登山部の常として、どうしても冬期は活動が休止しがちです。
勿論、冬山をやるレベルの強豪なら話は別ですが、
会社の登山部となるとそこまで遭難リスクを高めるのは…
しかし、冬でも登山をしたいというやる気ある部員が
雪の積もっていない丹沢の低山企画を出してくれたので参加します。
谷峨駅から見覚えしかない跨道橋を渡って登山口に向かいます。
どう見ても住宅街の路地にしか見えないここが
大野山の登山口です。
この集落の住民は登りたい放題ですね。
To be continued.
登山部の常として、どうしても冬期は活動が休止しがちです。
勿論、冬山をやるレベルの強豪なら話は別ですが、
会社の登山部となるとそこまで遭難リスクを高めるのは…
しかし、冬でも登山をしたいというやる気ある部員が
雪の積もっていない丹沢の低山企画を出してくれたので参加します。
谷峨駅から見覚えしかない跨道橋を渡って登山口に向かいます。
どう見ても住宅街の路地にしか見えないここが
大野山の登山口です。
この集落の住民は登りたい放題ですね。
To be continued.
4:30、起床。
昨夜は結構風が吹いていましたが、
小屋という安心感で熟睡出来ました。
ランタンでもあればより良かったかなとは思いましたが。
凍り付きそうな温度まで冷えていますが、
手早くお湯を沸かして朝食にします。
まだ夜も明けない5:49に出発。
シュラフなどは小屋にデポして少しでも軽量化を図ります。
小無間小屋に泊まったとはいえ今日のコースタイムは10時間40分。
対して今日の日長は6:30から16:38までの10時間8分。
つまり、日の出前に出発した上で標準より巻いて
休憩込みでなお休憩抜きの標準コースタイムと
同じタイムを叩き出せなければ下山前に日が沈みます。
ただでさえルートファインディングの難しいこの山で日没を迎えるのは
殆ど遭難を意味するでしょう。
それは避けなければなりません。
ならもっと早く出ろよと言われそうですが、
そうなると真っ暗な中で危険地帯を歩く羽目になり
尚のこと危険度が増します。
ギリギリのラインを攻めた結論がこれです。
まずはP4からP1に向かって鋸歯と呼ばれる4つのピークをなぞります。
鋸歯と名付けられるだけあって急登と急降の連続です。
両側は切れ落ちていて巻道も無いので、
愚直に4つのピーク全てを踏む必要があります。
ここの時点で結構荒れているな…
山と高原地図では小無間小屋からP1まで破線コース(難路)扱い。
剱岳別山尾根(2020/9/20-21)は勿論のこと大キレットでさえ実線なので、
破線がどれくらいの扱いかと言うと
表妙義縦走(2019/11/3)や二子山上級者コース(2022/11/12)くらいです。
あちらはルートは明確で純粋な岩登りの難しさだったけど、
こちらはルートが不明瞭ですぐ変な場所に入り込んでしまう…
どうも間違えてトラバースしてしまっているみたいだから
木に頼って多少強引にでも稜線に戻
(バキッ
…生きてる?
それなりに太い幹だったので信頼して体重を掛けたら
立ち枯れていたのか砕けてしまいました。
本当に死ぬかと思った…
心拍数に反比例してテンションはだだ下がりですが、
ここまでは前座も前座。
P1を過ぎるといよいよ
山と高原地図からは存在を抹消されてしまった
大無間山最大の難所に立ち向かいます。
現れたな…大崩壊地!
山を丸ごと削らんとする数百mの高さの大崩壊。
崩壊の多い南アルプスの中でも類稀な規模です。
崩壊で胸元にナイフを突き付けられているかのようなこの山が
大無間山の前衛、小無間山です。
崩壊も然ることながら勾配がヤバい。
あそこを登れるのか…?
崩壊の際を歩きながら小無間山に躙り寄ります。
際を歩くだけで済むならまだ良いのですが…
これが大無間山の名を轟かせる最大の難所、
鞍部のナイフリッジです!
何と稜線が完全に崩壊に呑み込まれてしまっています。
何故こんな場所が登山道として指定された(されていた)のか?
昭和51年10月に国土地理院によって撮影された航空写真がこちら。
これを見ると南北から崩壊地が迫ってはきているものの
稜線には木が生えており、
辛うじて持ち堪えていることが分かります。
この時はまだP4〜P1までと然程変わらない道だったのでしょう。
一方、Googleマップにある最新の航空写真がこちら。
拡大を続けた南北の崩壊地が遂に合流し、
稜線が呑み込まれている様子が見て取れます。
合流したと言っても現段階ではギリギリ接している程度で
本当に呑み込まれているのはほんの10mちょっとですが…
たかが10m、されど10m。
どちらに転けても200m以上の滑落が必至のこの死地は
まともな神経をしていたらとても渡れません。
平均台と表現されることもあるけど、
平均台ならせめて水平であってくれ…
鞍部で合流した南北両崩壊地は衰えを見せず
小無間山山頂に向かって成長を続けており、
最後の数mは突き上げるような急登
というか岩壁になっています。
そして、この大崩壊地で最も手強いのが山体の脆さ。
だからこそ大崩壊が生じている訳で当然と言えば当然ですが、
何一つとして安定している構造物がありません。
どんなに大きな岩であっても体重をかけると僅かに動くのを感じます。
まるで巨大な砂山の上を歩いているかのようです。
妙義山にせよ二子山にせよ、地形自体はガッチリとしていて
岩をしっかり掴んでいれば落ちないという
山に対するある種の信頼のようなものがありました。
それがここには一切無いのです。
右側の北側崩壊地からは断続的にパラパラと
石の落下していく音が聞こえてきます。
これはつまり、体重をかけるとかそれ以前の問題で
何もしなくても自壊していくほど脆いということを意味しています。
…ぐだぐだと御託を並べていても仕方無い!
行くぞ!
3本ほど残置ロープもありますが、
何処の誰が渡したとも知れない細い紐に身体を預けるのは…
うおっ!ロープがザックに引っ掛かった!
馬鹿にして悪かった!離してくれ!
どうにかこうにか大崩壊地を抜けて
まだ草木の生えている箇所まで辿り着きました。
死ぬかと思った…
で、ザレ場を抜けたは良いけど、
何処が登山コースなんですかね…
P1から壁のように見えていた通り、ここまでで一番の超急斜面です。
木や岩を掴んで攀じ登る…
しかないのですが、先程のバキッもありおっかなびっくりです。
後ろを振り返ると富士山が聳えていました。
随一の展望です。
何故こんなにも展望が良いのかと言えば
勿論大崩壊地の際に立っているからですね。
深南部に於いて「もっと展望が効けばなぁ」と言うのは、
「もっと崩壊していたらなぁ」と言うのと同義です。
比較的温情が掛けられてきました(当山比)
ここまで来れば大分ルートファインディングが難しくて
大分急登が大変なだけの普通の山ですね。
7:42、小無間山(標高2,150m)に登頂!
展望は一切ありません。
それが却って平和で嬉しい。
下の錆び付いた標識には微かに「大井川鉄道」の文字が見えます。
嘗ては大無間山登山が大井川鐵道沿線の観光資源として
捉えられていた時代があったのでしょうか。
小無間山からはここまでの激登が嘘のように
広々穏やかな稜線歩きになります。
あの死闘を繰り広げた後だとまるで天国です。
この楽園を独り占め出来るなんて…
好きになってしまいそう。
暴力を振るった後に優しくするDV配偶者に沼る思考かな。
ただ、こういう広い稜線は道迷いしやすいので
気を抜き過ぎないように気を付けます。
上の航空写真でも存在感を発揮していた唐松谷の頭の崩壊地から
漸く大無間山の姿が見えました!
え?何処かって?
ここです。
何か遠くない?と思うその感覚はその通りで、
小無間山から大無間山は往復7km、
標準コースタイム4時間の道程があるのです。
もし小無間山と大無間山の山名が逆だったとしたら、
わざわざ向こうまで往復する人は殆ど居なかったでしょう。
小無間山-大無間山間の地形は至って穏やかなものの、
ここまでの難所で時間を浪費していると
時間切れで泣く泣く引き返す破目になりかねないという、
ここがまた大無間山のいやらしいポイントです。
幸いP1から小無間山であまり時間をロスしなかったので、
血涙を流して撤退することにはならなさそうです。
キビキビ進んでいきます。
8:25、関ノ沢ノ頭とも呼ばれる中無間山山頂(標高2,109m)を通過。
これまた殊の外展望の無い山頂です。
実はここ要注意地点で、道なりに進もうとすると
北東方向のあらぬ尾根筋へと迷い込んでしまいます。
正しいルートは左手前へ折り返すこと。
迷い込み防止のトラロープは張られていますが折り返し先が分かり難く、
よりによって眺望が効かず大無間山の方角を確かめ難いこの場所で
トリッキーな方向転換を強いられるのは罠以外の何物でもありません。
あと迷い易いとされているのがここの二重稜線なのですが、
ここはここぞとばかりに赤テープがあるので
よっぽど漫然と歩いていなければ大丈夫です。
漫然と歩いていたらここへ辿り着く前に遭難しているだろうしな…
大無間山へ向けて最後の登りを詰めていると
大崩壊地以来の富士山が見えました。
標高2,250m付近で展望の開けていそうな地点がありました。
ここが噂に聞く山頂直前にある唯一の展望地かな?
さてどんな眺めg うおっ!?
遮る物が無く吹き曝しになっているからなのか
木の根が凍り付いていて滑りました。
展望に気を取られた登山者の足元を確実に掬いに来る狡猾さ…
ここは登山口から山頂までの長い道程の中で
ほんの数ヶ所しかない貴重な展望地にも関わらず
何故か何の名前も付けられていない場所なのですが、
危うくsou16転がしみたいな名前が付けられるところでした(自意識過剰)
ここは全行程中唯一北側の展望が開ける場所で、
聖岳から赤石岳、荒川岳(2023/9/17-19)までの
3,000m級の山々を遠望することが出来ます。
向こうは雪化粧していますね。
大無間山もあと10日くらいで冠雪でしょうか。
山頂直前に慰霊碑がありました。
昭和40年に道迷いして三隅池小屋に辿り着けず凍死してしまったそうです。
大崩壊地での滑落じゃないんですね。
いや、あそこで死者が出ていたら登山道が厳重に閉鎖されるか…
ところで三隅池って大無間山から45分歩いた所なのですが、
60年前にはそこにも小屋があったんですね。
そこを宿泊地に出来れば1日目8時間45分、2日目7時間15分と
負荷を良い感じに分割出来たのに…
おや…?
急に地形がなだらかになってきたぞ…?
ということは…!
9:25、遂に大無間山(標高2,329m)登頂です!!
日本二百名山最難関の一つと呼ばれるこの山、
メインルートが完全に通行不能になる前に登頂出来て感無量です。
遠かった…
話に聞いていた通り、
一等三角点がある他は展望の一切無い山頂です。
三角点マニアはここまで登ってくるんですかね?
何故かブルーシートやポリタンクも打ち捨てられていました。
昔は四阿か何かがあったのでしょうか?
でも、四阿にブルーシートやポリタンクなんて要るかな…
古い看板(火気厳禁?)とみかん缶の残骸も。
それこそ昭和40年とかの品でしょうか?
嘗て深南部にも賑わっていた時期があったのかな…
今はただただ静かです。
鳥の鳴き声や風の吹く音すら聞こえてきません。
この静寂を独り噛み締める…
良い時間だなぁ…
昨夜の小無間小屋での一夜もそうでしたが、
現実・仮想共に数え切れない程の人間との交流をする現代社会に於いて
こういう本物の一人の時間というのは贅沢なものですね。
展望が一切無いのも、
却って一人の時間を満喫するのには向いているのかも知れません。
もっとじっくりどっぷりと深南部に浸っていたいのは山々ですが、
何度も言う通りコースタイムが長いので
休憩は程々にして下山を始めます。
昨日の分も含めた全行程を回収しないといけない訳だからな…
唐松谷の頭付近で単独行の登山者とすれ違いました。
人間が居ると思わなくて変な声が出てしまった。
そして、これが今日すれ違った唯一無二の登山者でした。
愛すべき平和な稜線は小無間山で終了し、
再び死地へと突入します。
あの平和なまま下山出来たらどれだけ良かったことか…
でも、そうだとしたら大無間山が有名になることは無かったし、
多分日本二百名山にはかすりもしなかったんだろうな。
うおお!おかしいだろ傾斜が!
地面が脆過ぎるんだけど赤テープは何処だよ!
…まさか間違った方向に下ってしまったとかないよな?
だとしたらこの斜度で登り返すのは相当に困難だぞ…
トラバースして走査したら何とか赤テープを見付けました。
良かった…
と同時に、これが正規ルートであることに驚きを禁じ得ない。
久々の大展望。
いよいよ来る…あの大崩壊地が…!
往路は無理矢理登ってしまったけど、
もし恐怖心が勝って下れなかったとしたら…?
長考するほどに恐怖心から脚が震えてくるから、
恐怖が頭の中で輪郭を得てしまう前に通過せねば!
おや…?
こちら側から見ると思ったより大したことない傾斜なのか…?
良し…行ける…!
行くぞおぉぉ!
下り傾斜の所為で四つん這いになることすら許されず、
尻をついた情けない格好になりながら何とか渡り切りました。
後から写真を見返したら上から見ても大した傾斜だったので、
この時は感覚が麻痺していたのでしょう。
そうでも無いとここは通過出来ないよな…
一番の難所大崩壊地は抜けましたが、
まだまだ登山口は遥か彼方です。
気疲れした身体の残り少ない体力を
鋸歯の登り返しがゴリゴリ削ってきます。
愛しの小無間小屋まで戻ってきました。
もう1泊してしまいたい衝動に駆られますが、
デポした荷物を回収して下山を続けます。
うー、落ち葉が積もったザレ場はルートが分かり難い上に
凄く滑り易くて苦手なんだよな…
傾斜も滅茶苦茶急だし…
ここで気を抜いて滑落したら洒落にならないので慎重に行きます。
急斜面を九十九折で無理矢理下っていきます。
IT(元・旭丘高)が苦手そうなトラバースの連続だ。
急ぎ足で下っていたら意外とコースタイムより巻けたので、
行きは素通りしていたこの廃屋をちょっとだけ覗いてみます。
ここを使っていた会社の名前とか分からないかなー
と思ったのですが、
何故かヘルメットにも社章などの類は一切無く分かりませんでした。
送電鉄塔を過ぎてもう後少し!
というところで暗い樹林帯に突入して盛大に道迷いしました。
中部電力関係者も通るはずなのにあまりにも道が分かり難過ぎる。
植林密度が高過ぎて赤テープが全然見付けられないので
足元の地面の固さで登山道かどうか判断しないといけません
(登山道なら踏み固められているので周囲よりも固い)。
という訳で、15:00丁度に下山しました!
何だかんだで9時間ちょっとに抑えられましたね。
無事下山出来たので諏訪神社にお礼参りしておきます。
人気は全くありませんが立派な神社ですね。
参詣を終えて境内から出ると、
ブロック塀沿いに登山者用臨時駐車場が設けられているのに
今更気が付きました。
ここにお知らせ看板を立てられても分からないだろ…
せめて下のてしゃまんくの里とかに立ててくれないと…
地理院地図上に図示するとこんな感じです。
その道は誰が通れるんだよという激ヤバ廃道でも掲載している
地理院地図すら追えていない道に駐車場があるとは…
徹頭徹尾不親切の塊みたいな山ですね。
この後はすぐ近くにある田代温泉に浸かってから、
山道を延々走って大井川沿いの抜里集落にある宿に向かいました。
南アルプス深南部。
嘗ては豊富な森林資源を求めて数多の林業者が分け入ったものの、
日本の林業の衰退と命運を共にして
道という道が荒れ果て太古の姿へと還りつつある山域。
まともな登山道が付けられている山は稀で、
殆どの山が大なり小なりバリエーションルートを強いられます。
そんな訳で日本百名山には唯の一座も選ばれていませんが、
日本二百名山になら選出されている山があります。
鷹揚たるその山容を昔の人は眉間に喩え、
後に終わり無い急登を強いられる様を
無間地獄に準えられるようになった山、
それが大無間山――
僕は今日から三連休です。
漸く木々も色付いてきたので紅葉狩りといきたいところ。
しかし、今年はインバウンド需要の高まりもあって
何処も彼処も大混雑で宿泊費は青天井です。
それなら空いていそうな山にでも登ろうかな…
と考えて思い至ったのが大無間山でした。
ただ、さしもの僕でも思い付いて即断とはいかないのが大無間山。
日本二百名山最難関の一つとの呼び声も高い山で
本当に単独行で行って良いものか結構悩みました。
まず、障壁その1がアクセスの悪さ。
登山口までの道がとにかく走り難い上に遠い。
まあ、これは大無間山に限らず南アルプス全般に言えることですし、
何なら自家用車の乗り入れが禁止されていたり(2023/9/17-19)、
アクセス路の林道が崩壊したりしていないだけ
大無間山は相対的にマシな部類ではありますが。
登山口のある田代集落に到着。
てしゃまんくの里という名の公衆トイレと
打ち棄てられた野菜の無人販売所の駐車場が
嘗ては登山者用駐車場も兼ねていたのですが、
近隣住民とトラブルでもあったのか今は長時間駐車禁止です。
Googleマップにも載っていない(地理院地図には載っている)
林道田代線に入ります。
また細いな…
何処が駐車場なのか良く分からないので、
地理院地図で車道の終点として描かれているカーブに停めます
(が、後程本当の駐車場がここではないことが判明したので
下山時に解説します)。
てしゃまんくの里よりちょっとだけ標高が稼げましたね。
今日は行程が短いので11時過ぎに登山開始です。
林道脇の階段から入山します。
静岡市からの警告が貼られていますね。
大無間山の障壁その2、登山道の崩壊です。
この真髄を見るのは明日になりますが…
何故かちょっと登ったところに登山届のポストがありました。
オンラインでも提出済みですが、一応こちらにも出しておきます。
ここにも駄目押しの警告が。
この田代からのルートが大無間山のメインルートではあるのですが、
ここに書かれている崩壊地の崩壊が年々進んでいて
通行不能扱いにしているガイド本も増えています。
ネット上の山行記録を確認する限り行けると思うけど…
最悪無理なら撤退も覚悟の上です。
ポストのすぐ側に鳥居もあったので、
登山の無事を祈願しておきます。
では、気を取り直して本格的に登山開始!
いきなり気が触れたような急登です。
大無間山の障壁その3、最初のピークに至るまでの
平均勾配33%の情け容赦無い急登です。
そしてその辛さに拍車をかけるのが
障壁その4 有人小屋の不在と障壁その5 水場の欠如。
宿泊に用いる装備と食料は勿論のこと、
山行中に使う水も全て外界から担ぎ上げねばならないのです。
それもこの急登に抗って。
ザックの重量はシンガリーラ国立公園の時(2024/11/5-8)の
倍を超える16.8kgです。
畑薙第一発電所ほか大井川上流にある水力発電所の
電気を送り届ける畑一川根線の送電鉄塔が登山道を横切ります。
中部電力もこの登山道を使って巡視するんだろうな…
ここから先は基本的に林業か登山を目的とする人しか立ち入りません。
木に青いビニール紐がグルグル巻きにされているのがちょっと不気味。
鹿による食害を防ぐ為だそうです。
少し勾配が緩くなる雷段で大島沢に沿う尾根に取り付きます。
この辺りから沢の音が聞こえるようになりました。
雷段は明るい開けた雰囲気で、陽光が射し込んで紅葉も綺麗です。
と、紅葉に気を取られていたら足元も取られました。
地面にワイヤーが転がっています。
林業で使っていたものでしょうか?
造林小屋の廃屋もありました。
大島沢側に大きく開けた場所なので、
ここから索道を大島沢に引っ張ったのでしょうか?
大無間山は大変な苦労を強いられる割に
樹林帯続きでまるで眺望が得られないと良く言われますが、
幾分落葉したからか思ったより明るい雰囲気のある道です。
大無間山は夏だと暑くてただでさえ重い水の消費量が増えるのと、
蛭も出るので秋をオススメします
…と言い切れないのが難しいところ。
それが障壁その6、コースタイムの長さです。
大無間山の標準コースタイムは14時間20分。
本来ならどう考えても山中泊を要する長さですが、
急登で担ぐ水の量を減らしたいということで
日帰り登山を勧めている案内が多いのです。
しかし、釣瓶落としの秋の日にそんな行動時間はありません。
一応無人小屋がコース上に一つだけあるので
そこでの宿泊が選択肢になりますが、
その小屋が建っているのは登山口から3時間40分の地点。
小屋泊しても2日目には依然として10時間40分が残されています。
小屋で2泊すれば2日目8時間10分の3日目2時間30分に出来ますが、
2泊分の荷物を担いでこの急登を登るのかというと…
おお、ここも紅葉が綺麗ですね。
良き紅葉狩りかな。
その下のトラバース路は大分悪いですが。
秋だと落ち葉で踏み跡を見失い易いというデメリットもあるな…
大無間山は登山者が少ない所為で
ただでさえルートファインディングが難しい山なのに。
標高1,400mに達すると急にこれまでの急登が嘘のように
なだらかで平和な尾根になります。
でも、平均勾配が33%であるという事実は揺るぎないのだから、
ここで水平距離を無駄遣いしてしまうと…
…何だか、背景の山影の仰角がおかしくない?
うおお!何だこの壁のような超急登は!
地図を見ると水平距離50mで50m登る、
つまり勾配100%、45°の斜面です。
あまりの斜度に正対することすら儘なりません。
足を等高線へ沿わせる向きに置きながら横歩きで登ります。
それを越えると今度は倒木の塊。
まだここは一般登山道扱いのはずなんだが…
道迷い防止の為に偽ルートを塞ぐべく置かれているかのようですが、
この倒木群を突っ切るのが正規ルートです。
両脇は崖になっていて迂回路の取りようがありません。
倒木群も越して漸く普通の登山道に戻ったところで
今日初めて他の登山者とすれ違いました。
居るんだ…
駐車場に車は無かったけど、路線バスで来たんだろうか?
急に開けた場所に出ました。
もしやテント場か!?
そうだ!
標高1,796.3mの三角点も設置されています。
通称P4(「4つ目のピーク」の意)と呼ばれるピークです。
三角点のある広場からは梢の先に富士山が見えました。
辛うじてですが。
そして、今夜の宿である静岡市営小無間小屋に到着!
シンガリーラでの高地トレーニングのお蔭か
思ったよりは疲れませんでした。
静かな尾根に佇む小さな小屋。
この雰囲気は大好物です。
良くぞこんな場所に建てて維持管理してくれたものだ。
中はこんな感じ。
水場もトイレも無い板張りの無人小屋ですが、
立地を考えれば屋根と壁と床が揃っているだけでも神々しいです。
しかもマットと洗濯紐まである。
屋内は厳しいですが、小屋の前ならauの電波も通じました。
最近急に冷えてきたので、ウイスキーを持ち込んで
アイリッシュコーヒーでも作ろうか…
とも考えたのですが、
シンガリーラでの伝統に倣って紅茶を頂きます。
やはり登山に紅茶は合う。
15時半頃になると急に風が出てきたので小屋の中に避難。
こういう時に小屋の安心感は偉大ですね。
限界まで軽量化をする中でもザックに捩じ込んだ
携帯音楽プレーヤーでお気に入りの曲を掛けて、
今恐らく自分一人しか居ないであろうこの山域を
小屋の中から感じる得も言われぬ一時を過ごします。
いやあ、良い小屋だ…
この後は省力省ゴミに重きを置いた夕食を掻き込んで、
明日の決戦に備えて寝ました。
6:24、起床。
今日はトレッキング最終日です。
Kanchenjunga(カンチェンジュンガ)が先っぽだけ見えますね。
朝食はネパールのパンとジャガイモカレー。
カレーと言ってもインドのそれと違って優しめのお味です。
ここからはもう里道なので難所はありません。
…歩く分には。
徒歩でDarjeeling(ダージリン)まで行けたらなぁ。
おおっ!初日に泊まったGurdum(グルダム)が見えた!
4日間のトレッキングが遂に円環として閉じつつある…!
ここはもう車道になっており、
車も停まっていたので下まで通じているようです。
…ここを通ってきたってこと?
流石インドの車はワイルドだな…
しかも、最後の最後で川の車道橋が落ちている…
今こちら側にある車はもしや落橋によって取り残されているのでしょうか?
車道橋は鋭意復旧中でした。
えらく頑強な鉄橋ですね。
道中の崖崩れ地帯の復旧(?)の適当さとの差が凄い。
橋だけはなあなあで済ませられないからでしょうか。
車道橋はまだ復旧が終わっていませんが、
吊り橋のSrikhola Bridge(スリコーラ橋)が架かっているので
これでSrikhola(スリコーラ川)を渡ります。
という訳で、4日間46kmのトレッキングコースを貫徹しました!
下山!!
最後もまた犬がお出迎えです。
インドのトレッキングコースでは要所毎に必ずいますね。
Gurdumで療養していたメンバーとも無事再会出来ました。
日本なら登山口まで戻ったところで終了と言っても
ほぼ差し支えありませんが、
インドの場合はそうも行きません。
歩くより車の方が辛いまである。
疲れ切っていれば眠ってしまって気付いたら着いていた…
とならないか淡く期待していましたが、
然しもの僕でもおよそ寝られる揺れではありませんでした。
ただ、体調を崩したメンバーに配慮して
旅行会社がフランス人カップルを別の車に乗せるよう手配してくれたので、
往路程の凝縮状態ではありませんでした。
懐かしくさえあるDhotrey(ドトリー)で最後のご飯休憩。
でも、行きの記憶だとここまででも結構な距離があったよな…
Sukhia Pokhari(スキア・ポカリ)まで来れば
やっとアスファルト舗装路になります
(写真はアスファルト舗装になる直前の最後の未舗装路ですが)。
とは言え、インド基準のアスファルト舗装で
インド人ドライバーによる運転となれば、
やっぱり快適な居眠りには程遠い車内環境です。
やっとDarjeeling(ダージリン)市街地に入りました。
今日も蒸気機関車が動いていますね。
今日のDarjeeling(ダージリン)は一際混んでいます。
この国の交通事情はもう少し何とかならないものか…
やっとこさDarjeeling中心部まで戻って下車しました。
これで名実共にトレッキングツアー終了です!
いやあ、過去一疲れた山行だった…
過酷な山行の後はゆっくり身体を休ませたいものです。
今夜のお宿は(インド基準で)奮発して、
嘗て大英帝国の貴族が避暑の際に使っていた植民地時代のホテルです!
インド最後の夜にこれほど相応しい宿は無いでしょう
…と言うとインド人に怒られそうだな。
中は意外にも新しい雰囲気です。
口コミで「歴史あるホテルだからって設備が古過ぎる」と
散々に書かれていたから改装したのでしょうか。
シャワーを浴びたら久々の都市を感じようと
歩行者天国の喫茶店へ。
肌寒い秋口でハイシーズンでもないと思うのですが、
喫茶店はインドらしい大混雑です。
しかし、紅茶にケーキは元・大英帝国領として外せません。
疲れた身体だと尚のこと染み渡ります。
英国から遥々やって来た貴族達も同じ様に味わっていたのでしょうか。
喧騒の中で紅茶とケーキにがっついていたら、
トレッキングのツアー会社から
社長が伝えたいことがあるから事務所に来てくれないかと連絡がありました。
そう言えば、体調を崩したメンバーの延泊料金と
追加で手配した車のお金をまだ請求されていなかったな…
手持ちの現金は足りるだろうか…
クレジットカードが使えないと大分厳しいけど…
と思いきや、
「体調を崩す人が出ることに対する保険も込みの値段だから大丈夫!
それよりも皆無事で良かった!
実は君達はコロナ禍後で初めての日本人客なんだ。
中々日本人客が戻ってきてくれないから、
帰国したら宣伝しておいてくれないかい?」
と話されてお土産まで渡されました。
ガイドさん含め終始凄い良い人達だった。
という訳で、約束通り宣伝しておきます。
Darjeelingでトレッキングをする際は
Ashmita Trek & Tours[1]のご利用を是非どうぞ!
では、もう暗くなってしまったので
ホテルに戻りがてらお土産漁りと夕食にしましょう。
ん?何やらパンパンと音がするな…
人も集まっているし、Diwali(ディワリ)の花火かな?
花火かと思ったら、電線から火花が散っていました。
Diwaliの照明が多過ぎて過負荷になったのか?
よりによってホテルへの帰り道なんだけど…
仕方無いので、Googleマップには載っていない
暗い裏道を勘で歩きます。
国次第では絶対に歩きたくない暗さと狭さだな…
どうにかホテル前の広場に戻れたので
広場周辺のお茶屋で茶葉を買います。
しかし、見ていてもどれが良いのか良く分からない…
と悩んでいたら、店員さんが試飲用のお茶を淹れてくれました。
グラデーションがまた美しい。
淡い色が一番茶に相当するFirst Flush(ファーストフラッシュ)、
濃い色が二番茶に相当するSecond Flush(セカンドフラッシュ)です。
4日目に行ったKurseong(カルシャン)にあると聞いた
Castleton Tea Estate(キャッスルトン茶園)に興味があると言ったら、
Castletonを始めとしてオススメの茶葉を揃えてくれました。
First Flushは緑茶や烏龍茶っぽい風味のものもあり、
一番美味しかったCastletonのSpring Moonlight First Flush
(スプリング・ムーンライト・ファーストフラッシュ)は、
紅茶らしい風味を芯に持ちながら
緑茶のような爽やかさを併せ持っていました。
これは美味しい…!
で、お幾らなんだろうか。
1缶100gで4,990INR…
約9,000円!?
最高級の抹茶並じゃないか!
しかし、ブラインドテストできちんと一番美味しいと感じるのは凄い…
ただ、流石にここまでの高級茶葉は買えないので
Ruby Regalia(ルビー・レガリア)のSecond Flushにしました。
それでも1缶1,990INR(約3,500円)ですが。
今回の旅行で舌が肥え過ぎると
巷の紅茶が飲めなくなりそうで怖い。
最後の夕食はトレッキング中にすっかり気に入ったネパール料理店へ。
Momo(モモ)は残念ながらありませんでしたが、
Thukpa(トゥクパ)が生姜と八角の仄かに香るピリ辛風味で美味でした。
中華風ネパール料理のお店でしょうか?
トレッキングを完遂し、茶葉も買い込めて満足し切った後は
古のホテルでゆっくりと寝ました。
参考文献
[1] Ashmita Trek & Tours - Best Trekking Company in Darjeeling
5:00、起床。
標高3,636mでの夜は中々に寝苦しいものでした。
Uyuni(ウユニ、2016/2/27-29)での悪しき思い出が…
日の出前に起きたのは寝付けなかったからではなく、
Sandakphu(サンダクプー)での日の出を拝む為です。
昨日はガスが掛かってしまっていましたが今朝は雲一つ無い快晴です。
寝不足と高山病でダブルパンチの寝起きの身体には堪えますが、
ここで諦めたら昨日までの辛い思いが水泡に帰してしまうので
気力で何とか足を前に出します。
脚が鉛のように重い…
ガイドさんは容赦無く一番険しい展望スポットを選んで
早く来いと急かしてきます。
死にそうになりながら小高いピークの上に登ると…
おぉ…
見えました!
あれが世界第3位の高峰、
Kanchenjunga(カンチェンジュンガ、標高8,586m)です!
こちらの方角からだと仏陀の涅槃像のように見える為、
Sleeping Buddha(涅槃仏)と呼ばれています。
左に目を遣ると世界第5位のMakalu(マカルー、標高8,463m)、
世界第4位のLhotse(ローツェ、標高8,516m)、
そして世界一のEverest(エベレスト、標高8,848m)が鎮座しています。
145kmもの距離がある割には意外な程大きく見えます。
世界に14座しか無い8,000m峰の内
実に4座を一目で見渡せるという贅沢極まりない立地。
月並みな表現ですが、地球を、そして宇宙を感じずには居られません。
(以降、メモ書きネタバレ注意)
上り551m下り1,832m
距離24km
肩が痛過ぎてヤバい…
シッキムビールは原材料に砂糖や米が含まれていてかなり甘い
[画像]
こちらはネパールのビールTongba(トゥンバ)。
不思議な見た目の容器の中に…
[画像]
米と大麦(伝統的には稗)にKhesung(ケスン)と呼ばれる
麹のようなものを混ぜ合わせて発酵させたものが入っており、
そこにお湯を注いで数分待ってお酒成分を抽出し、
容器から飛び出たストローでチューチュー吸うという
非常に特徴的なお酒です。
本場のネパールではこれをベッドの脇に置いて
寝落ちするまで皆で回し飲みするのだとか。
高山病に効くという説もあるそうです。
味は苦味を除いて酸味を強調したビールというような感じでした。