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sou16の物理学的な週末 ~sou16's Physical Weekends.

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北東インド遠征 第10日目

2024年11月10日 | 旅行

(以降、日本時間UTC+9.0h)

11:35、成田国際空港に到着。
これにてインド遠征が終わりました。
帰国して食べる出汁茶漬けは美味しい!


伝え聞く評判に恐れ慄いてこれまで避けてきたインドですが、
衛生状態についてはまさかの想像通りだったものの人々は非常に親切で、
噂に聞いたような詐欺やぼったくりは殆どありませんでした。
ただ、今回深く関わったのはヒンドゥー教を信仰する
所謂「インド人」ではない人達ばかりだったので、
この評価を広くインド全般に当てはめて良いかは悩むところです。
それはこの遠征で覚えた単語が
"Paya aro pacho"(アパタニ語で「ありがとう」)と
"Bistarai"(ネパール語で「ゆっくり」)だったのにも現れています。

その意味では、チベットとネパールにとても行ってみたくなりました。
特にネパールは料理も美味しくて興味をそそられます。
となれば、次はエベレスト遠征か…?


北東インド遠征 第9日目(書きかけ)

2024年11月09日 | 旅行

6:50、起床。
今日のDarjeeling(ダージリン)はガス気味です。
一昨日の午前が快晴で本当に良かったな…


朝食は優雅にホテルのレストランで頂きます。
遠き大英帝国の余韻を感じる。


さて、優雅なホテルを離れて喧騒の街に繰り出し、
今日も今日とてDarjeeling駅(ダージリン駅)へ。


ディーゼル機関車があっちへ行ったりこっちへ行ったり、
朝のDarjeeling駅は入換作業でてんやわんやです。


レッドカーペットの如く1番線への線路がクリアになったところで
真打ちの蒸気機関車がゆっくりと入線してきました。


Darjeelingの最終日はここへ来て漸く王道の
Darjeeling Himalayan Railway(ダージリン・ヒマラヤ鉄道、DHR)
Joyride(ジョイライド)に乗ります!
9:25発52594番列車Steam Joyride(スチーム・ジョイライド)に乗車。

Joyrideについておさらいしておくと、
New Jalpaiguri駅(ニュー・ジャルパイグリ駅、NJP)から
Darjeeling駅(DJ)まで全線乗り通すと時刻表上でも
登り(NJP→DJ、列車番号的には下り)で8時間30分、
下り(DJ→NJP、列車番号的には上り)でも7時間25分、
実際には渋滞や車両故障で更に時間が掛かると言う長大なDHRを
お手軽に楽しめるように設定された観光客用の列車で、
Darjeeling駅からGhum駅(グーム駅)までの1区間だけを走ります。


蒸気機関車はバック運転させるんですね。
確かに、New Jalpaiguriまでの全線を走るのなら
坂の下から押す形になるこの連結方法で然るべきですが、
Ghumまでだとこちら側は寧ろ坂の上になってしまうはず…
全線を走るのと同じ雰囲気を出す為?
いや、単に転車台が無いのかな。


単に運転区間が短いだけかと思いきや、
車両もちゃんと観光向けに展望車になっています。
天井には煤が降るのであまり綺麗には見えませんが。


出発から10分かそこらで給水の為に止まってしまいました。
何故出発前に給水しておかずに
こんな公共の往来を妨害する場所で長時間停車するのか。
乗客に蒸気機関車ならではの風情を体験してもらう為…?
しかも、前の車両だから給水だと分かるけど、
後ろの車両だと何で止まっているのかさえ分からないのでは。


給水が終わったらしく5分程で動き出しました。


が、その後もちょくちょく停車しては
その度に機関士が降りて何やら機関車に手を加えています。
この有様で8時間以上も走ることを思うと、
Joy Rideを設定する動機も確かに分かる…


天井が透けているのでBatasia Loop(バタシアループ)も
下から路盤を見ることが出来ます。
出来たから何だと言われても困りますが。


Batasia Loopで15分間停車。
快晴ならKanchenjunga(カンチェンジュンガ)も見えますが、
今日は雲がかかっていてその周辺の雪山しか見えません。
土産物の露天商が所狭しと連なっていますね。


停車している間も火を絶やす訳にはいきません。
こういうのを見ると、
ディーゼル機関車や電気機関車って画期的な発明だったんだな…


良く見たらボイラーの上に何やら神様の写真が飾ってあります。
有識者のOMさん曰くチベット仏教のラマではないかとのこと。
やっぱりDarjeelingはネパール文化圏なんですね。


いつの間にかディーゼル機関車牽引のJoy Rideが後ろに付けていました。
Joy Rideは蒸気機関車牽引の列車が出た10分後に
必ずディーゼル機関車牽引の列車が後続する設定になっています。
蒸気機関車は給水やら不具合やらでしょっちゅう停まるので、
実際には追い付かれてしまうようですね。


Batasia Loopでの観光停車を終えて再出発。
が、勾配がキツくなってきたのかどんどん減速して
遂には立ち往生してしまいました。
えっ、これどうするの?


と思っていたら、後ろから突くような衝撃があり、
振り向いたら何と後続のディーゼル機関車牽引の列車が連結していて
推進運転を始めました。
この為の連続運転だったのか!
何というゴリ押し。

 

 

(以下、メモ書きネタバレ注意)

こんなこともあろうかと奥の手を用意しておいたのさ!
5年間でソールが擦り減りまくったトレッキングシューズを捨てて
受託手荷物14.8kg、持込荷物6.7kgに抑えることに成功!

 

[画像]
搭乗口もまた大混雑です。
この大きさの旅客ターミナルで捌ける限界を攻めているのだろうか。
自動車交通もそうだけど、安全率を増した方が良いと思いますよ。

[画像]
18:20発IX1154便に搭乗。

[画像]
機内食は出ないだろうと考えていましたが、
何故か機内食付きのクラスとして登録されていたようです。
ただ、既にMomoを食べていたのと、
あまりにも辛過ぎる味付けで殆ど食べられませんでした。

[画像]
21:25、Indira Gandhi国際空港(インディラ・ガンディー国際空港)に到着。
着陸から搭乗ゲート到着まで20分も掛かるという巨大空港。
インドの首都New Delhi(ニューデリー)の空の玄関口です。
ちなみに、ガンディーはガンディーでも
助走を付けて殴る非暴力非服従の方のガンディー
(Mahatma Gandhi、マハトマ・ガンディー)ではなく、
インドの第5・8代大統領を務めて
第三次印パ戦争やブルースター作戦を執り仕切った
ゴリゴリの武闘派のIndira Gandhi(インディラ・ガンディー)です。
ちなみに女性です。

 

[画像]
もう追加で観光する時間も体力も残されていないので、
ここは乗り継ぎをするのみです。
この広さ、Bagdogra空港に分けてあげたい。


0:15発AI306便に乗り継ぎ。
日本へ帰ります。


北東インド遠征 第4日目(書きかけ)

2024年11月04日 | 旅行


7:23、起床。
残念ながら今日のKanchenjunga(カンチェンジュンガ)は
雲の奥に隠れてしまっていました。


9:00発の列車を予約しているので、
朝食を終えたらDarjeeling駅(ダージリン駅)に向かいます。
Googleマップによれば直線的に下りていく道があるはずですが…


どう見てもジグザグに下りていく裏道しかありません。
Googleマップは概してインドでの精度が低過ぎる。


地元の人達に道を尋ねながら何とかDarjeeling駅に到着。
世界文化遺産のDarjeeling Himalayan Railway
(ダージリン・ヒマラヤ鉄道、DHR)です!


DHRの観光と言うとDarjeeling駅から1駅だけ往復する
Joy Ride(ジョイライド)というお試し乗車が一般的ですが、
乗り鉄としてそんなお遊びだけで満足する訳にはいきません。


乗るのならば当然ローカル列車です。
地滑りでNew Jalpaiguri(ニュージャルパイグリ)-
Kurseong(カルシャン)間は長期運休中ですが、
言い換えるとKurseong - Darjeeling間は今も運行中です。
9:00発02540列車Darjeeling Kurseong Special Train
(ダージリン・カルシャン特別列車)、
別名DJ KGN SLIP TRN(ダージリン・カルシャン地滑り列車)に乗車。


軌間610mmという立山砂防軌道(2015/7/29)と同じナローゲージながら
車内は思ったより広々した印象です。
車両限界は存外大きいんですね。
それでも、世界一広いインド軌間1,676mmと比べると
かなり狭く感じるのでしょうが。
席は8割方埋まっていますが、
ルーマニア人観光客が1人居た他は地元民ばかりでした。


車道と住宅街の両方からギチギチに詰められて
610mmでも全く余地の無いDHRの軌道。
まるで路面電車ですね。


急カーブなどでは曲率半径を確保する為に
車道の中央まで大きく迫り出してカーブを描いています。
…と言うと、DHRが車道に迷惑を掛けているような物言いですが、
実のところは元々この地に車道は疎か民家も殆ど無く、
DHRが開通したことによって周囲の開発が急激に進んで
オリジナルのDHRが飲み込まれる形になってしまったのです。


しかし、そんな中で1ヶ所だけ、
DHRが車道とはまるで異なる経路を辿っている場所があります。


それがこのBatasia Loop(バタシアループ)です。
Kurseong - Darjeeling間で最もキツい勾配を克服する為に
ループ線が設けられた箇所で、
天気によってはKanchenjungaも見える景勝地です。
Joy Rideだと一時停車しますが、
この列車はローカル列車なので素通りします。


Batasia Loopを越えると再び建物が迫ります。
手を伸ばせば軒先のスナック菓子を取れそうな勢いです。
ワンチャン買えるんだろうか。


9:31、Ghum駅(グーム駅)に到着。
Joy Rideだとここが終着駅です。


数分停車するとのことで少し外に出ることが許されました。
数十時間走り続ける夜行列車ならともかく、
こんな短距離のローカル列車でも途中駅で外に出られるんですね。


定時を待たず1分前に出発。
ここから先は今乗っているこの列車とその折り返し列車、
1日1往復しか列車が走っていない過疎区間です。


ふと後ろを見ると、
車掌っぽいおじさんが緑旗を掲げていました。
緑旗と言えば走行可能(Aライ所持者並みの発想)
もしかして本当にレース旗から取っているんですかね?
だとしたら、危ない時は黄旗を掲げるのかな?


Ghum駅から少し走ると街を外れて森林地帯を走るようになります。
Darjeeling - Ghum間にこういう区間は無かったので新鮮です。

 

 

(以降、メモ書きネタバレ注意)

Tung駅(トゥン駅)は通過してしまいました。

 


Black Tea Ff1(紅茶FF1グレード、図中左)と
Bai Mu Dan White(白牡丹白茶、図中右)。
Black TeaはDarjeelingらしく苦味や渋みは殆ど無く、
仄かな香ばしさを感じるお味。
Bai Mu Dan Whiteはジャスミン茶のような爽やかな香り。


食後に来たこちらがOolong Tea(烏龍茶)。
勿論Darjeeling産の茶葉を発酵させて作られています。
これもまた鼻に烏龍茶の香りが抜けるものの
烏龍茶っぽい苦味などは殆ど無くあっさりとした風味です。
Darjeelingの紅茶は和紅茶と似た雰囲気なのでしょうか。


北東インド遠征 第3日目(書きかけ)

2024年11月03日 | 旅行


7:12、起床。
紅茶で有名なAssam(アッサム州)を走っています。
案の定遅延しているようですね。
意を決して便所に行ってみましたが、
思ったよりは希望がありました。
便所の前のびしょ濡れになった床に
何の躊躇も無く横になって寝ている人が居たのには驚きましたが。
人間って強いんだな…


10:19、New Jalpaiguri駅(ニュー・ジャルパイグリ駅)に到着。


Jalpaiguri(ジャルパイグリ)から50km近く離れて
どちらかと言えばSiliguri(シリグリ)と言った方が良い位置。
Kolkata(コルカタ)ほどではありませんが中々に蒸し暑いです。


ここは紅茶の中継地として栄えた街。
インドの紅茶…
そう!Darjeeling Tea(ダージリンティー)です!

 

 

(以下、メモ書きネタバレ注意)

 

中高生のお弁当みたいな茶色さの卓。
Chicken Bharta(チキンバルタ)が辛さ控えめで一番好きでした。


北東インド遠征 第1日目(書きかけ)

2024年11月01日 | 旅行


3:10発6E1632便に搭乗。

(以降、インド標準時UTC+5.5h)


4:27、Netaji Subhash Chandra Bose国際空港
(ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港)に到着。
物理学を専攻した身としてはChandrasekhar(チャンドラセカール)と
Bose(ボース)の2人を合わせたような名前に見えて
量子効果が効きまくる超高密度物体を想像してしまいますが、
これは勿論英国支配下でインド独立活動に奔走した
Subhash Chandra Bose(スバス・チャンドラ・ボース)の名です。


やって来ましたKolkata(コルカタ)。
そう!今回の遠征先はインド共和国です!
それこそベトナムやカンボジアでの痛い経験以来、
衛生状態のヤバさも客引きのウザさもそれ以上と悪名高いインドは
どうしても気乗りせず後回しにしてしまっていました。
それでも、いつかは通らなければならない国…
と意を決してやって来たのです。
まあ、決してそんな義務感だけで来た訳ではありませんが。


インドは目下Diwali(ディワリ)という
別名「光の祭り」とも呼ばれるヒンドゥー教のお祭りの最中で、
ATMまでギラギラに電飾で飾り付けされています。
パチンコ台みたいになっておる。


山のやの字も無いKolkataは例によって乗継地です。
8時間ほど乗継時間があるので、市街地に出てみます。
何で国際空港なのにこんな数の野犬が屯しているんですかね…


うーん、インド!
近年発展著しいと良く言われるので
インドも綺麗になったんだね〜
となるかと思いきや、雑然としたインドのイメージど真ん中です。


ITに強い人材を大勢輩出して今特に勢いのある国と言われながら
何十年も前のイメージから微塵も変化が無いとはどういうこと?
以前はもっと凄かったってことなのか?
アフリカの国であっても大都市であれば
「余所向き」の小綺麗な地区の一つや二つあるものですが、
Delhi(デリー)、Mumbai(ムンバイ)に次ぐ
インド第3の大都市であるにも関わらず、
そういった小綺麗な地区は全く見当たりません。


Sealdah駅(シアルダー駅)に到着。
Kolkataの近郊列車のターミナル駅です。
Kolkata自体の混雑がヤバいのにそのターミナル駅ともなれば…


そこはもう混沌の一言です。
写真では伝わらない点として何処からかゴミの臭いが…
そして、どう贔屓目に見ても清潔ではない床に
座り込んだり寝そべったりしている人の何と多いこと。
というか、これは駅構内だけではなくて
何なら幹線道路の中央分離帯でも寝ている人が複数人居たりしたので、
それに比べれば大分マシ…なのでしょうか。


インドと言えば屋根まで人が溢れる列車の写真が有名ですが、
流石に今はそこまでの乗車率ではないようです。
それでも扉が外されて飛び乗り、飛び降りや
はみ出し乗車が可能になっていますが。


ベトナムを経ってから何も食べておらずお腹が空いたので、
駅の食堂で朝食にDosa(ドーサ)とLassi(ラッシー)を頂きます。
Dosaは何よりもクレープに近い薄い生地で、
ちょっとした酸味があるのと、辛い具が巻いてあるのとで
インジェラを思い起こさせる料理です。
パリパリ食感ときちんと食べ物然とした見た目で
インジェラよりは大分初心者にも優しいですが。
Lassiは王道の美味しさです。
氷も混ざってシェイクされているのが衛生的に気掛かりだけど…


さて、Kolkata市内の観光地も少し巡りたいので
Uberで車を呼んでみます。
乗降場所は地図に拠るとこちらのはず…


何処だ…?
っていうか、この通りって治安的に大丈夫なのか…?
今のところ、タクシーの客引きを除けば
絡んでくる輩は全く居ないけど…


結局、ちょっと戻って駅前の駐車場で乗車出来ました。
Uberの地図の精度が宜しくないような…
まあ、拾えたので良しとします。


ところで、インドの車、特に大型車は後方に
"Follow The Traffic Rules"(交通規則に従え)とか、
"Safe Drive Save Life"(安全運転が命を守る)とか、
交通安全標語みたいなものを書いている車がやけに多いんですね。
それはつまり交通規則が全然守られていない現状の裏返しです。
あまりに車間距離が狭い。
メートル単位じゃなくて数cm単位で詰めていく姿勢。
他にも信号無視とか速度超過とか色々ありますが、
車間距離が強烈過ぎて霞みます。


どういう訳か事故らずに到着しました、
Kalighat Mandir(カーリー寺院)です。
血と争いを好む戦いの女神Kali(カーリー)を祀っているので
毎日のようにヤギを生贄に捧げているとか。


寺院の中なら外とは違って厳かな雰囲気
かとほんの少しだけ期待していましたが、
勿論そんなことはなくて外と同じ人口密度と騒音レベルでした。
中心部は土足禁止だったのが辛かった。
なお、中は撮影禁止です。


日が昇って皆が活動する時間になってくると
渋滞が激しくなる恐れがあるので、
そろそろ切り上げてSealdah駅に戻ります。
この屋根としてしか使われていない歩道橋は何なんだ…


道すがら見付けた何ともインディアンな屋台。
眉間に塗る用の顔料が売られていました。
こういう感じで売られているんだ…


明らかに人も車も増えたSealdah駅に戻ってきました。
まだ増える余地があったのか…
この混雑ではUberを呼んでも辿り着けなさそうなので、
仕方無く寄ってくる客引きに競争入札させて
空港までのタクシーを探します。


経験を活かして言い値1,000INRを600INRまで値切れました。
白いタクシーには"AC TAXI"と書かれているのでエアコン付きで快適
何てことはありませんでしたが。
"AC"を「千客万来」みたいな験担ぎの言葉だと思ってない?


どうにかNetaji Subhash Chandra Bose国際空港に戻ってきました。
良く見たら天井に梵字のような何かが描かれていますね。


ここからインドのLCCで国内移動します。
12:45発6E6749便に搭乗。


タラップに書かれている"Kashmir to Kannur"
(カシミールからカンヌールまで)というキャッチコピーは、
「国の端から端まで」という意味合いなのでしょうか?
地図で見ると東部が無視されているようにも思えるけど…


我々が向かうのは正にその「無視された」東部です。


13:57、Donyi Polo空港(ドニーイ・ポロ空港)に到着。


第一目的地、Itanagar, Arunachal Pradesh
(アルナーチャル・プラデーシュ州イタナガル)に到着です!
…と地名を聞いてもピンと来る人は100人に1人も居ないでしょう。
Arunachal Pradeshはインドの北東端に位置し、
ブータン、バングラデシュ、ミャンマーに挟まれた
通称Seven Sisters(七姉妹)と呼ばれる北東部7州の中でも
最も秘境であるとの呼び声が高い州です。


国境地帯でしかも中国と領土争いをしているということで
外国人が入境するにはProtected Area Permission
(保護地域入域許可証)、通称PAPと呼ばれる書類が必要です。
時間短縮の為に現地の旅行会社に頼んで
PAPを代理申請してもらったのですが、
4人中1人はパスポート番号を間違えられ、
4人中2人はインドビザの有効期限を間違えられ、
4人中3人はパスポートの有効期限を間違えられるという、
あまりにもガバガバな運用で準備段階から大いにインドを感じたものです。
そういうところだぞ。

 

(以降メモ書き、ネタバレ注意)

 

 

ガイドさんはAdi Minyong(アディ族)

 

Donyi Poloの礼拝所

毎週日曜にお祈り

左下が太陽と月の神でメイン

中央はガラスになっていて外光を取り入れる

土着信仰と仏教、キリスト教が混ざったような


ホテルのチェックインの際にはPAPの提出を求められました。