく、今から27年前の平成5年に若手経営者や各方面のリーダーを中心に立ち上げた「21世紀の真庭塾」が推進力になっています。発足当時の主要テーマは「町並み景観保存」と「循環型地域社会の創造」で、一方は勝山の町並み保存地区の「のれんのまちづくり」や無電柱化、「お雛まつり」などに生かされ、もう一方は「木質資源活用産業クラスター構想」や「バイオマスタウン構想」を経て、バイオマス発電を核とした「バイオマス産業杜市真庭」へと発展しました。

 Ⅸ 海士町の取り組み

 「ないものはない」の島根県隠岐諸島中ノ島の海士町でも、20年以上前から現在につながるまちづくりが進められています。地方創生のトップランナーといわれた山内道雄前町長が町議会議員時代、町長に就任する3年前の平成11年、役場の若手職員が中心になって海士町の魅力を最大限に活かす第3次総合振興計画「キンニャモニャの変」を始動させました。この計画は山内町長就任によって実現が一挙に加速されました。以前の第2次総合振興計画はコンサルタントに丸投げして策定され、第三セクターのホテルや交流施設、海中展望船などが造られ、基盤整備は進んだものの維持費や償還などで財政は悪化し、破綻が憂慮されていました。「箱物は極力造らず、自分たちの住む島にあるモノを有効に使ってまちづくりをしよう」という意識の下、第3次総合計画「キンニャモニャの変」は策定されました。それは「住民と一緒にこの町を盛り上げていこう」という町役場職員のやる気が問われる意識改革でもありました。
 山内前町長が初当選の平成14年、人口2300人の海士町は105億円の借金を抱え、財政再建団体への転落が目前でした。当時は平成の合併をめぐって議論が起こっていたころで、海士町も借金の肩代わりを合併で解消するかどうか話し合われました。町の独立を主張する山内町長は各地区に出かけて住民の意思を確認し、合併協議会を解散。単独町制を選択しました。ところが、小泉内閣の「三位一体の改革」により地方交付税は2億7950万円の減額となり、財政再建団体への転落が現実味を帯びてきました。そのとき策定されたのが、島の生き残りをかけた「海士町自立促進プラン」で、〝守りの戦略〟として、町役場の給料を三役、議員は40%以上、一般職員は平均22%カットし、年間約2億円の人件費削減効果を生み出しました。
 こうした行財政改革を行う一方で、〝攻めの戦略〟として産業振興や定住対策、教育への投資を積極的に行いました。攻めの実行部隊として産業3課(交流促進課、地産地商課、産業創出課)を設置し、仕事場を海士町の玄関、石浦港のターミナル「キンニャモニャセンター」に置き、現場重視の業務にシフトしました。地域おこし協力隊の制度が始まる前、町独自に全国から募集した「海士町商品開発研修生」によって再評価され、商品化された「島じゃ常識!さざえカレー」がヒット。そして、よそ者(島外挑戦者)若者(後継漁師)バカ者(のぼせ漁師)といわれる三者が取り組んで「いわがきの養殖」に成功。また、細胞組織を壊すことなく生きたまま凍結させることができるCASシステムを導入し、白イカや岩がきなどを旬の味覚のまま全国へ届けることに成功しました。さらに、隠岐牛の振興にも力を入れ、平成18年には東京食肉市場にデビューしました。
 海士町が最も脚光を浴びているのが、平成21年からスタートした「隠岐島前高校魅力化プロジェクト」で、全国募集の「島留学」制度、島留学生を地域住民が支援する「島親」制度、地域の実情を学び地域の課題解決に取り組む「地域学」の構築、学校と地域が連携した公立塾「隠岐國学習センター」の設立など様々な取り組みを行っています。
 平成20年度に生徒数89人で廃校の危機にあった隠岐島前高校がV字回復、平成28年度には生徒数184人になりました。翌平成29年度からは小中学校にも「島留学」などを取り入れ、高校から小中学校まで広げた「隠岐島前教育魅力化プロジェクト」を実践しています。さらに、昨年度から県立の隠岐島前高校に全国初の「学校経営補佐官」を2人配置し、教育の魅力化を一層推進しています。こうした島前高校の営みは、平成31年2月に策定された島根県教委の「県立高校魅力化ビジョン」をはじめ、全国の公立高校の模範になっています。海士町商品開発研修生制度や隠岐島前高校魅力化プロジェクトなどによって、船団の最後尾にあった海士町が今や全国の船を引っ張るタグボートになっています。
 平成29年9月に海士町を訪問した時、総合振興計画「キンニャモニャの変」の策定にかかわり、給料カットも経験した大江和彦地産地消課長(現町長)は「供与カットも思い出づくり。かあちゃんの顔が浮かんでくる」と話されました。海士町には長年培ってきた新しい営みがあり、「海士町へは行くな。ミイラ取りがミイラになる」と言われるほど魅力的で、移住者や島留学生が多いのもうなずけます。和田芳治さんが講演で言われた「ドラマづくり」がここにはたくさんあると思いました。

 おわりに

 新見市でも早くからまちづくりへの取り組みがなされてきました。その一つが38年前の昭和57年に制作された「新見歴史創造計画」です。新見青年会議所が元映画プロデューサー・斉藤次男氏に依頼して制作したスライドで、第1部「山と神々と独立の旗」第2部「未来は新見をよんでいる」から成り、一人の旅人が見た新見の姿や新見の将来が描かれています。
 第1部では岡山のシンボル桃太郎と鬼が取り上げられ、「桃太郎が滅ぼそうとした鬼は実はわれわれ地域の先祖であった。鬼たちの戦いは地域を守ろうとする正当な行動で、桃太郎は侵略者であると考えて何らさしつかえない。われわれが新しいまちづくりに取り組もうとするならば、彼ら鬼たちの掲げた〝独立の旗〟を現代にどう立て直すのか。そこに、新しい新見の出発点がある」と語られました。鬼の掲げた独立の旗、すなわち自然や産業、文化など地域の宝をどう守り、どう活かしていくかが問われました。
 第2部では産業、教育が語られ、「新見の86%は山である。この緑の波の中へ独立の旗を一本一本打ち立てていく時、新見は二十一世紀において最も希望に満ちた台地となるのである。独立の旗は、伝統を誇る石灰産業の中へ世界最新の技術を導入しようとする動きを歓迎する。それによって新たな需要を生み出すことができる。そのためには新たな石灰関連企業や研究施設も必要になってくる。それが白いものの伝統を生かした新見の新しい転換の道なのではないだろうか」「新見…それは牛と共に生きてきた歴史でもあった。新見へ来たらいつでもおいしい千屋牛が食べられると、千屋牛ブランドの大々的PRを行い、千屋牛の直営レストランを大阪や東京にどんどん造っていく。千屋牛の流通革命を成し遂げることは、とりもなおさず新見のまちの土台を変えていくことであると、千屋牛の祖・太田辰五郎は墓の下から叫んでいる」。そして「昔、人々は黒いものと白いものを結びつけて山の幸を増やすという優れた生き方を編み出した。その知恵をもう一度、現代に蘇らせることはできないであろうか」と述べています。
 最後にスライドは開学間もない新見女子短期大学に触れ、「新見の未来は、教育都市構想の中に集約される。教育を大切にしてきた伝統、そして教育にふさわしい環境。それは新たな産学共同体制を作り上げ、そこから生まれた人材は、新見の未来の扉を確実に押し開いていくであろう」と語られています。
 新見女子短大(現在の新見公立大学)は今年度創立40周年を迎えました。人口約3万人の都市に公立大学があるのは、新見市と北海道の名寄市だけです。新見市内に居住していると、大学の存在の大きさに気づかないかもしれませんが、新見地区雇用開発協会と新見市観光協会の共催で真庭市のバイオマスツアーに参加したとき、大田昇真庭市長が「新見市はいいですね。大学も美術館もあって」と語られたように、他市からうらやましがられる新見公立大学です。
 10月に地域共生推進センター棟が落成し、1学部3学科体制が本格始動しました。それに先だって「地域共生推進センター」が設置され、学生と地域の交流促進、学生と共に地域の課題を探求する活動、市民へ「学びの場」の提供などを行い、人と地域をつくる産業、すなわち看護・保育・福祉を軸とした〝教育産業〟を多方面に展開させて〝大学を活かしたまちづくり〟にこれからも貢献していきます。
 地方創生にいみカレッジ事業は昨年度で終了しましたが、鳴滝塾は地域共生推進センター「鳴滝塾」として、講演会やワークショップなどを計画しています。引き続き、よろしくお願いいたします。
 以上、鳴滝塾50回の総括(報告と考察)といたします。
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