池田 悟≪作曲家≫のArabesque

・・・深くしなやかに・・・(音源リンクしてます)

Codaはこうだ!

2005-11-15 | 作曲/全般

春に開始した新作の大まかな全体像ができた。コンセプト…"Planetarium"とは対照的な曲。
しかし、対照的と感じさせるには共通するバックボーンがあってこそ。例えば、ヒトと小麦粉は対照的か(Apple to Orange)、なんて答えようが無い。
つまり、同じ人間でこうも違うのか、というような同一の基盤(Apple to Apple)が必要。

右手のピアノ曲"Planetarium"は、特徴ある曲だと思う。右手しか使わない事によって、独特の音響が作り出せた。制約が特徴を生んだ。これはひょっとして、他人には無い、僕だけの音か?
Individuality=個性。その確保に芸術家はその前半生を注ぐ。しかもそれが他人の真似ではない、というのは、だれもがこの域に辿り着けるものではない。
もしこれが僕の作曲のIndividuality なら、この音で、この語法で、いくつも書いてやろうか。
その先は中味のことだけ考えればよく、使い慣れた語法だから、母国語のように巧みに、豊かな感情表現もできる。
"Planetarium"の作曲語法はいやというほど自分の体に、頭に染み付いた。同じ語法、同じDNAで今度は性格の正反対の新作を書こう…

全体像ができた、と喜んでいたものの、実はまだ終わり方が尻切れトンボだと感じていた。
そんな夜、学生とプロによる気軽な室内楽のコンサートに招待され、聴きに行った。
仕事柄、演奏を聴くとなると一音たりとも聞き逃さず、採点し、どこが良くてどこが出来ていない、ということを相手の気分を害さないように伝えなくてはならない事が多く、一昨日も音楽教室のピアノコンクール本選の審査・講評をしたところだが…。
審査も講評もしなくて良い、というのはありがたいねえ!聴きたい時だけ聴き、ちょっと退屈したら聞き流し、瞑想にふける…これこそコンサートの贅沢な楽しみ方では無いか。

コンサートでは集中がそれた時、気がつくと往々にして自分の作曲の事を考えている。それはいつもの義務的なそれとは異なり自然発生的で、それがあるから僕はそれほど興味の無いコンサートへも行く。もちろん昨夜のソワレは興味を持って。
ソ・レ・ソ・レ、とチューニングが終わり…

チェロの柔らかな音にはびっくりした。鳴った瞬間、弱音器を付けているのかと思ったほど(クロアチアのザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者)。
でもいつしか瞑想が始まり、新作の尻切れトンボを解消するコーダのイメージが浮かんできた。
そのイメージをメモしようと紙を出し、プログラムを下敷きにした時、あっと息を呑むほど驚いたのは、自分が思い描いたイメージがプログラムの表紙のデザインと瓜二つだったから。
大小いくつかの円がシャボン玉のように並んでいる、というだけの変哲のないデザイン。いやはや!
(写真:尻尾が立派な訪問者…フォルムのお手本)



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