池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

死=師

2007-07-08 | 作曲/全般

何しろ自分の作品初演のDVDが届いても、3週間程は視聴せず目下の作曲に没頭していたから、その間ご同業のどなたかがお亡くなりになったとしても知ることは出来なかった。
その作品に一応切りがつき、たまには知人のブログでも…と、久々にアクセスしたら先月の記事に、僕の1歳上の有能な作曲家が亡くなられた、とあった。すでに1ヶ月近く経つ。
検索すると大新聞の夕刊にも載っていた。それから4時間くらい、ずっと関連のブログを読み漁った。
彼とはそれほど接点の無い方まで亡くなった翌々日にはブログに書いていた。知己の広さに敬服すると同時に、うかつだった自分が悔やまれた。

自分がブログを始めた2年前の7月に彼もブログを始めていて、僕以上にブログにかける熱意に驚き、それから1年以上は日々更新される「創造的ブログ」をほぼ毎日拝読していた。その内容に応えるような記事を自分のブログに書いたり、トラックバックを送ったりもした。
その後は熱意も治まった様子で、当初のような力のこもった内容ではなくなり(ブログとは一般的にそういうものだが)、稀にしか読まなくなったので、彼の情報が入りにくくなっていた。

その夭折を知るや否や、たちまち今の自分の作曲の仕上がりに不安を覚えてしまった。
「死」を表現する宗教的合唱曲に対して、「生」を表現する大編成の器楽曲、という位置づけだったが、「生」に対する自分の認識が余りに単純で、表面的であったことに、この一瞬で気づかされたからだ。
「生」には喜びや躍動感、情熱、愛、希望…といった肯定的な側面だけでなく、悲しみ、恐れ、失望、迷い、衰退、憎悪といった面もあり、「死」にも同様に、哀悼や畏怖といった一義的な解釈だけでなく、安らかさや受容、浄化など、喜びにさえ似た要素がある。
考えれば考えるほど、もし〆切が無かったら永遠に推敲し続けるのでは、と思うほどだが、それもまた大きな間違い。
〆切が無い?それはあり得ない。すべて人間には、人生の〆切があるのだから。
memento mori―汝、死すべきことを覚えよ。
死=師?
(写真:三陸にて父撮影)



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