NiU「鳴滝塾」

産官学民が連携して地域課題の解決策を探ろうと
新見公立大学に設置されています

第41回鳴滝塾

2019-05-11 | ☆定期講座

 
 5月11日(土)午後2時から新見公立大学学術交流センターで、本学の原田信之教授の講演会「地域の宝としての玄賓僧都伝承」が開かれた。新見市民ら65人が、玄賓僧都の足取りや伝説から功徳をしのんだ。原田教授は前年、玄賓僧都の没後1200年を記念して、『隠徳のひじり玄賓僧都の伝説』を出版している。

           公文裕巳学長(右)と原田信之教授(左)
 
 玄賓僧都(734~818)は南都法相宗興福寺の高僧で、河内国(大阪府)で生まれたという説が知られるが、備中国英賀郡水田(真庭市上水田小殿)にも玄賓生誕地伝説が残っている。ここには「高僧屋敷」という地名があり、近くの臍帯寺(ほそおじ・高梁市有漢町上有漢)には玄賓の母が臍の緒を納めたという伝承がある。また、小田郡矢掛町小林には玄賓僧都の終焉伝説があり、ここには「僧都」という地名と玄賓が葬られたという五輪塔があり、五輪塔周辺で玄賓が草庵を結んだと伝承されている。
 大同元年(806)大僧都に補任された玄賓は、備中国湯川寺(新見市土橋寺内)に隠遁。同年に大椿寺(新見市哲多町花木)、弘仁9年(818)に四王寺(新見市哲西町大野部)を開基したと伝わっている。
 湯川寺では「寺がある寺内集落あたりの茶はよく育つようになった」「湯川寺の横を流れる川のカワニナは先端部分(尻)がなくなった。以降、尻無川と呼ぶようになった」「寺内集落では西条柿がならなくなった」「湯川寺の向かいにある庚申山では雉が鳴かなくなった」などの伝説があり、いずれも玄賓僧都の逸話が端緒になっている。他に、湯川寺に隠遁中、日咩坂鐘乳穴神社(新見市豊永赤馬)で石鍾乳(鍾乳石)を採集、薬石として桓武天皇に献上した」などが言い伝えられている。
 大椿寺では「寺の下を流れている谷川で、玄賓僧都がコトブキノリ(コトブキダケ)を発見し、この水藻を僧都は好んで食べた」「寺紋の『吾唯知足』は玄賓僧都に由来する」などと伝わり、ここでも「鍾乳石を薬として京都へ送った」という伝説がある。また、玄賓僧都を謳った御詠歌が残っている。
 四王寺では「高梁市備中町へ通じる道を通って来られ、この地(大野部)に四王寺を開基された。その道は、弘法大師の通り道と重なるらしい」などの伝説がある。
 原田教授はこれらの逸話を紹介し、「玄賓僧都が亡くなって1200年。岡山県内のあちこちに豊かな伝承が今でも消えていない。このことは信じられないといわれるほどで、どうみても〝宝物〟。新見が中心となって県内でもりたて、これからも〝地域の宝〟として、次の1000年に向けて玄賓僧都の伝承を残していきたい」と述べた。

 
 後半は、玄賓僧都ゆかりの県内3寺住職によるフリートークが原田教授の司会で行われた=写真上

   左から鷲山晃道住職(大椿寺)吉田宥正住職(四王寺)柴口成浩住職(大通寺)
 
 3人の住職は、それぞれ寺に伝わる玄賓僧都伝説を語った。このうち、矢掛町の柴口住職は、僧都の遺徳をしのんで実行委員会が毎年開いている「玄賓まつり」も紹介した。
 原田教授は「玄賓僧都を地域の宝としてどう生かしていくことができるのか考えていきたい。いずれは玄賓僧都関連寺院のネットワークを作って全国発進させたい」と語った。
 



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