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sou16の物理学的な週末 ~sou16's Physical Weekends.

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アルジェリア旅行 第5日目(書きかけ)

2025年03月24日 | 旅行


8:27、起床。
今日から暫く文明とはおさらばです。


朝のDjanet(ジャーネット)。
昨夜は真っ暗で良く分かりませんでしたが、
町自体砂漠に埋もれているような感じなんですね。


ということで、今日から5日間の砂漠ツアーで
世界遺産Tassili N'Ajjer(タッシリ・ナジェール)に出掛けます!
Alger(アルジェ)、Constantine(コンスタンティーヌ)と
実は砂漠ばっかりがアルジェリアじゃないんだよと言いつつ、
それでもアルジェリアという国を、アフリカという大陸を語る上で
Sahara(サハラ砂漠)を外すことは出来ません。


アフリカの砂漠地帯のお供、ランドクルーザーに乗り込みます。
ランドクルーザーって名古屋高速とかじゃなくて
こういう場所で走らせるのが本来の用途だし。


一歩Djanetの町を出るとこの通り。
あまりにも、あまりにも広大なSaharaです。
完全なる死の世界…
と思いきや、ちょこちょこ木が生えていたり、
羊やロバやラクダが歩いていたり、
羊飼いが木陰で休んでいたりして何だかんだ生物の営みがあります。
5ヶ国に跨るSahara一帯にはTouareg(トゥアレグ人)が住んでおり、
ガイドさん達もまたTouaregだそうです。


記念撮影の為に停車した地点。
ここ、ある場所への道とある場所への道が分かれる分岐なのですが、
何処へ通じる道か想像は付くでしょうか。


正解はリビアとニジェールです。
どちらも外務省の渡航情報で全土危険度レベル4の内戦中国家。
Tassili N'Ajjerはその2ヶ国との3国国境に程近い場所なのです。
となるとTassili N'Ajjerも結構危険なのでは?
という疑問は当然湧き上がると思いますが、
それに対して全否定は出来ないのが正直なところです。
ただ、最近はかなり治安が改善しているのと、
南部のSahara観光をしないとアルジェリアの
アライバルビザが下りないという事情もあるので…


我々が進むのはリビア方面です。
ラクダ飼いがいたり、これぞ砂漠な雰囲気。


道路標識でもラクダ横断注意の印があります。


不意に舗装路を外れたと思ったら木々の生える場所で停車しました。
どうやらここで昼食にするようです。
今日は歩いていないし、ラマダンにも慣れてきたので
昼食抜きでも全然行けますが。


こちらが砂漠ツアーの昼食。
ラクダの乳製品とか出てくるかと思いきや、
流石にそれだと観光客の大半をふるい落としてしまうのでしょうか。
フランスパンと、レタスとトマトのサラダと、
ツナ缶とミックスビーンズ缶を混ぜたものと、オレンジです。
ビタミン多め。


昼食を終えたらいざ出発!
…ではなくお昼寝タイム。
ラマダン中ですし、そもそも砂漠の昼は暑いですからね。
その暑い砂漠の地べたで寝たら暑いじゃん、と思うかも知れませんが、
実はDjanetって石垣島と同じくらいの緯度なので
今の時期は普通に春っぽい涼しさになっていて、
強烈な日差しさえ避ければ風を感じて想像以上に心地良いです。


昼寝も終えて再出発すると
何も無い砂漠の只中に突如現れた軍の検問。
運転手が旅行会社の許可証的な書類を渡していました。
駐屯地とかは一切無くてただ車が置いてあるだけだけど、
ここ担当の軍人は車に寝泊まりしているんだろうか…


検問も無事に突破してTassili N'Ajjerの核の一つ、
Tadrart(タドラルト)に突入です!
Tadrartはこの一地点の名前ではなくて
Tassili N'Ajjerの中の南東部の地域を指す地名のようです。


(我々自身を始めとして)期待していた皆様、お待たせしました。
ここからは完全に舗装路を外れて
Saharaの只中を彷徨っていきます。


という、こんな辺境中の辺境に思える地でも
ラクダ飼いは居るんですね。
人間の営みってしぶとい。

 

 

(以下、メモ書きネタバレ注意)

キリンの壁画

牛の群れを率いる人の壁画

 

海藻の化石
嘗てここが海だった証


アルジェリア旅行 第4日目(書きかけ)

2025年03月23日 | 旅行


7:16、起床。
今日は遺跡ツアーに参加します。


Constantine(コンスタンティーヌ)の街を抜けて、
アフリカというよりは中央アジアや東欧辺りを彷彿とさせる
草に覆われた丘陵地帯を走っていきます。
路面状況が非常に良い。
欧米の先進国と比較しても遜色無いレベルの滑らかさです。
アスファルトが沢山採れる産油国ならではなのでしょうか。


おっ、鉄道路線だ。
Uyuni(ウユニ)を思い出す打ち棄てられた貨車ですね。
現役の列車が走ってきたら絵になるんだけどな…


あっ、そんなことを言っていたら走ってきた!
1両だけ荷物車っぽいのを牽いたディーゼル機関車です。


荷物車が機関車に対して5分の2くらいの大きさしかありませんね。
何を運んで居るのだろう…
郵便とか?


内陸に入るにつれて段々と乾燥してきました。
Googleマップでは湖として描かれている地点も
実際には干上がって塩湖と化しています。


1時間強走ったところでMadghacen(マドガセン)に到着。
紀元前3世紀にベルベル人によって造られた霊廟です。

 

 

(以下、メモ書きネタバレ注意)

交易によって文化交流のあったエジプトやギリシャ

 

全盛期には2.5〜3万人が住んでいた

Rota tic-tac-toe 五目並べ的な

兄弟を暗殺した後に名前を削って歴史から消し去ろうとした

まずは中温の部屋で身体を慣らしてから高温の部屋で垢擦り、
その後冷水の部屋で整う

神殿は地震で壊れた

2〜3世紀の精巧なモザイク
Timgadの近くで1905年に発見

Epigraphy database

 

[画像]
今日は図らずもラマダンの断食を忠実に実行していて
もう喉カラカラお腹ペコペコなのですが、
空港内のお店は例によって悉く閉まっています。
さて、夕食はどうしたものか…

[画像]
おや?食堂の前で何やら準備をしていますね。
もしかしてAlgers(アルジェ)の大通りでも見た
公開Iftar(イフタール)の準備?
じゃあ、待っていれば食事が出来るかな?

[画像]
と見ていたら、赤新月社の職員の方が手招きしてくれて
Iftarの施しを受けられることになりました。
周りのアルジェリア人の誰よりもがっつく日本人2人。
あまりにお腹が空いているように見えたのか、
スープをおかわりさせられたり、記念撮影されたりしました。

[画像]
21:00発

[画像]
22:57、Djanet Cheikh Amoud Ben El Mokhtar空港
(ジャーネット・シェイフ・アムード・ベン・エル・モフタール空港)に到着。
Sahara(サハラ砂漠)の中心、Djanet(ジャーネット)です!


Saharaの中心とはどういう意味?というと、こういう意味です。
ここは広大なSaharaの中でほぼ中央に位置する場所なのです。
地元の人も"Heart of Sahara"(サハラの心臓部)と表現しています。


アルジェリア旅行 第3日目(書きかけ)

2025年03月22日 | 旅行

5:51、起床。
携帯電話のヘッダーに表示される時間と
アプリが認識する時間に何故か1時間の時差がある謎現象が
自分とST(元・旭丘高)の両方に発生している…
日の出前に朝食を済ませ、迎えの車に乗って空港に向かいます。


朝のAlger Houari Boumediene国際空港
(アルジェ・ウアリ・ブーメディアン国際空港)。
巨大な旅客ターミナルに人の姿は疎らです。


9:00発AH6258便に搭乗。


機体が見るからにボロい…
オンボロのATR72-500です。
フランス領時代からの骨董品とかじゃないよな…?


砂漠地帯も飛ぶからなのか窓が汚れていて外が良く見えません。
まあ、無事に着陸さえしてくれれば…


10:05、Constantine Mohamed Boudiaf空港
(コンスタンティーヌ・モハメド・ブディアフ空港)に到着。


「橋の街」と呼ばれるConstantine(コンスタンティーヌ)です!
空港通路の壁にも橋が描かれていますね。
何故橋の街と呼ばれるのかは直に分かります。


送迎車に乗ってまずはホテルへ。
Alger(アルジェ)のみならずConstantineも坂の多い町です。

 

(以下、メモ書きネタバレ注意)

Jari Constantine(ジャリ・コンスタンティーヌ)


アルジェリア旅行 第2日目(書きかけ)

2025年03月21日 | 旅行


6:12、起床。
日の出前ですが、ラマダン中は日が出ていない時間しか飲食が出来ません。
朝食にはパンやオレンジなどが並べられているので
適当に取ってラマダンの長い昼に備えます。


ホテルの受付でタクシーを呼んでもらってまずは町の北へ。


道中にロープウェイの乗り場がありました。
急坂の多いAlger(アルジェ)ではロープウェイも公共交通機関として
一定の地位を築いているようです。


目的地のBasilique Notre-Dame d'Afrique
(ノートルダム・ダフリク大聖堂)に到着。
19世紀後半のフランス植民地時代に建てられた大聖堂です。
公式サイトの案内では「金曜日は午前中のみ開館」
「ラマダン期間中は午後のみ開館」と書いてあって、
ラマダン期間中の金曜日はどうなるのかというと
空集合になって終日閉館になるようです。
何処かもう少し全景を見られる場所は無いかな…


周辺をうろうろしていたら、
警備の人が手招きして中に入れてくれました。
旅行者が珍しいからこそなのか皆優しい。


Basilique Notre-Dame d'Afriqueは小高い丘の上にある為、
Alger市街を俯瞰することが出来ます。
La Baie d'Alger(アルジェ湾)の向こうは煙って良く見えませんが、
ぼんやりと巨大なミナレットが見えていますね。

 

To be continued.


アルジェリア旅行 第1日目(書きかけ)

2025年03月20日 | 旅行

(以降、トルコ時間UTC+3.0h)


4:16、İstanbul空港(イスタンブール空港)に到着。
1年振りのİstanbul(イスタンブール)です。
エティハド航空が中部に来なくなった今、
我々の支えはターキッシュエアラインズです。


勿論、トルコが最終目的地な訳は無いので乗継便を待ちます。


8:50発TK651便に乗り継ぎ。
搭乗口に"Cezayir"という謎の地名が表示されていて焦りましたが、
これはどうやら目的地のトルコ語読みのようでした。
Al-Jazair(アルジャザーイル)が現地語読みなのですが、
"Al"は定冠詞なので省略してJazair→Cezayirということのようです。
Al Jazeera(アルジャジーラ)に似ているなと思った方は勘が良くて、
Al JazairはThe Islands(島々)、
Al JazeeraはThe Island(島、半島)です。


じゃあ向かうのは島国なのかというとそうでもありません。
嘗て首都にお台場みたいな要塞島があったので
それが首都の名前の由来になり、
延いてはこの巨大な国の名前の由来にもなりました。
この国に島のイメージを持っている人は皆無だと思いますが。


目的地がイスラム圏だからなのか、
そもそもトルコもイスラム圏だからなのか、
機内食にRamadan Mubarak(良いラマダンを)と書かれています。
まさか断食しなさいという意味で空箱?


流石にそんなことはなくて中身が入っていました。
しかし、周りで食べている人はあまり居ません。
持って帰って日没後に食べるようです。
目的地の国は敬虔なムスリムが多いんですね。


また、一度強風の為にゴーアラウンド(着陸復航)していました。
海沿いで風が強いのでしょうか?

(以降、中央ヨーロッパ時間UTC+1.0h)


10:40、Alger Houari Boumediene国際空港
(アルジェ・ウアリ・ブーメディアン国際空港)に到着。
東アフリカ(2017/2/12-3/2)、南アフリカ(2017/8/31-9/11)
西アフリカ(2024/3/20-30)と来たら行かねばならない、
北アフリカの未知の国、アルジェリア民主人民共和国の首都
Alger(アルジェ)です!

地中海を挟んで古くから欧州との関わりが深いので
エジプトやモロッコなど観光客の多い北アフリカですが、
その中で例外的に渡航し難いのがアルジェリア。
まず、日本国籍の観光目的でもビザが必須です。
その観光ビザも政府が認定した旅行会社に頼んで
全行程きちんとガイド付きで手配しなければ下りず、
しかも申請から受領まで順調に行って6週間という驚異の所要日数。
北アフリカに限らず世界全体を見渡しても稀なビザ取得難度です。


正式な観光ビザはあまりにも時間が掛かり過ぎるので、
南部の州の訪問を計画することで発行される
アライバルビザを取ることにしたのですが、
それでもインビテーションレターを得るのに3週間も掛かりました。
でもって、入国審査にあたって現在進行系で待たされています。
1時間以上延々待合室で待たされて、
名前を呼ばれたからいざ入国かと思いきやビザ代の支払いとのこと。
ビザ代は10日間で20,000DZD(22,530円)。
高い!
こんなに高い観光ビザは初めてです。
観光客に来て欲しくないという政府の意向を犇々と感じます。


日本円払いが出来るとのことで、
2人で45,060円なので端数を切って45,000円渡してみたら、
何故か820DZDの「お釣り」が渡されました。
どういう計算?


ビザ代を払ってからも大分待たされて、
結局、着陸から2時間半も掛かってやっと空港を出られました。
どうにか入国成功です。


迎えの車に乗ってホテルに向かいます。
まず気付いたこととして車のナンバープレートの桁数が非常に多いです。
6桁+3桁+2桁の11桁もあります。
最後の2桁は"16"の車が大半なので、
恐らくこの部分が"Alger"を表しているものと思われます。
いや、アラビア語は右から左に書くから
最後じゃなくて文頭という扱いなのかな?


あと、市街地は何処も彼処も急坂だらけで、
路面がツルツルだからなのかスキール音が凄いです。


無事にホテルに到着しました。
市街中心部は建物がギチギチに詰まっていて、
5階建て以上が基本な感じです。


そして、読者の方の多くもこう思ったのではないでしょうか。
ここは本当にアフリカか?と。
これまで訪れたどのアフリカ諸国であっても
都市部は欧米諸国と比較して遜色無い発展度合いだったので
発展していること自体に然程驚きは無いのですが、
基本的には現代的な高層建築が建ち並ぶ感じでした。
しかし、ここAlgerでは歴史を感じさせる建造物が建ち並んでおり、
どう見ても完全に欧州のそれです。

アルジェリアは1830年から1962年まで
130年以上に渡ってフランスに支配されていた上に、
更に遡ればローマ帝国としてフランスと同じ国家に属していた土地。
地中海を挟んで目と鼻の先(日本-中国より近い)という地理もあり、
アルジェリアの、特に地中海沿岸の都市部は完全に欧州の雰囲気です。


…と言った舌の根の乾かぬ内から反例を挙げますが、
フランスを始めとした欧州と決定的に違う点もあって、
今は大通りでも殆どのお店が閉じています。
特に飲食店。
これはシャッター街とかいう意味ではありません。
そうです、(ヒジュラ暦で)今月は断食でお馴染みのラマダンなのです。

 

To be continued.