池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

佐藤眞先生への感謝の集い

2006-02-13 | 作曲/全般

12日、恩師・佐藤眞先生のご退任(芸高校長・芸大教授)を記念し、感謝するパーティーが、上野の精養軒で開かれました。
祝辞…評論家の宇野氏―合唱コンクールの審査員で会った時に一目惚れして以来の親友。
詩人の林望氏―教授会などという時間の浪費(笑)から開放される。
ヴァイオリニストの大谷氏―なぜ退任なのか、まさか定年だとは分からなかった。
声楽家の嶺氏―芸高時代、佐藤眞は「芸大のモーツァルト」だった。
作曲家の西村氏―「ピュロンのオペラを書いたら死んでもいい」と仰った。

横からさっとビールを注いでくれた、着物のお上品な方は、聞けば僕が院生の頃レッスンを共にした、2つほど後輩の方で、その時僕がこう言った、ああ言った…と、かなり細かく覚えていらっしゃるので、他に何を言ったか怖くなり、しばらく失敬しちゃいました。
江戸川区音楽協議会の主だった方や、自分が勤務する会社の社長も見え、普段は殆どお話しすることが無いのですが、拙作のウィンド・オーケストラの初演についてなど、お話も出来ました。
お名前だけ存じ上げている先輩ともお話しました。気さくな方でした。

思えば、僕が佐藤先生に初めてお会いした時の先生の年齢に、今の僕はなっているわけです。
当時先生はすでに「交響曲第3番」を書かれていて、日本の作曲界は、末恐ろしい存在だと認めていたことでしょう。「日本音楽コンクール」などでは、先生のクライマックスの作法を模倣したオーケストラ作品が、いくつも現れました(僕もですが…)。そして名作「ピアノ協奏曲」…。

最後に、先生のご挨拶も頂きました。
―芸大に所属して50年以上になる。うち3年は芸高、4年は学部、2年は専攻科(まだ大学院が無かった)…生徒だったその9年は言わば「被害者」で、その後は一転、教官として「加害者」の立場(笑)。その自分がこうして被害者の方々から感謝されるなんて、おかしなこと。「感謝の集い」だなんて、とんでもない。こういう会をして頂くたびに、だんだん「しのぶ会」(笑)みたいな雰囲気になるが、見放さないで欲しい、これからもまだまだ頑張るので―
本当に!先生に「だめ出し」されればされるほど、学生は先生を敬愛するのです。これからもビシビシお願いします。
先生の「交響曲第5番」も楽しみにしてます!



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