池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

荷車の夜

2007-07-17 | 作曲/大編成

知人の夭折を知って感情が高ぶり、ほぼ完成した拙作に大幅に手を入れる必要があると思ったが、この段階でのそれは不可能だった。
一時の思いつきで、当初のプランを変更するのは絶対に良くない…とその故人は何度もブログに述べていた。確かに一理ある。だがクリエーターの多くは〆切ギリギリまで知恵を絞る。
そこで僕は、最初試し書きのような軽い気持ちで書き、そのままにしていた冒頭部分に、新たな楽器の動きを塗り重ねることで決着をつけた。
単なる平凡なモザイク模様だったカオス的音響に、一種の感情表現が加わったと思う。
すると中味を濃くした事によって、長さもより長くする必要を感じた。力学的エネルギー保存の法則だろうか?
実はこの部分は、最初決めていた長さに必然性が無いと思い、だれるのを避けて一度削ったのだが、新たな声部を加えることで持続が必要となり、結局元の長さに戻った。

その一方、段取りとして置いていた序のフレーズは見え透いていると思い削除した。
終わり的始まり、始まり的終わり…を意図し、同じフレーズをラストシーンにも置いていたが、当然それも削除する。
頼るのは直感。理論的裏付けはあとから見出す。
時には尾てい骨が先生となる。使い古された手法でも、それが無ければ構成が成り立たない、という時。
形骸化しつつもあくまで存在しなければならない、進化による退化、それが尾てい骨―作曲における構成法の進化のヒント。
もちろん「進化」と言った瞬間、即ち古いものの延長をも告白する。末端の枝葉が伸びる先は、幹の根元によって決まるから。

かくして90%の先を詰める最終段階は慎重を要する。悩む割には形に表れない。
数日寝かせ、もういじり様が無いと悟ったら、荷車の夜。
ゾラ「制作 - L'œuvre」の一節に、提出前夜の追い込み状態を建築家の間で「荷車の夜」と呼ぶ、とある。
(写真:近所の公園)



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