池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

ウィンド・オケとメルカトル図法

2008-03-30 | 作曲/大編成

フルート・オケ作品を、ウィンド・オケのための「ストリームライン」に作り替えている。モノトーンでさえ色彩的だった原曲が、きっと虹色に変化するだろう。
どちらも管楽器のオーケストラだが盲点もある。フルート・オケをそのまま移し替えたのでは高音楽器に偏る。フルート・オケの場合は低音楽器にハンディがあり、強さや速さが欲しい場合は高音楽器に頼らざるを得なかった。また、モノトーンで色彩的なコントラストをつけるには、音域の変化で補うしかなかった。
しかしウィンド・オケでは発想を原点に戻し、全体のバランスが程良い中音域になるよう考え直す。それだけではまだ低音楽器に出番が少ないので、高音楽器の役割を低音楽器にワーキングシェアすることを試みる。なおかつ高音楽器の低音も、ささやき声のような魅力があり、活用したいところ。
原曲を抜粋し、凝縮させた。抜粋のために削除した内容に匹敵する比重が、短いつなぎの部分にも必要だと感じた。その結果、始めは単なるつなぐだけの役目だった箇所が、書き変えていくうちに徐々に重要さが増し、最終的にはそこが新たなクライマックスとなった。
音楽の「中身」として問われるもの、つまりその曲の結論が何か、という事…これが希薄だと聴いた後の充足感が無い。この曲は5分にも満たない。一瞬の油断、無駄な仕草が命取りになる。
音楽はパントマイム。パントマイムの中に間違った動きが入ったら意味は変わってしまう。短い曲は怖い。

炎の先端の様な箇所をピッコロに担わせたが、完成したスコアをプリントし、更にA3に拡大コピーし、製本せずに寝かせておいた。ピアノの練習中、ふとその場面が頭によぎり、「ピッコロ1本では弱いだろう」と、金管の咆哮にかき消され、聴こえないピッコロの、オーケストレーションの失敗の一瞬が浮かんだ。

金管の咆哮と張り合うには、木管はその数倍の人数が必要だ。また、木管は細かい動きが可能なこともあり、スコアは必然的に上半分の木管セクションに音が埋め尽くされる。
それでも木管が金管を圧倒する事は無く、ようやくそれほど多くない金管セクションとバランスを取ることが出来る。
という事は逆に、スコアの見かけ上のバランスを良くしようと木管と金管の音を配分したら、金管が鳴り過ぎることになる。
ましてスコアの上から下まで音で埋め尽くしたら、殆ど金管と打楽器しか聴こえない。いかにもブラスっぽい響きになるが、それでは折角何十人もいる木管が陰に隠れてしまう。
つまりスコアの見かけの印象と、実際の響きとの間にはギャップがある、という事だ。バランス良く響かせるには、スコアをアンバランスに書かねばならないのだ。
あたかも地球を平面図に投影した結果、高緯度の面積が異様に膨れ上がったメルカトル図法による世界地図のごとく。

しかし、芸術表現の真価は「バランスが取れていること」の遥か先にある。もうちょっとこの楽器の出番を増やせないか、と考えたが、やっとのことでほんの2小節増やせただけ。
「不均衡の均衡」と言えようか…全員主役では劇にならない。
試聴



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
オーケストレーションに関することですね。拙者に... (Amicizia)
2008-04-01 21:29:46
オーケストレーションに関することですね。拙者にはよくわかりませんがオーケストレーションとメルカルト図表のアナロジーというのは視点として面白いですね。
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Amiciziaさん、ご愛読ありがとうございます。 (I)
2008-04-01 22:55:45
Amiciziaさん、ご愛読ありがとうございます。
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